脱炭素社会を目指すという違和感 | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

今週は水曜日と金曜日に講演をします。水曜日は平塚で、金曜日は東京都の稲城市ですね…


昨日は体が疲れていたので、もっぱらこの講演の資料作成に時間をあてていました。


また、ソーラーシェアリング6号機、7号機の建設予定に関し、金融機関、農業委員会、電力会社、土地所有者、小田原市、開成町との調整をしておりました。


朝起きて、今日は夕方から農作業しようと決めました。




さて、これも、日曜日の研修の時のロジックモデルの話なのですが

脱炭素社会を目指す

これって、確かにいい目標なんですが、脱炭素社会を目指すって言うのって私は手段だと思うんですよね?

つまり、脱炭素社会を目指す、と言って、皆さんがときめくか?わくわくドキドキするのか?

ということなんですね…

私はいきなり脱炭素社会を目指すと言われてもなんにもときめかないし、わくわくドキドキしないな、と思います…

だけど、ちゃんとこれこれ、こーいう理由だから、と皆さん言ってるわけです。だから、そこを整理してやっていく…

ここをクローズアップさせれば?とも思うのです。

脱炭素社会を目指す意味ってなんだろう?何で脱炭素社会を目指すのか?そこを考えないといけないのでは?ということですね…

例えば

このままではこの自然豊かな地球や地域が崩壊してしまう…

次世代の為に地球を守るためには、気候危機をくい止めなければならない…そのためには脱炭素にしなければならない

つまり脱炭素社会って手段なんですよね?

で脱炭素社会にするために例えば放棄地を活用して営農型太陽光(ソーラーシェアリング)をやる

そーいう流れになるわけです…

ソーラーシェアリングをつくりたいも、これは、道具ですからね…ソーラーシェアリングを作ってどんな社会を目指すのか?

そこを天下国家には示さなければならない…こーいう社会を作りたいからソーラーシェアリングをやるんだ!!という感じです。

全て私のやることは次世代にも当たり前の地球環境を享受させたい…との一念からやってること

と、するほうが地域づくりのロジックモデルの有りたい姿としては、多くのステークホルダーにも共感されるのではないか?

と、思うのです…

ソーラーシェアリングも一つの手段であり道具。手段や道具が目的化することは良くあることですから気をつけないといけない…

このロジックモデル思考は、国の補助金などの申請の時には考え方としては非常に参考になるし、身に付くので是非お試しあるといいと思います。

かなごて農学校推譲館

まだまだ続きます…