僕は保守です。
それも、学生時代から石原慎太郎、中曽根康弘、渡部昇一、小室直樹などを読み
新聞は産経、読売を読んでいた学生時代でしたので、
筋金入りの保守
です。父親の職業柄、そうした考えに馴染みやすかった、とも言えます。
子どものころ、何となく「共産党には近づいてはいけない」という雰囲気を感じて生きていました。
戦後の歴代保守政権は、憲法との整合性に心を砕きながら、
国是ともいえる、二度と戦争をしない、という不戦の誓いの中で、国際貢献の道を目指してきました。
PKO協力法の時も、イラク戦争の時でさえ、私の先生でもある小泉純一郎さんでさえ、集団的自衛権は行使できない、という事をきちんと言っていました。タカ派であっても、則を超えない、という矜持を持っていました。
今回の参議院選挙。
自民党に加えて、維新の会が票を伸ばすとみられています。
自民、維新、国民民主党、それになぜか平和の党、公明党で2/3を取る勢いです。そうなると衆議院でも既に2/3ですので、これによって、戦後一度もなかった
憲法改正の発議
が、できるという政治日程が出来てしまう事になります。
これは、非常に怖いことだと思います。
自民党の憲法草案は、日本国憲法の究極の価値目的である「個人の尊厳」よりも「公・国家」という色彩が極めて強い、大日本帝国憲法下、教育勅語色の強い復古主義的な憲法観です。
個人の自由よりも、公に尽くすことを最優先する。家制度ならぬ家族を大事にする。大事にというより、家族のもとには個人は犠牲にされなければならない、という極めて押しつけがましい、抑圧された生き方や暮らし方を説いている内容となっています。
戦後、不戦の誓いと共に、育まれてきた中身を大きく変えかねないのです。
そういう意味で、今回の選挙は
政権選択ならぬ、この国の形を決める大切な選挙である
そういう事が言えると思います。
私は、学生の時、勇ましい保守、というものにあこがれていました。
だからこそ、今、凄く思うのは
狭量な愛国心、勇ましさを誇る愛国心、祖国を愛せという押しつけの愛国心や偏狭なナショナリズムを煽って国家運営をすることの愚かさ
です。一見かっこいい、勇ましいと見えても、その中身は空っぽです。虚無感、虚しさしか残りません。
この国が何か誤った方向に進んではいまいか?
僕たちは取り返しのつかない道に歩みを進めようとしているのではないか?
僕は、自分が保守であることに誇りを持っています。
その人間でさえ、あまりに右に寄りすぎるヒステリックなまでの右というか、排外主義につながる、そして、異見を受け付けないような雰囲気に心からの危うさを感じています。
歴代の自民党政権は、しかし、権力は抑制的に謙虚に使うもの
という自覚がありました。
今は、なんでも、数の力、で、なぎ倒し、押し倒してしまいます。
そして、
権力は腐敗する、そして、暴走する
そんな状態に本当に心を痛めています。
ピリッとしない保守を正すにはどうすべきか?
禁じ手と保守からは言われる共産党さんと連携して、あさか由香さんを神奈川から、この暴走にくぎを刺す、ということです。
今の、このリベラル勢力の弱さ、衰退を心から憂いています。
この、なんでもイケイケゴーゴーでやれてしまう、この雰囲気にあらがう事は出来ないのか?
その虚しさを感じつつも、望みは捨ててはいけないのだ、と気持ちを鼓舞して
これからの選挙応援で、そのことを強く訴えていきたいと思っています。