中嶋君が居なくなって寂しい…でも | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

中嶋君は、小田原かなごてファームの全ての事業を譲ってもいいと思っている、僕の中では今までで出会った若者の中では一番の逸材だと思っています。

 

正直、僕は、あまり、本心では人は褒めません。

 

結構、褒め上手と言われますが(笑)おべっか使って褒めているのかも(笑)気を使って褒めているのかもしれません。本心でない褒め時もあるかも。

 

でも、中嶋君はそうじゃない。

 

はじめからそう思っていたわけじゃないけど、みかん狩りのイベントを任せてみて、その仕切りのすばらしさを見て

 

「一緒に小田原かなごてファームを盛り上げる手伝いをしてくれないか?」

 

そう、お願いした仲です。

 

以来、一体、何度、飲み会をし、何回飲み、何十時間飲んだか?まだ出会って2年もたっていないのですが、自分の奥さんより長い時間を過ごしていると思います。

 

はじめて会った時の写真です。

 

たわいもない事を色々と語ったりもしてますし、事業について熱く語ってもいます。

 

本当にいい後継者に出会えてよかった。

 

自分の人生も豊かになっている

 

そう、感じます。

 

その彼が仕事の都合で今日から広島に張り付いて8月末まで生活しなければならなくなりました。9月の初めまで戻ってこないのです。

 

彼は愛嬌もあるし、頭はいいけど、プライドがいい意味でない、知識をひけらかさないし、自分はいい大学出でいるという事もひけらかさない。私のように毎日怒ることもないし(笑)穏やかそのものです。

 

でも、熱いものも持っている。

 

こーいう若者もいるんだな、と思います。

22年の8月に長谷川くんと中嶋君とエブリで京都まで行った時の写真

 

 

21年のクリスマスに大久保亭に泊まった時の写真

 

何でも、やってみよう、という行動の人でもある。そこも、実践を何より重視する私ともあっている。頭で考えるのではなくて、行動することを体でやっている。そういう人はなかなかいないのです。

 

自分では動く人間だと思っている人でも、僕の眼から見たら

 

全然、動かないじゃん

 

という人もいます。

 

頭で考えちゃダメなんです。考えるなと言っているのではない。

 

トライ&エラー

ランアゲイン

 

ですかね。

 

昔、竹下登元総理がこんなことを言ってましたね。

 

そんな意味で、彼は組織の中でもうまくやれる人だと思う。僕は組織の中ではうまくやれないタイプ。15年社会人生活をやってみて、それをすごく感じました。だから、僕は、自分が組織を作ればいい、ということで会社員にピリオドを打ちました。

 

後悔などしてません。

 

だけど、宮仕えというか、組織での経験というのはとても大事です。

 

仕事は一人でするものではないので、どんだけ、個性が輝いていても、突出していても、誰かの力を借りなければならないことは多い。チームプレーも必要。納期も必要。予算も必要。

 

限られた資源の中で、どう最善を尽くすか?

 

どんなプロジェクトでも、地域づくりでも、会社でのそれでも、共に大切なことです。

 

私は、それをまがいなりにもそれを会社で学べた。鈴廣というよりは郵便局でそのことを多く学んだ気がします。ですからね、それを経験していない、出来ていない人というのは

 

可哀想だ

 

そうも思います。

 

中嶋君は、これから、どんな生活をするのか?どんな人生を歩むのか?僕にはわからないし、僕は、カナゴテファームを譲ってもいいと思っているけど、それに縛られてもらいたくもないし、そんなつもりもないと思います。

 

あいちゃんと中嶋君と長谷川君と井上社長と飲んだ時の写真

 

彼が選択肢として、それをやってくれるなら、という事ですが、だけど、上からも可愛がられる性格だし、キャラクターだと思いますし、そういう人だから、会社からも期待されているからこそ広島に行け、と言われるのだと思います。

 

どんな道を歩むせよ、自分が関わったプロジェクトをはじめから終わりまで見届けられる、という社会人としての経験は何にもまして貴重だと思います。逃げずに、最後までプロジェクトをやり切ったという自信がやがて大きくなった時に大人としての信頼を勝ち取ることにつながっていくという意味で

 

今回の広島行きは、彼にとってとてもいい経験になるだろう

 

そうおもって、

 

元気に頑張って来な

 

という気持ちで送り出しました。

 

彼が居なくなると、今のかなごてファームはものすごい戦力ダウンになります。ですが、その時こそ、私が頑張らないといけない、と思っています。

 

岩倉使節団が派遣され、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など政府の要人が悉く使節団として海外に行った時、留守政府の最高責任者として残り、気張り続けた西郷隆盛の気持ちに通じる部分があります。

 

兎に角、頑張ろう

 

そう、思っています。

 

京都の清水寺で。京都は毎日飲んでましたね(笑)