覇道とは、腕力や力ずくで政治を行うこと。
対して王道とは徳に基づいて政治を行うこと。
項羽と劉邦
圧倒的な武力、個人としての戦闘能力の強い項羽。
しかし、たったいちどの敗戦で
四面楚歌
という言葉を残して負けた。
項羽に比べればはるかに凡人に過ぎない劉邦が漢の皇帝になる。
項羽になくて、劉邦にあったもの
徳
三国志の時代
曹操と劉備では曹操のほうがはるかに力があった。
劉備にはしかし、徳があった。
その徳に人が慕い、彼は蜀という国を建国し皇帝となる。
諸葛亮孔明という天才的な軍師も、劉備の徳が臣下にさせたとも言える。
張飛や関羽、桃園の誓いをしたこの二人もまた然り。
易姓革命という言葉がある。
中国の歴史観だが、統治者に徳がない場合は革命を起こして良い、ということだが、
中国皇帝は何故に皇帝なのかといえば、徳があるから人民を支配し皇帝であれるのだ、と考えられていた。
この考えは日本の皇室にも受け継がれており、為政者の根本の考えともいえる。
私は加藤憲一小田原市長の再誕生に一役も二役も、相当に自らを犠牲にして貢献したと自負はしてます。
加藤憲一さんが2期目の当選を決めたとき、つまりは2012年ですかね?
個人的に手紙を書いて
王道の政を推進してほしい
そう、書いたのを覚えてます。
守屋輝彦になくて、加藤憲一にあるもの。それは、徳=王道だということです。
だから人がついてくる。
王道のホントの意味での政を4期目は本当にやって欲しいと思います。
加藤憲一に苦言を呈することは簡単です。しかし、私はそれは違うと思うし、今の時点で苦言を呈する支援者に対してはいかがかと思ってます。
まだ、はじまったばかりです。
1度政界引退した人間を様々な葛藤が本人にあったことは想像にかたくないです。
それを私等は出てくれ、出てくれと散々申し上げました。
隠遁したものをもう一度、俗世に引きずり出したその責任を私は取るというものがあると思ってます。
だから、もちろん、意見はすることもあるでしょう。だけど、私は加藤憲一さんを支えて行こうと覚悟を決めてます。
私ができることは実践の現場で新しい現実を作ること。そのことに汗を流して行きます。
私なりの地域自給圏=食エネ自給のまちづくり。これを、ハードだけではなくて、思想というか、バツクボーンの考え方、それは民主主義であり、デモクラシーなのですが
そ~言う部分も地域の現場での実践を通じて形としたいと。
批判は誰でも出来ます。批判するなら自分でその批判を乗り越えて形にしていく強さとしなやかさを
私は持つべきだと。
そういう価値転換になったことが、私が4年前と違うとこだと思ってます。