昨日、思いもよらぬ訃報に接しました。
加藤憲一さんの復活を誰よりも願い、共に戦った安野裕子小田原市議が逝去したというニュースです。
思い出されるのは、先般の小田原市長選挙、すなわち2024年小田原市長選挙の最終日。
イトーヨーカ堂と小田原東郵便局の間の横断歩道前での街宣。
加藤憲一さんから「ここは小山田君に話してもらうよ」
そういわれて、加藤さんが話をする近くで待機をしていた時に、鈴木敦子市議から
「小山田君、悪いんだけど、安野さんが病院から退院されて、自宅に帰る途中、ここに回り、一言、話をしたいという事だから先にお願い」
そういわれて、安野さんの応援演説となりました。
いま、こうして、その時を思い出しても、本当に目頭が熱くなる素晴らしい話でした。
その様子は、是非、こちらからご覧ください。
私もホントに近くで聞いていて、魂が揺さぶられる…
そんな演説でした。
万感胸に迫ると言いますか、そんな思いにかられ、目に涙をうっすらと溜めて聞いていました。
みんなが心打たれて、しんみりしていたので、
もうこれでいいんじゃないか?
そう思って加藤さんにも
「もういいんじゃないですか?」
そう話したのですが
加藤さんから「いやいや、話して」
そう言われて話したのが、私の演説です。
正直、凄くやりにくかった(笑)
でも、私なりに会心の応援演説だったと思っています。
安野さんから私へ
そのバトンを渡してもらって演説を出来たこと。
私にはとてもいい思い出となりました。
その時に、「私の余命は短い。だから最後のお願いだから加藤憲一を頼む」
その言葉は今でも耳の奥に残っています。書いていて涙が出てきます。
ありんこ虹の会の池谷さんがこれを見て、いてもたってもいられなくなって蛍田で見に来た、
と言っていましたが
そう思わせるほど、痛々しいまでに思いがこもる迫真の演説でした。
安野さんは農家カフェSIESTAの取り組みにも本当に賛同してくださり、足しげく通ってもいただきました。
あんなに元気だったので、本人は余命いくばくもない、といっても、また、復活してくれると信じて疑いませんでした。
加藤憲一政権が2008年に誕生したとき、数えるほどしかいなかった加藤応援隊の議員が安野さんでした。
ずっと加藤さんを支えながら「市民が主役の」政に貢献し、そのあと、鈴木敦子さんはじめ、多くの市議と共に、先輩議員として市民派の議員をけん引されたと思います。
本人の最大の希望であった加藤憲一さんの復権がああいう大差でなり、さぞ、本人もほっとしたのでしょう。
いみじくも、加藤憲一さんの第24台小田原市長としてのむ最初の所信表明演説を聞いて、安心して旅立たれたのだな、と。
どこまでも美しい生涯だな、と思います。
多くの人から慕われましたね。安野さん。
安野さんの志は、同じ市民派としてしっかりと継承していきます。
そして、市民が主役のまちづくり、何よりも市民の命と暮らしが最優先という小田原市政をゆるぎないものにすべく、
私も加藤さんをしっかり支えて、その思いの貫徹に粉骨砕身努力していきますので、どうか、安らかにお休みください。
本当にお疲れさまでした。
叶うことなら
安野議長
をみたかったです…
合掌...
2020年、選挙で負けて後、すぐのソーラーシェアリング田んぼの田植えに駆けつけてくれた加藤憲一さんと私です。
2020年の田植えの集合写真
安野さんとの写真がないので…