とうとうこの日が来てしまった…
といえばいいのか…
私の恩師でもある松田町の日高康弘先生が亡くなったという話が飛び込んできました…
心に大きな喪失感があります…
大学時代、教職課程を受講していた私は大学3年の時に社会科教育法、公民科教育法、という科目でご一緒しました…
社会科や公民科をどう教えるか?
そんなことを学ぶ科目ですが
その科目の話もしましたけど、結構脱線ぎみで(笑)オンブズマンの話をしたり、社会の話をしたりで
多くの学生は昼の後の授業だったこともあり爆睡…
しかし、そんな事はお構いなしにしゃべりまくった先生でもありました…
日高先生はどちらかというと、当時の島村町政には批判的で大学に来ては批判してましたね…
しかし、私は元来政治が嫌いでもないし、当時の日高先生にはまだ若かったですし、品というか気品がありまして、
他の教職課程の先生とはどっか違う雰囲気を醸し出してました…
なので、私は割に先生の話をよく聞いてましたし、鈴廣に行くときも相談をしたものです。
その後、暫く交流はなかったのですが、あ、いや、メールでのやりとりはしてたのかな?
松田町の町議の平野さんが選挙に出るとか出ないとか言ってた時に久々に先生からメールをもらったのか、
平野さんが繋いでくれたのか?は覚えてないのですが再会の機会をもらって
再開した先生は
流石に年をとってましたが、知的好奇心はいささかも衰えておらず…
私を島村さんに代わる町長に…と考えてくれた時期もあり、しかし、それは、本山町長が誕生したことでなくなり(笑)
そう、島村さんから本山さんに代わる時に非常に大きな力を発揮した方でもあったそうです…
考えてみれば松田町の町民として初めて私のことを評価してくれた人であり、後に私が環境分野で
COOL CHOICE、松田町木質バイオマス薪ボイラー、松田町再生可能エネルギー条例、
松田町特産品開発=まつだおひるねみかんジュースを開発したのも、この日高先生とのご縁があったればこそです…
日高先生、平野ゆりこさん、本山町長、このラインがなければ、私は松田町の環境分野をやることはなかった…
そんな意味でも大変に恩義のある人でした…
民主党政権誕生にも地域として神山洋介代議士誕生の為にも尽力してました…
確か91歳だったかな?
まさに大往生でした…
心からご冥福をお祈りします…