ディオマガに掲載されていた会見内容を昨晩から3,4回読み返して、ようやくその背景が立ち上がってきた感じがします。その結果として前回記載した私の推測は情報収集不足、分析不足による見当違いの結論であることが分かりました。己の見識の無さに恥じ入るばかりであります。深くお詫びして撤回したいと思います。前回、前々回の記載にもこのあと補記しておくつもりです。

では怒りはおさまったのか?否。この理不尽さに対する怒りは私自身の中でより先鋭化しています。しかし同時に、たとえば個人のだれかにそれをぶつけることで発散できるような単純なものではない、ということもまたはっきりとしてきています。逆に我々は、この怒りをエネルギーに換えて次の活動に繋げていかなくてはなりません。そのあたりも含めて、私の現在の理解を記載したいと思います。
なお、この記事では高橋社長は「解任された」として叙述します。手続き上は辞任処理として扱われる事は承知していますが、このあと最後まで読んでいただければその理由も自ずとご理解いただけると思います。


まず、何故高橋社長は解任されたのか。その理由は(1)~(4)のいずれでもありませんでした。高橋社長は、
(5)高橋氏が社長に居続けると困る人がいるから
解任されたのです。では、誰が、どういう理由で困るのでしょうか?

高橋社長の理事長代行就任からの主な実績を並べてみましょう。

・川越前理事長の後任探し(代行就任)->後任として正式就任
・前理事長時代に作った累積赤字の解消
・運営法人の株式会社化、アビームコンサルタントを招き入れ収入規模拡大に関する公益法人であることの制約を取り払う
・J1再チャレンジ
・専用スタジアム問題に関する取りまとめ(未完)

こうしてみてみると、現場の強化は主に中井川専務に任せつつ、クラブフロントとしての体制強化に軸足を置いて二人三脚で活動されてきたことがよく分かります。個別に見てみましょう。

・川越前理事長の後任探し(代行就任)->後任として正式就任

副知事として兼任で後任探しを行い、なり手がいないからか自分が適任と判断したのかそのまま理事長に就任されました。これだけだと是非の判断が難しいですが、その後

・運営法人の株式会社化、アビームコンサルタントを招きいれ収入規模拡大に関する公益法人であることの制約を取り払う

という一大事業を成し遂げます。社長就任にあたっては県副知事を辞任しており、コンサルタントが知恵袋として付いているとは言え、事業のすべてについて必ず自分の言葉、自分の意思として語っているところを見ても、一連の取り組みに対する真剣さが見て取れます。またこういうクライアントはコンサルタントにとっても非常によい顧客であり、アイデアや知恵を出しやすいという面もあります。決して言われたことをすべて採用するわけではなく、要否を自分の考えとして最終的に判断する、というスタンスを貫いてくれるため、コンサルタントはより親身にかつ主体的に提案を続けることができるようになります。一方でアビームコンサルティングも大株主でありながら最終決定権を山形県(+協会)に委ねる、最後は主体として県を立てるスタンスを一貫して取っています。このような関係を株式会社化の過程できちんとアビームとともに築き上げた当人であり、その後関係の悪化を示す兆候が見当たらないことから、アビームがこのタイミングで高橋氏を解任させたい、と考える材料は見当たらないとしか言えません。

では、今回辞任を伝えた協会の理事長でもある細谷副知事はどうか?副知事を兼任する協会の理事長という立ち位置を考えた場合、口やかましいサポーターやスポンサーからのプレッシャーは株式会社が一手に引き受けており、協会は短期的に注目を浴びて結果を評価されてしまう事が少ないアカデミーや駅伝事業に特化することができます。言い方は悪いですが、こちらは天下りでのんびり就任してもそれほど難易度は高くなく、高橋氏が理事長、もしくは副知事としての立場に厄介ごとを持ち込むことにでもならない限り、わざわざ衆目を浴びながら解任を強行する理由はないでしょう。またもう一方の大株主としても

・前理事長時代に作った累積赤字の解消

という活動を行っており、文句の出る部分は見当たりません。

・J1再チャレンジ

これは主に強化部の実績ですね。そうすると残るのは・・・


・専用スタジアム問題に関する取りまとめ(未完)

高橋社長の会見でも、ここがもっとも不透明な部分です。私の認識の甘さを痛感する点のひとつとして、専用スタジアム建設に対する県知事、県のスタンスを正確に理解できていなかったところがあります。私は「相応しい条件が整ったら考えるけど、今はまだ考える時期でない」という位かと思っていましたが、ディオマガの記事などによると実はそれよりもずっとネガティブであるようです。山形市長の突然のスタジアム談義、ホーム移転構想や天童市の反発など、地元の利害が真っ向からぶつかる非常に面倒くさい状況で県知事は早々に仲裁することをあきらめ、クラブに一任する、という形をとります。高橋社長はそれを受けて、独自に諮問機関を設けて検討を行います。

果たして、県は本当にクラブにその検討を一任したつもりだったのでしょうか?つまり、その検討結果が十分練られたものであれば、どのような結論でも受け入れる準備があった、と言えたのでしょうか?
または、はじめからある種の結論を期待してはいなかったでしょうか?

会見におけるこの件の話されぶりを見る限り、高橋氏の渾身の検討結果は、どういうプロセスを取って専用スタジアムを建設すればよいか、つまり「スタジアムは必要」という方向性を持ったものであることが推察できます。また、コメントの中には、この検討結果が街づくりにまで言及していることを示唆するものもありました。Jリーグの事例調査や鹿島、千葉、吹田などに見られるスタジアムを中心にすえた大規模な都市開発計画を構想として備えていてもおかしくはないでしょう。いかにも、高橋氏の仕事ぶりから容易に推察できるアウトプットであるように思われます。

一方、仮定の話としてもし「そのうち、もうちょっと人気が定着してお金の心配をする必要がなくなったら考える」などと、適当にお茶を濁しておいて立ち消えにでもしておけばいいのに、と考えている人が、そのような高橋氏の検討内容が公になり、引き続いて自分にボールが渡されて次のアクションを決定付ける判断を迫られそうだ、ということが分かったら、その人はどんな事を考えるでしょうか。

スタジアム検討の結果公開を延ばされた挙句、今度はたった数日の臨時株主総会の日程までも前倒しされて息つく暇もなく、つまり取っておきの切り札をリークする余裕を与えられずに高橋氏が解任された、ここ数日間の慌しく目まぐるしい日程は、このように考えるとなんとなく辻褄が合うように感じられます。この検討結果は高橋氏個人ではなく、株式会社モンテディオに帰属するでしょうから、解任された高橋氏にはこの検討結果を独自に扱う権利はもはやありません。新体制の新社長が、継続して”適切な”取り扱いをすることでしょう。

そのように考えていくと、高橋氏の解任理由として「J2降格の責任」「黒字を強化に適切に利用できなかった」「動員の不振」などもっともらしいことを並べておきながら、後任者の選定理由を「明るいから」などと衆目の前で噴飯ものの説明をさせられた副知事も、実は自身が役人組織の中での道化であることを十分自覚されているのではないか、という思いがどんどん募ってきます。その立場であれば、それしか言えないでしょう。「私だって面倒事さえなければ無理に辞めさせたい訳じゃないのに。」なにせその”とにかく明るい”後任者の本当の役割は、協会や県をも巻き込んで大論争に発展すること必定の厄介事をもみ消して先送りにすることなのですから。

そうすると、我々のしなければならないことはこの怒りを感情のままにしておくことでも、到底民主国家の地方自治体とは思えない社会主義的事なかれ官僚機構の中で、順送りの結果介錯役や後任後始末役を仰せつかった定年間際の気の毒な地方公務員を吊るし上げることでもなくなってきます。しかし一方で、今性急に専用スタジアムの議論を進めてしまうことが、巨額の税金をごく一部の利益共同体のために投資してしまうことになるという実情から目を背けてはいけません。我々は、モンテディオ山形を、本当の「県民のもの」にしなければなりません。んだスタを毎回満員にして、チケット不足になって、スタジアムに来ない県民もみな一同にクラブの動向、成績に注目して、もはや「たかがサッカーにいくら金をださせるつもりだ」などと寝惚けても言えないようにしなければなりません。

そしてもしその”とにかく明るい”後任者がある程度まともな中間管理職であったなら、やがて組織に任ぜられた元の役割を遂行することよりも、今の高橋氏と同じように、どうすればモンテディオが成長し、どうすればクラブが山形県民と不可分のものとなり、そしてどうすればモンテディオと山形がともに元気になれるのか、そのためには自身がもみ消したアレはどのように扱うべきなのか、自身を見直すきっかけを持つ、そのくらいの勢いで、クラブとチームを支えていこうではありませんか。モンテディオが「サッカーチーム」であり続ける限り、逆に言えば「サッカーチーム」でしかないうちは、このような理不尽な扱いはなくならないでしょう。「年間15億も使って何が不満なんだ」と。相手は株主であり、同時に役人、政治家です。我々がそれを凌駕する正攻法しか道はない、と考えます。

もちろん、推進派の知事を当選させればいいんですけど、それで県民の生活が他のところで悪くなっちゃったら意味ないですしね。
ディオマガに会見に関する記事が出ていた。高橋社長に詰め腹を切らせたのは副知事である細谷知行理事長であるそうな。顔写真から受けた印象はここでは記載しない。名前は覚えた。次期社長の森谷氏の評価によっては、細谷氏にも累が及ぶことであろう。私は高橋社長の無念を忘れはしない。絶対にだ。


※11/27 追記撤回:私の分析不足と不見識による誤った意見でした。お詫びして撤回します。最新の意見にご興味があればこちらをご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/endunaoyaatsushi/39729184.html 高橋社長の解任について・訂正と補足
株式会社モンテディオ山形の初代社長である高橋氏が辞意を表明しているニュースは耳にしていたが、ニュースサイトの記事やライター嶋さんのツイートなどによると株主である県からの辞任要求が元であるらしい。もう一方の大株主であるアビームコンサルティングは最終決定権を山形側に委ねるスタンスであることを表明しており、その姿勢はここでも変わらないだろうから、県の意向ということになれば協会とあわせて多数意見ということになるであろう。ブログやツイッターなどのコメントを見る限り、高橋社長の業績を評価し今年の成績不振・J2降格を理由として退任すべきでない、というのがファンの多数意見と読み取れたのだが、今日開催された臨時株主総会ではそれとは逆の結論が出てしまったようである。

本当のところ、退任の理由は何なのだろうか?今後新社長の業績を評価する基準という意味でも、考えられる理由を整理してみたい。

まず、高橋氏本人は辞めたかったのかどうか。上記リソースによればその可能性は低いのだが、
(1)高橋氏本人が、本年の成績不振を理由に辞めるべきだ、と考えている
(2)成績そのものは退任には値しないが、別の理由で辞任したいと考えている
次に、高橋氏は続投を考えているが、周囲がやめさせたい場合のパターン
(3)県が、高橋氏の副知事(またはそれ以上の役職)への復帰を望んでいる
(4)県が、降格に必要以上に反応している

(1)は、シーズン前の高橋氏のインタビューなどからみて、こういう勘違いを自身の進退問題に関わって行う人ではなさそうに思われるので、可能性は低いと考えられる。
(2)は、これは最近のニュースリソースでほぼ否定されているのであるが、もし仮にそうであったとしたら、これはもうご本人の意思を尊重するしかない。前理事長の後釜探しの段階から県の副知事という役職を兼ねたまま代理就任され、正式就任からJ1昇格まで、中井川専務との分業で株式会社への分離など、クラブの体制強化、海保前理事長が打ち立てたクラブの土台を人依存から組織体制に昇華させた功績は、まぐれで昇格したチームが1年で降格したことの責任などとは桁の異なる偉大なものである。そのすばらしい業績を称え、望まれるなら再就任を心待ちにしていることをお伝えしたいところである。

しかし、可能性は後者の方に絞られる。

(3)残念ながらこのケースであればまたやむを得ないというべきであろう。高橋氏の業績を見たときの正直な感想は、「山形県の役人にこんなに組織を動かして仕事ができる人がいたのか」であった。県から見てモンテディオの運営がそれほど重要ではない、という評価はやや悲しい事実となるが、次に就任される役職によってはそれもある程度納得できるものであるかもしれない。

一番恐れているのは(4)のケースである。クラブの立ち位置を冷静に鑑みることもできず、プレーオフでの勢い勝ちによるJ1挑戦のチャンスを実力と勘違いし、1年での降格を上記のような業績と天秤にかけ(もしかすると掛ける事すら忘れ)、誰も望んでいない責任問題をわざわざ俎上に乗せてあたら有為の人材を首切ろうとしている、という状況である。さらに恐ろしいのは、そういう事をやらかす組織というのは、次に連れてくる人材の評価についてもそういう程度のことしかできない、という事である。かつて前理事長がどのくらい理事長職就任を望んでいてどのくらいその職責の重みを就任前に理解していたのかはよく分からないが、当時の状況から「次は俺だな」くらいの認識で就任した可能性は十分に考えられる。その結果、本人の体調に影響が出るほどの状況に陥ってしまった。体制が社団法人であろうが株式会社であろうが、サッカークラブのトップは天下り先外郭団体の役員とは訳が違うのだ。ところてん式に座るべき椅子ではない。人柄で言ったら前理事長だって良い人であったろう。だが評価の軸はそこにはない。

株式会社の社長を決めるプロセスは、正しい権利のある人々によって正しい手順で行われている限り私に決定を覆す手段はない。ただ、もしその理由が(4)であったとすると、そのようなサッカークラブに相応しくない判断を行う組織体制への反発、その矛先は残念ながら新社長に向かうことであろう。必然的に評価のハードルは上がる。産業技術振興機構という組織がどのような人材を送ってくるのか、株主総会や取締役会でのアビームの振舞いも含め、お手並み拝見である。


※11/27 追記撤回:私の分析不足と不見識による誤った意見でした。お詫びして撤回します。最新の意見にご興味があればこちらをご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/endunaoyaatsushi/39729184.html 高橋社長の解任について・訂正と補足
高橋社長の留任を支持します。想定内の降格程度で社長を挿げ替えられるほど次々人材を輩出できる素地などなかろうに。来年への決意と具体的な対策をきちんと出していただき、継続してクラブを担っていただくのがベストと考えます。

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前回4クラブの中計を概観する中で、FC東京は中期計画のフレームワークまでも規定している事を紹介しました。今回の記事で詳しく取り上げますが、ざっと見ていただくだけでも他のクラブが規定する内容と大きく違っている部分がある事がお分かりいただけるかと思います。あるいは、組織として中期計画策定に取り組む姿勢、力の入れ具合の違いのようなものが現れているというようにすら思えます。策定にあたって外部からコンサルタントを招いて検討したのか、はたまた内部に専門の人材や組織を育てたのかは分かりませんが、もちろん規定する中期計画の中身そのものはまぎれもないFC東京のものですが、その骨組み、構成は非常に汎用性の高い内容となっています。ここでは、この骨組みすなわちフレームワークを規定する部分を抜き出して解説してみたいと思います。いちおうこのあと個人的にポイントを挙げて山形の中計策定を試みてみるつもりでいますが、おそらくは本章がこの記事のメイントピックになるではないか、と推測しています。

FC東京の中期計画は正式にはFC東京2015VISIONとして規定されています。詳細はオフィシャルホームページから参照ください。


この規定記述について、中期計画のフレームワークという観点から全体構成を見てみると、意味合いと実際の章立てとが若干違った形で大きく2つの部分に分かれていますので、まずはそれを確認してみます。

「1.理念体系を再定義する動機の解説」
・FC東京2011VISION 振り返り
・FC東京2015VISION 策定の背景

「2.理念体系とVision(中期計画)」
・理念体系
・2015VISION
・行動指針と基盤

前半、2015Visionの背景のところまででフレームワークを導入する理由付けを行い、その後でフレームワークの定義とその枠組みに基づいた中期計画の説明を行っている、という構成です。
なぜ導入の理由付けを説明しているのか、という点は後で述べますが、中期計画のフレームワークの記述は主に2.の部分になりますので、そちらを先に見てみます。


「2.理念体系とVision(中期計画)」

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冒頭に理念体系として、クラブが規定する様々な内容の全体構成を図示しています。端的にはこれがここで抽出したい中期計画/理念体系のフレームワークの内容となります。FC東京でいうビジョン、一般には中期計画が、年度計画と理念にはさまれるような構成になっています。それぞれがどんなことを規定しているのか、それぞれの関係はどのようなものか、横や下にある行動指針や基盤の規定内容はどんなものか、などをもう少し詳しく見てみましょう。


年度計画

クラブの活動といえばトップチームがリーグや各種大会に参加し、目標の成績を収めることを目指して試合を行うことがもちろん第一にあります。しかし、当然ながらそれだけでは実際のプロフットボールチームは成立できなくて、クラブはそのほかにも様々な活動を行う予定を立て、さらにそれぞれの目標を立てることになります。その集合がクラブの年度計画になります。
しかし、トップチームの成績目標以外のすべての活動についても目標を掲げるとすると、その目的や意味は一体どこにあるのでしょうか?クラブは、何を目指してそれらの活動を行うのでしょうか?


理念

この質問の答えを体系化するには、クラブの存在意義の規定を避けることはできません。一般に団体・組織や法人には、それが存在する目的というものが、組織自身の維持継続のために必要となります。それぞれの団体や法人によって、あるいは個人のため、または別の一法人のために設立されるケースもあるでしょうが、Jリーグに参加するクラブの場合は、リーグが明示的に要求するようにサッカーを通じてホームタウンに貢献することがその目的の中心となります。

アマチュアの企業チームだった時代にチームの成績目標を掲げれば事足りていたのはなぜか?それは、チームの生殺与奪は企業がそれを握っており、チームはその前提において目先の活動に目標を立てて邁進すれば済んでいたからです。もしかすると、良い成績を収めれば翌年の活動になんらかの影響が出たかも知れません。しかし、競技の成績がチーム自体の存在を保証する、という訳ではなかったのです。現に、チームの成績如何にかかわらず翌年の活動が制限されたり、チームそのものが活動休止や廃部になる事例はJFL以下のアマチュアレベルでは現在でもしばしば見受けられます。

一方、モンテディオで年間10億円、一般のJ1レベルならそれ以上の資金を集めて活動しようとするJクラブでは、その資金を使うにあたり出資者であるスポンサー企業、地元自治体に対する責任が発生していると考えるのが自然です。いまだ出自としての親企業が大スポンサーとして存在するクラブも多くありますが、少なくともホームタウンにおけるJクラブの存在が、前述のような一企業の福利厚生事業としてのアマチュア活動に留まらない範囲に拡大してきていることは、横浜フリューゲルスの合併消滅騒動などからもすでに明らかです。また、Jリーグもその反省から同様の事例が発生しないよう、経営的な問題を抱えるクラブへの指導・支援を強化していることも、こういった理解がリーグレベルで共有されていることの証左といえます。

ちょっと話がそれましたが、そういったアマチュアとは異なるJクラブは、フットボールやそれ以外の活動を行うことの意味や根拠、それを正当化するためのクラブの存在意義の定義を持つことにより、ある種の公共財として、地域社会における一定の存在感が生まれることになります。クラブはそれを受動的に認識し受け入れることも可能ですが、自らそれを積極的に定義し、その理想的な姿の実現に向かって進んでいくことが一般的であり、かつ望ましいと言えるでしょう。その場合、その理由や目的、何をする存在か、といった自己の定義や活動に関するアウトラインを文章化し開示することが重要な対外説明の一つであり、あるいは半ば責任として求められることになります。

その時に描く理想像が、ここでいう「理念」となります。後でまた触れますが、こういう背景から想像するに、理念は基本的には年毎に変化したり、単純にクリア可能な数値目標だけを規定したりするような内容にはならないであろう事がお分かりいただけると思います。


中期計画

クラブの存在意義として理念が規定され、クラブのすべての活動は年度計画としてその目標が規定されるべき、と説明しました。しかし、基本的には変わらない理念と、毎年の状況を踏まえて策定される年度計画では、やはりそのスコープ・粒度に隔たりがあって、実際に比較評価を行うのが難しい場面も想像されます。そのため、年度計画よりもうすこし大きい粒度の目標を間に挟むことで、両者が段階的に連続していることを客観的に評価できるようにする事が考えられます。これが、中期計画です。

たとえば大会の成績について、毎年前年を超える成績を上げることを目標としたとしても、必ずしもそれが達成できるとは限りません。達成できなかった目標を見直したりしながら毎年の目標に向かって活動を続けていくことになりますが、その時の反省、目標の見直しを短期的な視野だけにおいて続けてしまうと、往々にして目標の達成そのものが目的にすり替わってしまうことがあります。それを避けるためには、年度計画の積み重ねをすることで初めて達成しうるような目標を別に設定する必要が発生します。

または逆に上流から、理念を実現させるために、その実現された姿を具体化しつつ中期的な目標を掲げることも考えられます。中期的という目安は、多くのスポーツが1年を1シーズンとするときに、1シーズンでは実現し切れない、数シーズン・数年をかけて繰り返しチャレンジすることで達成するような目標、ということができるでしょう。理念から詳細化する場合も年度計画から積み上げる場合も、目指す所が同じであることが理解できるかと思います。


中期計画と理念、年間計画の関係

以上を踏まえて理念体系の概念図に戻ると、これはそれぞれの規定内容の間のスコープ・粒度、もしくは時間軸的な関係性を表している、と理解することができます。つまり、毎年策定する年度計画は、その評価、見直し、次の計画策定、というサイクルを繰り返すことで中期計画の目標の実現を目指すことになる、という関係です。さらに同じように中期計画についてのサイクルを繰り返すことでクラブの理念を実現しよう、という事です。その意図するところは、年度計画の策定や評価・見直しは、中期計画の方向性に沿って実施されなければならない、ということであり、同じように中計の策定評価はクラブの理念に沿って実施されなければならないわけです。そうすると結局、理論上すべてのクラブの活動は、クラブの理念に沿って行われることになります。クラブの理念が中期計画に具体化され、さらに年度計画に詳細化され、それがまたクラブの各構成メンバーの作業に落とし込まれているからです。そうすることで、今日クラブの各担当が行っている活動の一つ一つがきちんと意味を持って時間軸的に積み上がり、定期的な評価や見直しを経てクラブの理念の実現に寄与する、という構造が初めて体系化されることになります。

実際の実行においては、年度計画や中期計画について、それぞれの目標に対してPDCAサイクルを実施することになります。単純な数値目標だけでは、達成か否か(0%か100%か)しか評価のしようがありません。「これは80%達成だな」などという評価は往々にして恣意的・主観的なものに終わってしまう懸念があります。しかし、それぞれの目標について、上位概念(理念や中期計画)を引き合わせて評価することで、そういった60%や80%というような評価を、客観的に行うことが可能となります。もちろん評価基準の事前準備は必要ですが、目標が達成できなかった=ダメ、という単純で極端な判断に陥らずに、その活動がどのように理念の実現に向けて寄与できたのか、一方未達であった部分は何が原因で、より効果的に/より大規模に実現するには次にどのような手を打つべきか、という継続のサイクルに入っていくことができるようになります。

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したがって、クラブの理念というものはすなわち、その時々の年度目標や中期計画の策定評価にあたり指標となるのみならず、クラブのすべての活動を評価する基軸でもある、クラブ全体を覆う極めて重要な概念であります。クラブの存在意義を定義する、という事の具体的な意味はそういうことである、と言えます。


行動指針と基盤

理念-中期計画-年度計画がクラブの活動内容について規定するのに対し、行動指針と基盤はそれを実施する組織およびメンバーに対するアプローチの方向性を定める、と言えると思います。行動指針は、目標や課題、あるいは各種活動におけるクラブ外の人々との関わり方などについての指針を述べます。挑戦・前進をモットーとしたり、仲間との同期・和を大切にしたり、ある程度組織の性格に沿った形で規定されてくるものであるといえるでしょう。

一方基盤はコンプライアンス(遵法)、意識や姿勢、環境配慮など、現代の企業団体にほぼ前提条件として求められる内容が並び、“組織の社会性”と言っても良いかもしれません。Jクラブであれば似たような内容が多くなる結果となるかも知れませんが、その中でもFC東京のものは地域性を鑑みて特色を出す工夫がなされています。


「1.理念体系を再定義する動機の解説」

ここまで見てきたように、FC東京の中期計画における理念体系は非常に完成されたフレームワークであることがご理解いただけたかと思います。しかし、Visionではさらに
・FC東京2011VISION 振り返り
・FC東京2015VISION 策定の背景
という項目があって、そこでは理念体系の規定に至る必然性を説明しています。これは何を示しているのでしょうか。

先に説明したように、クラブの理念というのは中期計画よりもさらに長期のスパンでの目標であり、頻繁に変更をかけるような類のものではありません。しかし、FC東京の前バージョンのVisionをよくよく見てみると、実はそこには、この理念体系で定義するような形での明確な理念というものが規定されてはいなかったことが読み取れます。2011Visionで定義した大目標は、一部は理念と言える内容も含みながら、別の部分は中計の大項目と言える記述であったり、構造上はいわばハイブリッドの定義になっていたことが分かります。

このため、新たな理念体系に基づく中期計画を策定するにあたり、2011Visionで定義した内容から理念に通じる内容を抜き出し、体系の最上位に位置するクラブの理念としてふさわしい形に再定義するのと同時に、合わせてそのプロセスもきちんと開示する、という意味でこの2つの項目を記述した、と理解することができます。一つは、構造的な定義としては一部あやふやではあったが内容はまさに10年にわたり活動してきた中期計画を、いったん評価して閉じるための振り返り。そして、新たな中期計画を策定するにあたり揺ぎない明確なフレームワークを策定し、その頂点にクラブの理念を定義する。それは2011Visionの中に一部内包する形で述べていたものを抜き出し、さらにクラブの位置づけを明確にしてクラブが行うすべての活動が地域・コミュニティに受け入れられリスペクトされるための再構成を行ったもの。それにあわせて、「策定の背景」として従来の内容からの方向転換や目標の変更、重要度の入れ替えなどの調整を行う動機、根拠が明確になるように改めて記載している、と読み取ることができます。

また話が逸れますが、このように理念が定義されていない、もしくは明確化できていない時点においての再構築、再定義というのはありえますが、短期間に何度も理念を作りなおす、ということはありえません。それは巨額のスポンサードを受けていながらクラブの目指す方向が定めきれていない、という意味に他ならないからです。また、理念の調整や変更にあたっては、この2015Visionのように明確にその背景や要素を挙げて、「だからこう変更する」と表明する方法が、情報開示のやり方としてふさわしいと言えます。


まとめると、FC東京は中期計画(Vision)を規定する中で、
・ 理念体系のフレームワークを規定する
・ フレームワークに沿って、理念と中期計画(Vision)を策定する
・ 理念に、それ以前の2011Visionの活動との継続性を持たせるために、2011Visionの振り返りと、方向転換の動機付けとなる背景を説明する
という盛りだくさんな内容を説明し切っています。フレームワークに汎用性がある上に、その内容の中心となる理念の策定について、それまでの明確ではないながら行ってきた活動との継続性を持たせることをも記述し、さらにその考察・規定の過程をつぶさに開示しています。

これを流用させてもらうことができれば、たとえば「地元に愛されるクラブになりたい」以上の具体的な方向性がまだできていないようなクラブも、あるいは理念体系までは持たないながら一定の規定を行い内容を開示しながら活動を続けてきたクラブも、改めて明確な自己定義と活動方針を記述し、ステークホルダーの理解を得るとともに構成メンバーの方向性をすり合わせて各人のモチベーションを高めることができる、と考えられます。この部分が、何度も繰り返していますが、FC東京の2015Visionの際立って優れた側面である、と強く感じます。
週末の神戸との直接対決に敗れ、山形の降格が確定し来シーズンはJ2で戦うことが決まりました。まあ予想はしていたわけですが、いざ決まってみるとやはりいろいろな想いが浮かんできます。今回ずっと気になっているのは、山形に近しい人たちの中でも評価が割れていること、たとえば番ライターの円さんや嶋さんの記事トーンと、お気に入りのブログでしばしばコメントされていたゴール裏の雰囲気とがだいぶ違っていることです。全国紙や関係のない人たちが、場当たり的な興味だけでやれプレーオフ勝者の末路だの、経過を見ない結果論だけの評価に終始するのは仕方ないにしても、一年中自分の時間と費用をつぎ込んで応援しているサポーターの一部が、短期的な結果だけに注目し、あまつさえチームと向かい合って対峙するような態度が散見される、という話は聞くだけでも辛いものです。来年から、山形はJ2での戦いの中で、今度こそJ1に定着できるようチームの総合力を高めていくことになります。その中で、本当に山形と一緒に戦うファンを増やすことも重要な作業の一つです。今年の動員は10,000人でした。甲府がいったんJ1から降格したときのJ2での動員のレベルです。来年J2でそのレベルを維持できるのでしょうか?

でその甲府に続いて、今年湘南がJ1に定着を果たしました。実は湘南は過去2度のJ1チャレンジはともに1年で終わっていました。それでもクラブはチームの方向性を継続させることを優先させ、チョウ・キジェ監督がチームを継続して育ててきた結果が今年の成果と言えるでしょう。山形が同じようにチームを継続させ、何度もJ1チャレンジを続け、やがて定着する、ということを狙ってもよいのではないでしょうか。その観点では、ある程度予想できていた山形の降格よりも、先に降格が決まってしまった清水の迷走のほうがここ最近気になっています。前回の対戦で、残り5分で3点差を追いついた時は単純に喜んでいましたが、果たして清水は今後何をよりどころにチームを建て直しJ1に返り咲けばよいのか。ごく最近興味を持ち始めた私はまだ詳しくは分かりませんが、もしかすると問題の根はかなり深いのかも知れません。来年の経過もやはり注目せざるを得ないでしょう。大宮のように力の違いを見せ付けるのか、それとも歯車がかみ合わないままJ2に定着してしまうのか・・・

今日J's Goalが再開されました。ともあれ目出度い事です。でも、Jリーグは今年ほぼ丸1年、サイト統合によるブランドイメージの確立を唱えながら、各チームの番ライターの活躍の場を削除してファンサポートをないがしろにした事実を、後付けでも良いからきちんと評価すべきです。でなければ、失敗は失敗のままただ自身の体力を削る結果となり、2ステージ制もチャンピオンシップもプレーオフも、百年構想でさえも、口さがない悲観論者の唱える未来と大差ない結末を迎えることでしょう。

上手く言えないのですが、このJリーグの失態と、山形が中々地元のファンを増やせない問題、深いところで根っこがつながっているような気がします。もし当たっていたとしたらとても嫌な予感です。今後少し詳しく評価してみたいと思っています。ま、その前に中計終わらせないとね。