会津藩の藩校❝日新館❞を復元した所に行って来ました。
この写真は天文台から写しました。鶴ヶ城の隣にあった日新館も往時にはこんな光景が見えたことでしょう。
会津藩は会津武士道といわれる程に高度な水準の教育体系が確立されており、当時の教育としては最高峰のそれだった、
といわれております。
幕末の佐久間象山や吉田松陰なども名声を聞きつけて視察にきたそうです。
砲術や化学、弓、水泳なども行われてます
日新館は藩士の子弟が学んだそうで小学校から大学位までの機能があり、1000人位が学んでいたそうです。
太平の時代になり、武士としてのたしなみが廃れ、退廃で贅沢がみなぎりました。
それを憂いて人材の育成こそ大切との観点から1800年はじめに作られました。
会津藩には藩祖保科正之が作りました家訓があり、それをもとに什 の掟というものがありました。
八重の桜でも有名ですね…
什というのはグループの単位のようで、その単位ごとに教育をしていく、というのは
薩摩藩の郷中教育と似ています。
確かに幕末の雄藩といわれる、薩摩藩、長州藩、会津藩は共に教育により人材を輩出したということもいえるわけで
教育の重要性を感じます。
また、世が平らかになり、怠惰な風潮がみなぎる中で人としての質が落ちたこと、国力が衰えてきたことを憂いた中で藩校が出来るというのも
まさに、かなごて農学校推譲館を作る動機とも似ているわけです。
日新館で小学校程度の教育で作られたという教科書を買いました。
パラパラとはめくり、少し読んでみましたが、今後良く読んで活かしたいと思います。
会津というのは幕末の雄藩でありながら、最後は薩摩藩、長州藩の怒を被り徹底的にたたきのめされてしまいました。
塗炭の苦しみを味わう様子は、どうしてもテレビドラマ白虎隊のテーマソング堀内孝雄の愛しき日々の歌詞そのものだと、
鶴ヶ城をみるといつもそう思います。
風の流れの 激しさに
告げるおもいも 揺れ惑う
かたくなまでの ひとすじの道
愚か者だと 笑いますか?
もう少しときが
ゆるやかであったなら
愛しき日々の はかなさは
消え残る夢 青春の影
だったかな?
この歌詞そのものなんです…
子供の頃、白虎隊というドラマを何度も観て、筆頭家老西郷頼母一族の集団自決、
第4家老の萱野権兵衛の責任取らされた切腹の様子など…
壮絶で悲惨
国が滅びるというのはこーいうことなんだと子ども心に思ったものです。
考えてみれば風雲告げる幕末に会津藩の松平容保が京都守護職を拝命したことが貧乏クジだったわけで、
この就任には先程の西郷頼母や田中土佐という家老も反対して西郷頼母は強く反対したために家老を免職になる、ということまで起きたわけで
堀内孝雄の愛しき日々の歌詞にも
生真面目すぎた まっすぐな愛
愚か者だと 笑いますか?
臆病者と わらいますか?
という歌詞もありますが…
松平容保は藩祖保科正之の先程の家訓に縛られすぎて、京都守護職を受け入れたわけで
まさに、教育による義の過ぎたる結果ともいえなくもないが
誰が渦中の栗を拾わなければ徳川家は潰れてしまうではないか…
という松平容保なりの思いがこー言う悲劇を生んだともいえます。
仁義礼智信
人間が大切にしなければならない5つの徳目といわれますが
義に過ぎれば硬くなる
といわれますが、会津のこの事例はまさにそれを示してもいます。
人としての大切な
忘れてはならない
徳目
これをしっかり身につけて
地域の有意な人材となるような人を育てていく教育体系をしっかり構築していきたいと思います!
さて、本日は会津を離れて那須高原へいきます!