今、小田原市議会では次年度の予算案の審議が行われている最中だという事は承知しています。
今回は、国の動きとも連動し、加藤市政の公約でもあった小学校の給食費の無償化、中学校の一部無償化、そして、高齢者向けには補聴器の一部無償化が実現するらしい。
ま、加藤市政が大嫌いな自民党系の連中は、昨年のように主権者教育の予算などを潰しにかかる修正動議を出すという底意地の悪さを示しましたが、今年はどうなんでしょうね?
そういうことをやったら、結局のところ自分たちに帰ってくる、という事をもう少しご認識された方が賢明かと思いますよ。
とりあえずはやらせてみて(大したお金じゃないんだから)、決算で文句を言えばいいんです。
しかし、給食費の無償化、補聴器の一部補助。。。最近の政治はどこかバラマキ感が国も地方も満載な気がします。
いや、実際にバラマキの話が実現しているのか?どうか、という事はひとまず置くとして、
社会保険料の引き下げ、消費税の食料品課税ゼロ、高校無償化、給食費の無償化など、
およそ、政党はこうした政策を競うように提案しているわけです。
今、国も地方も財政は非常に厳しいのです。義務的経費への支出が非常に多くて、自治体独自に自由に使えるお金はほとんどありません。
現下の物価高で国民は物凄く苦しみをもってはいます。私もその一人です。そうした意味で様々な負担が軽減される給付だったり無償化は嬉しい部分もあります。
ですが、給付と負担のバランスを度外視すれば健全な財政運営を未来に向けて形成することは出来るのでしょうか?
昨日も書いたけれど、
自分たちは給食費の無償化が欲しい、紙おむつの無償化が欲しい、補聴器が欲しい、
などど話をしていたら、とても財政は成り立たないと私は思います。
公約は守られなければなりません。守屋のように一人10万円配ると言っておいて、
200億円近い財源も具体的に示さないで、挙句に市長になったら配らない、ということでは政治の信頼性は担保できません。
今回、何とか加藤さんは公約を守ったことになります。それはそれで評価します。
じゃなきゃ何で加藤さんが戻ってきたのか?支援した人も意味不明になりますからね。
ただ、だからと言って、次は紙オムツだ、なんだという際限なき無償化、給付を求めるというのは、
理性的な市民とは私は言えない
と思っています。
いや、それを求めることはいいでしょう。ですが、もし、求めるならば、その裏付けとなる財源をしっかり示して迫らないといけません。
市民にそれが出来ないなら、それこそ、そこは市議会議員がその部分をしっかりと提案し、政策の実現をせまるべきです。
そーいうのが小田原の市議会には残念ながらあまり感じません。
私は、市独自の課税を検討してもいいのではないか?とさえ思っています。
具体的には
「仮称おだわら森里川海保全税」
小田原の豊かな自然資源を後世までに守っていくために、市民一人当たり500円程度の超過課税をお願いすると同時に、
市に登記を置く中小企業にかつて東京都知事だった石原慎太郎さんが掲げた外形標準課税(つまり、事業規模に応じて課税する。
売り上げではなく)のような形で市独自に税を徴収する。
大体、一億円程度の財源はこれで確保できるので、それで小田原の森里川海の保全に資するような農林業政策、環境政策などに活用する。
環境公社のようなものを作り、そこを基点にして得られた財源を配分するような仕組みにする、
ということをやる中で、財源に裏打ちされた給付の設定という所までしっかりと訴えていくことが、
責任ある市民としての振る舞い
だと思います。
環境公社は加藤市長のマニフェストにありますからね。
その構想をヒントにしました。
昨今の小田原市民だけではなく国民全体にある「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮に基づく、
自分たちの負担さえ減ればあとは知らないというような、無責任な財政出動を助長するかのような言説ではなく
財源論から逃げず、しっかりとその部分を表明し、財源をひねり出したうえで給付を求めるという当たり前な市民感覚は小田原市民にはしっかり持ってほしい。
今は、単なるたかりや
と変わらないぞ
という意味で、私は大変に心配しているところです。
