昨日、3/19に小田原の中央公民館(けやき)で上映する
「原発をとめた裁判長」
という映画を上映するのに先立ち、実行委員会で中身を見ました。つまり試写会をしました。
「原発を運転してはならない」という判決を出した樋口元裁判長のドキュメンタリーを中心に、
私が血眼になって取り組む
「ソーラーシェアリング」
を二本松で取り組む同い年の近藤さんや共に就労する20歳の塚田さんらを中心とした中身です。
私も小田原でソーラーシェアリングを現場で作りこんでいく実践を行っているものとして、映像での展開はいちいち
「その通り」
と思う事が山ほどありました。
今回の実行委員会で中心的な役割を果たしている斎藤さんは、この二本松の出身。
20歳の塚田さんを幼稚園の絵画教室で教えたという経歴の持ち主です。実行委員長は前小田原市長の加藤憲一さん。
ソーラーシェアリングを行っているものとして、ソーラーシェアリングが希望の星として描かれているという事をとても嬉しく思っています。
原発の再稼働を許してはならない、といういわゆる樋口理論を確立した樋口裁判長。
退官して、弁護士にもならず、ひたすらに、原発訴訟に関わる講演を精力的にしている姿勢には共感と感銘を受けます。
樋口裁判長の判決文に
「原発を停止して化石燃料を燃やし続ければ、国富の流失、喪失を招くと電力会社はいうが、美しい景観、田園風景、ふるさと、それこそが国富であって、それをなくしてしまう原発と、化石燃料の購入による国富の流失を同列に扱い、その当否を判断することは出来ない」
という趣旨の判決文を書いています
また、
「原発は二酸化炭素を出さないエネルギーで環境に貢献すると言っているが、原発はわが国が直面した最大の公害であり、ひとたび事故が起きれば、取り返しがつかないので、環境に良いとはいえない」
という趣旨の判決を下しています。
誰もが「そうだよな」とうなづける判決文であり、これを否定してその後の裁判所は判決を導いているのですが、
そっちの方が論理的には破綻としている、という事は一目瞭然だと私は思うのです。
その樋口裁判長が、クレヨンハウスの落合恵子さんからの質問で「裁判官にとって最も必要なことは何ですか」との質問で答えたのがブログのタイトル…
「それは、やっぱり、独立の気概ですね」
独立の気概があれば、司法試験5回目で受かった決して才覚溢れる存在ではなかった(笑)自分のような法曹者であっても、こういう判決は書ける…
という姿は素晴らしいな、と思いました。
他にも大変に面白い、勉強になる映画です。
震災から13年。
改めて、あの時の自分たちが思った気持ちを振り返り、
これからの持続可能な社会を、未来を作っていく若者や子供たち、これからの人類のために、
今の僕たちがやれることは何か?
をしっかりと考えるためにも、この映画を共に鑑賞し
思いと価値を共有して欲しいと思います。
ただいま、チケット絶賛販売中です。
なお、この二回に渡る上映会の後、アフタートークには、監督と加藤憲一前市長と私の対談がございます。
こちらも精一杯、努めますので、ご覧いただければ、と思います。