
小田原の成田
成田と書いて『なるだ』と読みます
私の自宅のすぐ近くにこんな供養塔があります…
ほとんど新興住宅が増えてるので知る人はいないと思います。
私も越してきて18年ですから新興組ですから知りませんでした…
まちづくりを共にすることもある方の親戚が私の自宅のすぐ近くに住んでいて
それで年に一度、地域の人たちも呼んで、確か天皇誕生日、いや、昭和の日か…その日に供養祭をする…というので
自宅から歩いて一分なので行くことにしたのが、こことの私の出会いです…
ここ2日連続で詣でまして、それは田植えを前にした水の確認で毎日出掛けていく帰りに寄るのですが
このブログも、いま、この供養塔の敷地のベンチで書いてます…
この供養祭を取り仕切っていた方が昨年亡くなられて、今年は身内でおやりになったそうです。
この供養塔は、小田原北条氏が滅亡した時、この供養塔を管理するご一族は北条氏の剣術指南役をやっておられたそうで
北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたのち、この成田の地にかくまわれ潜んでいた所、
豊臣側の落ち武者狩りにあい、一族郎党みな打ち捨てにされたものをここに葬ったのがはじまりだといいます。
その後、この供養塔は地中に埋められ、永く忘れさられていたそうです。ただ言い伝えでは残っていたそうです。
そしてこの地も畑になったりしたそうですが、ここで何かをすると、あまり良いことがおこらなかったそう。
そんなある時、畑仕事をしてると、この供養塔が地中から出てきたそうで、それで、忘れ去られていた供養塔の存在は伝承で残っていたので、その伝承と符合して以来、こうやって大切にされてきたのだ
と私は教わりました。
そういう意味では成田の守り神だと私は思い、それ以来、頭で意識して尊崇の念で折に触れて参拝しています。
成田選出の池田あやの市議なんてこんなこと知らないだろうよ…
もっと現場を見に来いだよな…統一教会との関係を作る前にね…
僕たちの周りには、知らないけどたしかに伝わっている地域の伝承というのがあります。
それをしっかりと後世に受け継いで行くためにも、こうしたことを自分の世代で伝え聞いて書き留めておくことも大切だと思います。