湯河原町のことなのでね門外漢ですが、当該の土屋町議とは、共に、あさか由香を擁して戦った同士でもありますし、
また、土屋さんか指摘した「みかんオブジェ」問題についても、私のおひるねみかんジュースは、湯河原で作っていて、
その関係で間接的にではあっても、みかんを活用したまちづくりについては志を同じくすることもあり、この点について私なりの考えをまとめておきます。
結論から先に言えば、私は、土屋町議は議員辞職すべきである、という立場です。
今回の土屋議員の行為は本人も認めている通り「事実であり、軽率な行為であった不徳の致すところ」「弁明も釈明もする余地がない」と言われています。
そういう事になると、本人が、違法性を認識していたか?どうか?という事についてはあるものの、犯罪の構成要件は満たしてしまう事になります。
法学部の常識ですが「犯罪とは、構成要件に該当する、違法で、有責な行為」とされます。
と、するならば、違法性の所については見解の相違が出てくるでしょうが、捜査当局としても、この部分について慎重に捜査がされるのでは?と思います。
行政罰としても、過料の制裁がある、とのことで、30万円の罰金が科せられる可能性を否定できない(多分されてしまうと思います)案件だと思います。
本人は、この記事の後に、自身のSNSを公開し、「議員辞職しない」ということを明言されました。
理由としては、自身が掲げてきた政策をさらに前に進め、深化させていく、必要があり、そうしていくことが、負託を受けたものの責任、という事だそうです。
その考えについては、私は、民主主義下の日本ですから、尊重します。
ですが、私の考えとは違います。
今回の、真鶴町の選挙人名簿流失事件は、松本町長がそういうことをした、ということの派生として、真鶴町議と土屋湯河原町議が、加担していた、
ということです。
私は松本町長は即刻町長をやめるべきだと考えています。これは、犯罪です。今の時代では。犯罪行為をしていて、どうして、町長の職責を全うできるのでしょうか?行政が停滞しています。
僕は、土屋町議と、あさか由香の選挙で藤沢でも応援スピーチを一緒にやりました。彼女のガンガン主張する姿に、激しく共感もしますし、
同じ同質性を感じもします。
できる事なら、応援してあげたい。私なりに彼女の良さを理解しているからこそ、ここは、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ではないか?と思っているのです。
僕は、理不尽で不誠実なことに関しては、タブーを恐れず、たとえ、商工会議所の会頭であろうが、小田原市長であろうが、歯に衣着せず発言もしてきます。
そんな私の姿を奔放だと思う人もいるかもしれません。でも、私は考えて発言しています。
私がなんで、小田原市長をあれだけ糾弾するのか?
政治・行政というのは信頼なのです。
信なくば立たず
てす!
どんなにいい政策を遂行しても、そこに、信用や信頼がなければ、人はついてこないのです。
10万円配るといっーて配らなかった市長。そのことに対して明確に謝罪をしなかった市長をいったい誰が信用しますか?
市立病院の入札がある二日前に、結果的に落札した竹中工務店に自分たち幹部が大挙して出向いて、それで、何もない、という事が通用するのですか?
李下に冠を正さず、
という言葉があります。
そうした指摘を神奈川新聞がして、そのことに対して真摯に反省するならばまだしも、こともあろうに、新聞社に抗議して、訴訟も辞さず、なんて、けつの穴の小さいことをする。
統一教会との癒着は、勝つためには、票をもらえれば、反社会的勢力のような団体とおつきあいしてもいい、という、節操も何もあったものでもない、
という積年の政治活動行動そのものが、守屋輝彦という市長の資質に対して、不信感を招いているのです。彼はそのことに対して、市民に対しての説明をしない。
守屋氏にとって市民とは、自分を担ぎ上げてくれた、投票してくれた人間だと思っているようで、僕らのような市民は市民ではないのです。
土屋さんも、本当にたくさんの、町政に対する問題点を、改善点を指摘しています。そのこと自体は、政治家として素晴らしいと私は思っています。
ですが、それも、土屋さん自身が、信用され、信頼されているからこそ、町民の負託を受けて、議会で執行部に対して申し述べられることと思います。
今、真鶴の町長が、様々なことを議会に上程しても、副町長人事は否決される。そうしたことに代表されることが起きていて真鶴は職員も抗議の辞任を繰り返し、町政が停滞しているのです。
それは、政治や行政に対する信認や信頼が揺らいでいるからです。
小田原とて、加藤憲一さんの時のような、市民、経済界、行政が連携して行う町づくりとは程遠い、市長が分断をあおり、助長することに繋がってしまっています。
すべからく、政治行政に対する不信感を首長や議員が植え付けた結果と言えます。
残念ながら、今の土屋さんは、そういう風に見られてしまっている、という事です。そういう人が、たとえ、正しいと思われることを言っても、それをどうして町民が信用してくれるのでしょうか?
今の地位に連綿として居続けるよりも、ここは、一切の弁明もせず辞職して、次の選挙で自分の見解を堂々と訴え、ご自身の政策を訴えて審判を仰げばいいのではないでしょうか?
それが、トップ当選をされた政治家の出処進退ではないか?
よく、出処進退は政治家個人のなんてきれいごとを言いますが、私は、そうは思いません。
民主主義というのは、治者と被治者の自同性と言われます。国民や市民や町民のチェックがあってこそ、政治家は、政治家たりうるのです。
そうであれば、私は湯河原町民ではありませんが、民主主義は、私たち国民の不断の努力の上に成り立つ、とすれば、これは、しっかりと意見をしなければならない、と思い、ここに書きました。
私は土屋さんを貶めたいわけではありません。
土屋さんが、これからも、もっともっと政治家としても、市民としても、そして、人間としても幅の広い、多くの人から共感される存在になってほしい。
そういう観点で考えた時、今回は議員辞職は不可避である、と思っています。
多くの人って、苦言を呈さないですからね。あえて苦言を呈しておきたいと思います。
いま、議員辞職しないと、非常に厳しい局面に立たされるのではないか?そして、そうなってから議員辞職をしても傷口に塩を塗るだけで、政治生命もたたれてしまうのではないか?そう、強く思っています。
誰とは言わないが、彼女を「よいしょよいしょ」した人たちは、もっときちんと「鈴をつけるべき」だとも思うし、
土屋さんがやめないと言っている時こそ、苦言を呈する事こそ、本当の仲間ではないでしょうか?
良薬は口に苦し
という言葉もあるのですから。。。