私のように
「言いたいことを言い、やりたいようにやり、たとえ市長であろうが、商工会議所の会頭であろうが、違うものは違う」
そういうことを平気でいうことを
「かっこいい」
そう思ってくれていることはありがたいことではあります。
ですが、そういう、表面的なことだけとらえて、僕と同じように振舞うのは
「どうかな?」
今、中嶋君、長谷川君という二人が、小田原かなごてファームを引っ張っていってくれています。
その彼らは、僕とは似ても似つかない性格です。
小生意気ではないし、素直だし、聞く耳をきちんと持っている。
僕のように生意気で、頑固な部分もある、という人間ではない。
ある意味、僕は、地域の中で、
まったくの異端児であり、ふてぶてしい
本当のことだけれど、誰もが「いうに躊躇していること」でも「いってしまう」
お歴々や旦那衆たちにとっては
可愛げがない
のだろう。
そういう生き方は、とてもかっこいいと思うのかもしれないけれど
大変なのですよ
過剰にならない程度の自信もなければならないし、その自信を裏付ける勉強もしなければならない
徳も磨かなければならない
表面のことばかり見て、僕のようになりたい、と言ってただ真似るのは
危険です。
私が、かろうじて生きながらえているのは
神仏のご加護があるからです
そして、その神仏のご加護が何であるかと言えば
実践をしているからです
そして、その実績が積みあがってきているかです。
実践してても継続しないで、その場、限りのものならば
それは見抜かれてしまいます。
泥臭く、実践をしているからこそ、相当なたてをついても
かろうじて生きながらえることが出来るのです。
実践もしないで、ただ、僕のような振る舞いをしても
相手にされないだけです。
そこを理解していないな、と思う人もホントに稀ですがいますね。
僕と同じようにやりたかったら
実践をやり続けることです。
どんなに迫害されても、どんなことを言われても、自分の信念を曲げない
退路を断って覚悟を決めて腹をくくる
そういう「強さ」と「たくましさ」を持ち、「やり続けていく」
それをしなかったら、
ただの「わがまま」です。
言うからには「やる」
その緊張感が、今の僕を成り立たせているのです。
今の小田原のまちづくりで、正直、怖いと思う人はいません。尊敬できる人もいません。
畏怖する人というのは正直いませんね。
開明的だな、と感じる人もいません。
遅れているな、とか、自分たちの殻に閉じこもってばかりだという残念な人はよく見かけます。
僕は、そこを変えていきたいと思っています。
そこを変えないと、若い人に活力ある、未来ある小田原にならない。
そう、思うので。
さて、今日は6回目の松田町ソーラーシェアリング検討任意協議会でした。

非常に面白い議論が出来た、と思っています。
中身については、今度、また、書きます。
そして、明日からは、この協議会の最後の視察、山形県の酒田市に参ります。
雪がすごいとのことですが。。。
大丈夫なんでしょうか?