開成町で土地を取得して建設する開成あじさいの里ソーラーシェアリング。
小田原かなごてファームにとっては7号機目のソーラーシェアリングは
農協での融資が獲得できる見込みが立つたことから建設に向けて大きく前進をすることとなりました。
融資を勝ち取ることが凄く難しかった小田原かなごてファームが農協から全く相手にもされなかった小田原かなごてファームが
1号機から着々と発電所をふやし、今や神奈川県で1つの組織が7つもソーラーシェアリングを持ってるのは
小田原かなごてファームしかないだろうというそういう所まで来て、
融資も城南信用金庫さん、横浜銀行さん、政策金融公庫さん、そして農協さんと幅広くなりました。
そういう実績を1つ1つ丁寧に積み重ねた結果として七号機のソーラーシェアリングがあります。
ソーラーシェアリングを6機作り、農家カフェSIESTAという飲食店をオープンさせました。
何も無いところから0から会社をたちあげ、おひるねみかんジュースを作ったり、おひさまマルシェを立ち上げたりもしました。
その活動は12年目を迎えました。
継続は力なりです。
何事もコツコツと続けていくことです。続けることが私に大きな力を与えてくれました。
途中、2020年に今の小田原市長や小田原箱根商工会議所会頭、小田原最大の蒲鉾屋等等…。
あの時は小田原の政界や経済界を完全に向こうにまわして
正直、とばっちりもいいところで、当時現職だった市長を結果的にかばう事になったことで、職業や生業を失いかけた所から
がむしゃらに動き回り、形をつくりました。
その時に思っていたことは
絶対に負けんぞ
というハングリー精神でした。
その結果として
今の自分がいます。。
今にして思えば本当にあそこが最大の試練だったと思わないでもありません。
ただ言えることは
その究極の状況に追い込まれても、諦めずに、正面からその事に向き合い、逃げなかった。
高校時代、大嫌いな顧問の先生と対立して結果として剣道部から逃げた弱い自分…。その後ろめたさがその後の大学時代を作ったように。
もっと昔に遡れば中学受験に失敗して何事も全然自身のなかった自分が
どうにか母親の満足する高校にいかなければ、と海老名高校にいくプレッシャーをかけられて
どうにか411人中405番で入ったものの1年から英語は赤点。そういう自信のないところから指定校で大学に入れるまで
剣道部の顧問に
お前は何でもすぐ逃げる
それが人生のトラウマになり
だったら学業も勉強して指定校までとってやる!剣道も部活はやめたけど高校の最高段位まではとってやめてやる
そうおもって、その通りにした
こう書いてくると、僕の人生、何か壁にぶちあたって、それを跳ね返して成果を得るという人生そのものなんだな(笑)
しかし大学でのちょっとした成功が郵便局まで繋がる調子にのることに繋がった。
そこに対する内省、反省も踏まえて、と、そこが過去のことと今回のこととの違いと言えば違いかもしれないのですがね…
そして何より今までの幾度も経験した普通の人がなかなか経験できないような体験や修羅場が
今日の自分のメンタルを強くしたのだと思います。
その思いを引っ下げて、小田原かなごてファーム最大のソーラーシェアリング作りにこれから挑みます。
仕事は段取り八分といいます。
既に下地の開成町さんとの農業委員会との交渉や開成町長や産業振興課らとの打合せや交渉も進めています。
事業計画として更に数字が良くなるように補助金の申請も進めています。
いよいよ今日から農業委員会への申請の書類を一氣に仕上げるつもりです。
田んぼに水が入ると工事ができないので、半年は工事の身動きはとれないかもしれません。
ですが、今は、具材の調達までに時間もかかるし、速やかに工事を仕上げたいと思っています。
あとは粛々と書類をあげればいいだけです。
6号機が終わった返す刀で7号機を作りはじめています。まだ6号機が通電もしてないのにね(笑)
ホントに2020年までは2つしかなかったのに発電所の数を3.5倍にし、毎年一基ずつ増やしていること。
これは凄まじい勢いで事業を拡大してる…といえるのではないか?
そう、思っています。
不退転の決意で七号機の建設に臨んでいきます。
総工費は2000万を超えてくると思いますので。もちろん小田原かなごてファーム最大の投資になるかと思います。