12年目の3.11「おひさまマルシェ&かなごて流域祭に寄せる」 | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

僕にとっては人生の分岐点ともいうべき12年目の3.11がやってきました。

 

震災と原発事故

 

これが無かったら、僕は今でも腐れ切った郵便局員だったかもしれない。腐れ切ったというのは、郵便局が腐っている(といえなくもないが)、


ということではなく、自分の当時置かれていた境遇を考えれば、恐らく、色んなことに「諦めて」数字を追い求めた保険の営業の気持ちはとうになくなり、堕落した局員になり果てていた、だろうということ。

 

郵便局を辞め、色んなことがあったけど、再生可能エネルギーと農業を組み合わせた事業を展開してきました。


ソーラーシェアリングでは、神奈川県では間違いなくパイオニア…全国でも私の名前を知らないでソーラーシェアリングやってる人っているだろうけど(笑)みたいな存在にはなったと自負してます(笑)


小田原のまちづくりでは歯に衣着せぬ言動で、為政者や権力者には問題児扱いされてますが、


なら同じことやってみたら?


と、私自身は意に介していません…


正しいことをいい、正しい行動をして干されるならそれはそれで構わないです…


それが僕にとっての小田原市長選挙でした…それがある意味、僕の小田原での地域づくりで評価を二分させるほどのインパクトをもたらし、存在感を格段にあげることに繋がったとは思ってます…


そうして、様々な事業、全国初の小田原初の横浜銀行初のソーラーシェアリング、おひるねみかんジュース、農家カフェシエスタ、木質バイオマスボイラー新設など


資本金41万円の小田原かなごてファームが、これほどまでに世の中でのインパクトをもたらしている事例など、さほど多くは無いだろうとも思います。

 

そんな私が、このテーマで初めて、足跡らしい足跡を残したのが

 

今日開催の「おひさまマルシェでした」

 

準備を開始したのは2013年の10月頃だったと思います。

 

あれから10年の歳月がたちました。

 

当時、33歳だった僕は43歳になっています。

 

何もないところら「持続可能な社会を創る、震災を忘れない」

 

そんな思いで企画を立ち上げました。

 

以来、だましだまし、やりながら、一回目から三回目はマルシェ形式で、四回目は場所を小田原駅前の地下街に場所を変え、五回目、六回目は再び小田原城二の丸広場に移し、マルシェを開催。

 

しかし、その次の年からは新型コロナウィルス感染症の関係でマルシェ開催が出来なくなり

 

七回目からはフォーラムばかりをやってきました。、

 

8回目は「震災から10年 持続可能な社会は創れるか?」というテーマでフォーラムを行い、昨年は「私の出版記念パーティー」を行い、古賀茂明さん、前川喜平さん、吉原毅さんを小田原に呼びました。

 

そして、今年。満を持して、おひさまマルシェ10回目の開催となりました。

 

私が前面に出るのではなく、今回は、私が、本祭直前に腰を痛めたこともあり、準備から何から何まで、小田原かなごてファームの活動に共感してくれた若者たちが多数、参加をして、この腰立たずの私の穴を埋めてくれました。

 

本気でやる気のある人が2人いるとちゃんと回るものだという事を改めて思い知らされました。そして、今の若者たちの素直さと、真摯さ。

 

いい意味で「俺が、俺が」がない人たちが多いです。

 

これを覇気がない、という人もいますが、それはそれで、野心がない、でも、志はあるっていう事もあるんだな、という事を、今の若者を見ていて感じます。

 

ただ、本当に地方創生とか持続可能な社会を創る活動をやりたいんだな、

 

そんな思いを持ちます。

 

これは大いに「今の大人が学ばなければならないところ」です。

 

今回も、私はうしろに、もはや控えにもなりませんが、デーンと腰を下ろし、

 

「兎に角、今のこんな原発を動かし、気候危機に真摯に取り組む姿勢を打ち出さない世の中に対して、パレードやらない、マルシェやらないなんてありえない。やるぞ」と声をあげているだけになってしまいましたが

 

そのことに意気に感じて、ついてきて、動いてきてくれた、多くの若者を中心とするそして、今まで運動をけん引してきた皆さんたちが形にしてくれたことを

 

心から誇りに思います。

 

さあ、本祭です。

 

思いっきり、楽しみましょう。

 

ここまで、準備を頂いた皆さん

本当にありがとうございます。

 

天は味方しました。神仏のご加護はありますからね。

 

最高の一日にしましょう。