昨日は神奈川土建西相支部の旗開きでした。
昨年、私と西相支部の木下書記長とで当初進めた加藤憲一候補(当時)との「政策協定」への歩み。
そして加藤さんと木下さんが農家カフェSIESTAで非公式に会い、私も同席し、そして、昨年の昨日に政策協定を結んだのが一年前でした。
この時は、のちに訪れず「圧勝」を当然に想定しておらず、私は「負ける可能性」は十分にあって、もし、負けたら「干される」ことを覚悟しながらも、
今更、守屋(や、それを支える自民党)の軍門にくだるわけにはいかないというプライドをかけた自分なりの戦いでもありました。
当時の加藤憲一さんは、3期12年、市長職にあったとは言え、自民党一強の時代にあって多くの団体の推薦が得られませんでした。
結果として、組織らしい組織は唯一、この神奈川土建さんのみが推薦をしてくれるということで、間を取り持ったものとして感慨はひとしおでした。
僕は別に自分の為に動いているわけではないです。
こーいうことをすると権力を持っている自民党サイドからは警戒の目で見られたり、当然嫌われたりします。
だけれども、あまりにも小田原の市政がゆがめられ、貶められていくのを黙ってみていられなかった。
書記長の木下さんもそういうことを話をしてくれて
「僕は小山田さんに対する信頼も半分あったんだ」
小山田さんが「加藤がいい」というなら、大博打だけどやろう
そんな思いだったと話してくれたことは本当に嬉しかったです。
加藤さんという人を信じる前に、僕のことを信頼し、信用してくれたということが本当に嬉しく、そんな意味で昨日は本当に
勝利の美酒でした。
土建さんは、選挙でいう桃太郎(練り歩き)やポスティング、電話かけも積極的にやってくれました。
「こんな手ごたえのある選挙ははじめて」
「本当に楽しかった」
選挙を楽しいと言ってくれることなんてなかなかないんです。
それだけ、小田原市政に対する不満、うっぷんが多くの市民にたまっていた、ということですね。
最終的には2万票の差がついた2020年の小田原市長選挙。
正義は勝つ
天網恢恢疎にして漏らさず
お天道様は見ていた
選挙というのは、応援弁士をやるだけが選挙の応援ではないです。
もちろん、応援弁士やりましたよ(笑)。
でも、
こうやって、なかなか支持母体がない、というときに、どうやって団体の推薦をもらえるように動けるか?政党に働きかけられるか?
こんなことなかなかできる市民なんてそんなに多くないのです。
そんなことができる市民として真っ先に私があげるとすれば井手先生。私もそういうことをやれた、という意味では貴重ですね(笑)。
あの選挙は本当にいろんな人が動いてくれたのです。だから、僕だけの力ではない。
最近は違うといわれていますが、嫌煙だった薩摩と長州をむずびつけた坂本龍馬が
あれだけ人気があるのは、そーいう化学反応を起こさせて、時代の扉を開ける動きをしたから評価されるわけですね。
とすれば、今回の木下書記長と私が動いてこーいう形を創れたということは、小田原を正常な状態に戻すための動きとして評価されるのかな?
しかし、勝ったからいいけど、本当に負けてたら、木下さんも相当立場が悪かったろうな(笑)
しかし、勝ってしまえば、これだけ、すべての政党、団体、経済界がほぼ向こうについた中で
唯一の支援団体が神奈川土建だったことを考えれば、大博打のかけにかったわけで、
これは、神奈川土建西相支部の長い運動の歴史の中でも特質すべき栄誉ある出来事ではないか?
そう思います。
野田執行委員長(当時)以下、本当に多くの皆さんがあせをかいてくれました。そして、加藤憲一市長が返り咲くことが出来ました。
心からの御礼と感謝の誠をささげたいと昨日は、富士屋ホテルの式典(一次会)、二次会、途中、市民活動交流センターウメコの新年会に中座してまた三次会にも合流させていただきました。
牧島かれん氏がこの場に来てましたが、絶対に存在に気づいていたとは思いますが、私には一言の挨拶もなく、完全に無視してくれてね。
私は席が加藤市長の隣でしたからずっと市長と色々としゃべってましたが、
その様子を見て
まあ無視してくれてありがとう
でしたね。
同時に、けつの穴の小さな対応をするものだ
そんな思いになりました。
牧島かれん氏や自民党の面々は
「敵にしたら一番面倒くさい人間(しかも私は政治家でないところが更に面倒くさいが、そんじょそこらの政治家以上にある意味影響力はあると思っています)」
を敵にしたことが
まずかったんですよ。
だったら、もう少し器のでかさを醸し出す振る舞いが何でできないのかね?
当選五回で大臣もやって、少しは磨かれたのかと思ったけど、
住む世界が違うから会うことがとんとないので、久々に同じ空気をすいましたけど、
ちっちゃ
としか感じませんでした。
ただ、このアウェイ感満載のところに挨拶に来るというところは「大したものだ」と思います。
こーいうところはリベラルの人たちは本当に見習ってほしいと思います。
自民党の守屋を市長にするときにやった
「目的のためには手段を択ばない。勝つためには何をやってもいい」
という選挙のやり方をしたから、嫌悪感を持たれて、自身も相当追い込まれる選挙をせざるを得なかったわけですからね。
謙虚さがない
ことをもう少し反省しないといけませんね。
本当は直接、それを言おうと考えていたのだけど、土建さんの主催のイベントだし、新年早々そういうのもお互いに気分が悪いと思い、あえて何もしませんでした。
実は僕が住んでいる小田原市の成田というのは河野洋平さんの自宅の近くなので同じ神社なのです。
初詣は必ずこの三島神社に行っていたのですが、
必ず守屋や牧島氏がいるので、正月早々からすごく嫌な気分になるのが嫌で
20年に加藤市長が選挙に負けてからは21-25年の正月初詣はいかないことにしています。これからも嫌な気分になるからいくことはないですね。恐らく。
そして、それまで正月ずっと食べていたかまぼこも某会社のものは本当にとんでもないことをしてくれたので(そのことについては私は今でも思うことは多々あるので)食べなくなりました。
それだけ、今までやっていたことをやらなくなったという意味で、2020年の小田原市長選挙は大きな出来事であり、
劇的に勝利した24年の選挙も
まさに
メイクドラマ
でした。
あんなジェットコースターな経験、そして、プラスになる経験、なかなかできるものではありません。
そーいう意味で、神奈川土建の西相支部の皆さんとはまさに同志ともいうべき友情を構築することができたと思っているのです。