またかよ・・・

3点ほど

・逮捕状が出ていたのか任意なのか質問が出た時に「分かりません」とか頼りない感じはあったが、朝の出来事を夕方に会見する、というのは真摯な対応といえるとは思う。今後の経過を合わせて注視したい。しかし御家騒動でトップが変わると性犯罪者が出るって何なのよ、、、(行為自体は昨年の話らしいですが)

・その記者会見で、チーム全員に注意喚起の講習会を実施した2ヶ月後くらいにその行為を行った、との衝撃的な事実が明かされた。
以下、私の勝手な妄想。
こういう啓蒙活動の中に、お役所的なやり過ごしの雰囲気はなかっただろうか。まともな人間はそんな事言わなくたって自律しているものだが、狭い業界に高卒とかで入ってくる人もいて、「これくらいなら大丈夫だろう」という甘い見通しがあった場合、それを締められる雰囲気があったかどうか。これはまんまお役所の県のチームであるモンテディオが内包する課題かもしれない。ただ、民間でもトップが政治の方にばかり興味が向いてると綱紀は緩みますよね、一般的な話として。

・某県内大手新聞のWEBサイトに記事が出てこない。正確には記事は存在するのだが一覧されないようになっている。しかもカテゴリは「県内」ではなく「国内外」。いや、カテゴリ分けは些細な話だ。私が見る限りどのニュース一覧にも出てこず、私は逮捕された選手名で記事検索して記事の存在を確かめた。嫌な印象を持った。嫌な意思を感じた。上記のように第一報を見る限り覚束ないながら真摯に対応しようとしているクラブの思いをここは一体どう受け止めているのだろうか。海保さんの内々の検討会は役員とグルになってスッパ抜くくせにな。とりあえず、ここの記事は今後一言一句たりとも信用しないことにした。河北の山形版にはちゃんと出てました。
何故専用スタジアム建設にあたって「街づくり」が議論されるのか

提言が公表されて以降も、知事や山形市長もしくはファンその他目につくコメントを見る限り、山形盆地のどこかに専用スタジアムがポンと建つ以上のイメージは誰にもなされていないようである。一方で、提言にもあるように近年のスタジアム建設、とくに専用スタジアムの新設プロジェクトにおいて、「街づくり」「再開発」「地域活性化」と言ったキーワードが必ず付帯するのがトレンドのようである。Jリーグのスタジアム動向に関するレポートもしかり。

ところで、なぜスタジアム建設と周辺の街づくりとが一緒に語られる傾向にあるのか。それは議論に何をもたらすのだろうか。スタジアム建設だけを検討すること、「どうやって150億円を集めるか」を考えるだけでは何が足らないのだろう。 あたかも必然のように語られることが多い「専用スタジアム建設」と「地域、街づくり、再開発」というコンセプトの関係について、あらためて整理してみたい。スタジアム建設を単独で考察する場合と街づくりと一緒に考える場合とで、議論の方向がどのように異なってくるのかを見てみよう。

「専用スタジアム建設」だけを語る場合、これは従来の箱物行政の類似と言ってよい。議会を通して、税金を使って100億円超の建築物を建てる。クラブは公共施設としてのスタジアムを使い、年間30日程度使用する。仮にそのような動機でスタジアムを建設しようとしたら、どのようなものが出来上がるだろうか。ラウンジはきちんと準備されるだろうか?屋根は?シートの居住性は?試合日以外、すなわち1年間の9割以上にあたる330日間の用途は?そもそも、建てられるものは本当にサッカー専用になるのだろうか?

一般的に、箱物行政では建設そのものが目的となるので、作られるもの自体はある範囲の利益を平均化したものを指向する。要は、「公共性」の実現のための手段・方向性として「可能な限り汎用的で必要最低限のもの」を目指す、と考えてよい。たとえば専用スタジアムよりも陸上トラックを併設した総合競技場へ、試合の間座り続ける事がつらい椅子、何にでも対応できるといいながら何をするにも使いづらいブース、20,000人が一同に介する試合日のピークの動線に対応しづらい“汎用的”な通路、などなど。

何故そうなってしまうかと言えば、それはこれまでの地方自治行政における「公共性」の定義および運用のなされ方の中で、「スポーツ観戦」という観点での価値基準評価というものが存在した事がなく、扱い方の前例がないから、といえるだろう。端的に言えば、地方自治体が「スポーツを観る」という行為の価値をまだよく理解できていない、ということである。だから当然、税金投入先として「試合を観やすい専用スタジアム」を「サッカーもできる陸上競技場」と比較しようとした時に、「サッカー観戦がしやすい」というポイントをメリットとして評価する方法が準備できておらず、上記のような「汎用性」の基準でしか評価できないのである。そして作られる建物は計画に横槍が入る毎に「汎用性」と引き換えに当初のコンセプトを削られていき、徐々に国体競技場のようなものに変貌してゆく。

とすると、「サッカー観戦がしやすい」という点をメリットとして評価し、それに税金を投入するに相応しいと評価する基準・内容が必要である、ということのように思える。しかし、どう転んでも5,000人だか10,000人だかのサポーターのために150億の税金を投下する、という論理は成り立たない。行政が作って与え、住民が利用する。行政の目的は社会的貢献であって、住民の利用が自治体に価値を生み出し還元するものではない。この行政から住民への一方的な矢印が、従来の評価軸のもう一つの特徴である。つまり、「スタジアムの利用者」のみがその利益を享受する、という観点に立っているのである。そのような議論の延長線上においては、「スポーツ観戦」という観点を含めたところで結局建設するものにちょっと凝ってみたというだけの話に留まり、たとえ10,000人が40,000人になろうと評価の観点を変えたとは言えない。したがってスタジアム建設に対して新しい展望を与えることにはならないのだ。

自治体が税金を投資するに値する“モノ/コト”を確立させるためには、評価のための視野を広げなければならない。市場認識においても物理的な観点としても、単なるサッカーチームとそのコアサポーターという従来のスタジアム利用者という局所的な視点を離れ、もっとスコープを広げた中で、スポーツ観戦環境としてのスタジアムが公共建築事業の投資先“だけではない”別の価値をもたらす、という観点で評価を行わなければならない。箱を作るためだけに税金を投下するのではなく、それを建設した後の活用・その中での活動そのものが新しい価値を、経済活動を継続的に地域/自治体に与え続ける、という新たな認識とそれに基づく具体的な事業計画を元に、自治体はスタジアム建設に投資を行う、という論理構成が必要となる。

Webで公開されている事例「スマート・べニュー」

それではその新たな認識とは、言い換えればスポーツ観戦に最適化された専用スタジアムとそれを本拠地とするスポーツチームが、地域/自治体との間で継続的にやりとりする価値とは、どのようなものであるのだろうか。Webでも入手できる研究・考察の中から例を挙げて検証してみる。引用させていただくのは、日本政策投資銀行が提示している、「スポーツを核とした街づくりを担う『スマート・ベニュー』」という文書である。財務省管轄の政策金融機関という存在が示すとおり、地方行政にとっての今後の有用な投資対象の一つとして、スポーツ観戦施設への投資について定義と分析を行っているものである。その議論の中心となる施設の定義を「スマート・べニュー」という用語の独自定義、および商標登録まで行って実施しようとしているところに、将来的な市場の成長を期待する側面が見て取れる。

資料を簡単に紹介すると、まずスポーツ観戦に適したスタジアム、アリーナが何故税金による投資の対象となりうるかという考え方を概論的に導入し、その中で必要な機能を満たしたスタジアム、アリーナを「スマート・べニュー」として独自の定義づけを行っている。さらに、アメリカ、ヨーロッパの先行事例を交えながら、日本国内における市場の実現性を分析し、さらに詳細としての運営方法、収支分析、収益モデルを提示している。余談であるが、資料の中で具体的な新設構想のひとつに山形の専用スタジアムが挙げられているのが恥ずかしい。他には吹田(G大阪)、亀岡(京都)、長野、小倉(北九州)など本当に具体的に計画されているものばかりである。

閑話休題。その「スマート・べニュー」を訴求する都市の成り立ちについて、導入として第1章、第2章で論じられているので詳しく見てみたい。第1章ではこれからの日本における都市モデルとしての「コンパクト・シティ」、およびその都市構成の核としてのスポーツ施設、そしてそこにフランチャイズをおくスポーツチーム、という存在を規定している。次に第2章に移り、そのように街から求められるスタジアムが街づくりの中でどのような位置づけになるのかが述べられる。第2章の図表2-2で、現在および将来の地方都市が持つ3つの脅威と2つの機会がそれぞれの背景とともに挙げられている。書き出すと、

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このような環境において、従来型の公共事業として建設される「郊外立地・単機能・低収益性」という特徴を持った施設ではなく、「街なか立地・複合機能・収益性」を兼ね備える施設を民間活力を参入させて実現させることにより

・中心市街地の活性化、さらに交流空間の発生による地域コミュニティの形成
・地方財政の負担軽減
・健康的な生活基盤の整備
・スポーツ産業の確立
・地方都市の活性化、国際大会後の有効活用

といった効果が期待できる、としている。またスタジアム・アリーナへの投資と価値創出についての概念図を下記のように表している。ここでは、一定レベルの税金が投じられて建設された街なかスタジアムが域外のビジターを集める装置となり、地域の経済活動が促されることで地域が活性化する、という図式になっている。また同時に、都市機能の観点では防災拠点や健康的な地域社会の形成についても機能的な価値を創出する、としている。
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「スマート・べニュー」

それではその機会創出に対して十分に機能する「スマート・べニュー」と定義されるスタジアム・アリーナとはどのようなものであるか。資料では第5章で段階的な定義を提示している。第1段階はハコ貸し、いわゆる公共施設を間借りしたホームスタジアムの形式である。第2段階はハコ貸しから一歩進んだ場所貸しとでも言おうか、施設だけではなくその管理権も興行団体が一体管理する形態を指していて、いわゆる指定管理者制度などがこれに該当する。自治体は所有権を保持したままで興行団体に管理権を委譲するため、主催者兼管理者は「安く借りたい×高く貸したい」というオーナー・テナント間の二律背反が無くなって一体化した当事者となり、興行の成功と利益の最大化に集中して取り組むことができる、という構図である。モンテディオ山形もNDスタの指定管理者となり、この段階に踏み出している、といえる。

次の第3段階では、ハードが複合施設化した形態での一体経営というモデルとなっている。詳細は資料を参照いただきたいが、ショッピングモール、スポーツセンターなどの施設と併設し地域全体での経済活動を形づくる狙いが見えてくる。残念ながらその先の状態、第4段階について、資料では十分具体的な言及が行われているとは言えないのだが、少なくとも「だから専用スタジアムが必要」という説得力を持たせるためには第3段階にあたる構想が必要そうであることが分かるだろう。第1、第2段階ではまだスポーツ興行の域を出ておらず、スタジアムの新設が来場者による経済活動の規模を超えて地域への貢献を十分に果たすようには見えないのである。
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なんか凄く難しくなってしまった・・・けど続けます。次回は、「専用スタジアムを必要とする街」という観点でもう少し考察を続ける予定。自分自身の頭の中で咀嚼するために同じような事を何度か繰り返すかも知れませんがご容赦ください。

参考:日本政策投資銀行ホームページ
前社長がまとめた専用スタジアムの資料を読了した。実は公開直後に目を通してはいたのだが、その時に抱いた印象を自分の中で咀嚼、整理し感想という形のアウトプットにまとめるまでに非常に時間がかかってしまった。以下徹頭徹尾個人的感想に基づく分析である。(このブログの記事でこれまで徹頭徹尾個人的感想でなかったものなど存在しないのだが、それはさておき)

結果としてこの文書は二つの部分から構成される事になった。すなわち高橋前社長が諮問機関を設けてまとめた提言の本文と、森谷新社長が公開にあたって掲載した「公表にあたって」という短い文章である。このうち前者についてはすでにライター嶋氏のレビューなどが公開直後からカウンターで公開されたりしている。提言の内容自体は、僭越ながら不肖が個人的な意見として数年前にまとめたものが割といい線をカバーできていたのでは、と若干自賛するところも無いではないが、数年の期間を経てJリーグのホームタウンでもスタジアム建設、改修の事例が現実的なプロジェクトとして成果を上げだしてはじめてきており、それらの事例を元により具体的なイメージを共有できる内容となっている。何より、一ファンがプライベートのブログに好き勝手に書き放しただけの意見ではなく、プロジェクトの一当事者となるべき機関からの公式な表明である事自体が非常に大きな意味があるものと考える。

また、この公開を受けて、現山形市長がスタジアム建設について、クラブの主体的な推進無くして実現は難しい、と表明したとの事。地域内対立を招いた前任のトンチキ発言に比べればそのスタンスに全然違和感はないが、その一方で夢の実現に向かっては他人任せを表明する当事者がひとり増えた感じがしてやはりちょっとがっかりする。ひとたびこの一大プロジェクトが立ち上がった暁には、山形市もまた立派な当事者のひとりとなる事は間違いない。このように、本来は重要なキーパーソンでありながら現在の状況から自身を第三者と認識している関係者が多く存在すると思われる。こういった主要な登場人物をスタジアム建設という一大プロジェクトにおいて適切に巻き込むためには、プロジェクトにおける彼らの望ましい立ち位置というものを考えてみる必要があるだろう。そのために、プロジェクトがどういったスコープで誰を巻きこもうとしているのか、という考察とその公開、共有が必要となると考えられる。

しかし、提言の本文ではその課題、すなわちプロジェクトをどう羽化させればよいか、というもっとも興味深い点について、詳細な言及をあえて避けている。これは提言をまとめる背景にあった、前山形市長の突然のホームタウン横取り宣言に端を発する地域内のスタジアム誘致合戦とそれによる対立の勃発が理由として推測される。取り急ぎ主たる利害関係者の共通理解を築く事が最優先事項となってしまい、スタジアム建設の具体的なイメージどころか提言をまとめるスタート地点をだいぶ手前に戻す羽目になった状況を鑑みればスタンスとして十分理解できるものではあるが、結果として提言資料のトーンも、それを受けての県や現山形市長のコメントもつまりは自分ではない誰かのドライブを待っているような、主体的な意思を感じられないものになってしまった。今のこのような現状からモンテディオ山形の専用スタジアム建設プロジェクトを立ち上げる、という地点にジャンプアップするためには、もう一度誰かがエンジンを掛け直して走り始める必要がある。そのためには果たして、誰がどう次のステップを踏み出すべきなのであろうか。その時、参加者は何を議論し決めなければならないのだろうか?

その様に読み進めていったときに、にわかに気になり出すのが森谷新社長名での「公表にあたって」というわずか1ページの文章である。もし高橋前社長が解任された主な理由のひとつがこの提言文書なのだとしたら、解任を強行した主体によって突然後釜にあてがわれた新社長はその次の一歩をどの様に踏み出そうとしているのか。もし昨シーズン末に起きた突然のスピード解任劇の結果として、新社長にも自身の明確な意見・スタンスをまとめる時間が十分与えられなかったとしたら、そこにはどういう方向の指示が出ていたのだろうか?

そういった背景を踏まえながらこの文書を読み直してみると、いかにも旧時代の政治家的な「言語明瞭、意味不明瞭」な記述に読めてくる。高橋さんの後を引き継いで進める、と思い込めばそうも読めるし、徐々にフェードアウトさせてお蔵入りさせようと思っている、と読めばその前提で言質を巧みに避けているようにも見える。どこかで趣旨のすり替えを行うための布石の第一歩、と思って読めばそれを否定する材料が見つからないのである。

「具体的な整備手法や資金調達手段、事業実施主体及び建設後の運営主体等の検討が必要となります。」確かにその通りだ。「新スタジアム実現に向けた具体的な検討に着手いたします。」検討を始める、という事は明言している。「検討にあたっては、ファン・サポーター、スポンサー、自治体、株主及び県内の各スポーツ競技団体の皆さまからのご意見も広く伺いながら」このあたり。ファン・サポーターを最初に持ってきてはいるが、当然その順番は意見を尊重する順列とは関係ないであろう。自治体、株主とあるが株主のイニシアチブの実態は県にある。自治体の中でも県に重きをおく事自体は間違っていないが、前山形市長の我田引水的なホームタウン横取り案に始まる地域内対立に公の場で上手く裁きをつけられなかった県が(最終的には選挙の結果、騒ぎを巻き起こした当人自ら舞台を降りて行った)、執行者としてのモンテディオを媒介すれば、当事者それぞれが納得できる相応しい解決策を提示・推進できるというのだろうか。でなければ県は、果たしてどのようなイニシアチブを発揮するつもりなのか。そして、最後の「各スポーツ団体」とは何か?モンテディオが自己のホームスタジアムを企画するのに、誰にどういう意見を求めようとしているのか?山形でのラグビー熱の高まり具合については寡聞にして詳しくないのだが、ラグビー協会に相乗りを誘う以外に関係者になりうる当事者が思いつかない。まさか陸連あたりに「専用スタジアムでもいいですか?」とでも聞きに行くつもりなのだろうか。疑問符は大きくなるばかりである。

以上の考察から、仮にこの提言で当事者間によるそれなりの共通意識が持てたとしたところで、その命運はひとえにモンテディオ山形取締役会の次の一手に委ねられると考えられる。森谷社長、21世紀協会および株主としての県には、絶対に間違ったことをさせてはならない。そのためには、高橋前社長が結果としてご自身の社長生命をかけてまで残してくれたこの提言を、密室政治により変形させたりもみ消されたりしないよう、評価の基準を設けて「具体的な検討」の中身、方向性と進め方を監視し続ける必要がある、と考える。

評価の基準、とは当然ながら、提言に沿ったスタジアム建設プロジェクトの企画と推進である。その一方、資料では単なる専用スタジアムの建築だけではなく、街づくり、再開発との密接な連動、そのキーファクターとしてのモンテディオという位置付けについて言及している。前山形市長の横取り宣言でも実質的には考察された跡が見られない「スタジアムと街づくり」がキーポイントとなる、という事である。「株主」が提言をおかしな方向に曲げるとしたら、一番の可能性はこの部分の理解不足(もしくは分かっていて無視)が要因となるであろう。つまり我々監視する側は、この点について自治体、特に県が、どういう見解を持ちどういう立場に立とうとしているかを、基準を持って監視すると同時に、この観点を外れた議論はすぐに止めさせて正しい議論の土俵に押し戻してやらなければならない。

それでは、その「スタジアムを中心とする街づくり」とは一体どういう事を指しているのか?かつてのJリーグブームを背景として、県知事あたりが"謎の"リーダーシップを発揮し、なじみのゼネコンに頼んで箱物をポンと建ててしまうような実現手段はもはや期待できないだろう。それはつまり、スタジアム建設という事業は、近郊地域の街づくり、再開発と分けてはもはや考える事ができないようになってきている、という事である。モンテディオにとって言えば、前任者の妄言が発端とはいえ一度は対立する羽目になった山形市と天童市が、ともに協力し検討の中心となって新たな都市拠点開発を企画する事が、専用スタジアムを建設するための次のアクションのキーポイントになってしまう、という事である。余談であるが、そのように考えれば前市長の自己中心的な発言で世間を騒がせた事の意味、その罪の大きさがどのようなものであるか、お分かりいただけるだろう。

それではその「山形と天童を中心とするスタジアムのある街づくり」というものは一体どういう物なのか。本当に実現の可能性を持って考えうるのか、その検討要素はどこにあるのか、といった事を考えてみよう。次節ではWebで一般公開されている資料から初心者にも分かりやすくまとめているものを選んでテキストとし整理を行ってみたい。

* この記事を推敲し終わる頃にサポーターカンファレンスの議事録が公開された。記事を見る限りにおいて、森谷新社長はこの件を御自身のテーマとして誠実に取り扱おうとしているように拝察できる。また、スポーツ団体とはラグビー協会の事を意図してのコメントであると読み取れる。
しかし、カンファレンスの発言を以って安心できる、と言えるだろうか?そう、我々はまだ何も手に入れていないのである。森谷新社長の発言と行動はこれからも引き続き注意深く見守る必要があるであろう。さらに、もし森谷社長が我々の望むような社長像を自ら追い求めるようになってくれたとしても、その瞬間また“株主”が暗躍し、筋の通らない人事を強行する可能性を未だ誰も否定できていない、ということを忘れてはならない。
突然のニュースでバタバタしている間にJリーグのポストシーズンが終わりました。嫌な頭と神経の使い方をして疲れてしまったので、息抜きに各試合の感想をボケーッと書いてみようと思います。

J1チャンピオンシップ。広島の勝負強さは本当に凄いですね。記事を見るまで忘れていたんですが、広島は赤字に倒れた経営を立て直すためにあまりお金を使わずに選手を育てる方針でやっているとのこと。それでこの成績で、しかもユースから若くてよくできた選手がわらわらと出てくる出てくる。山形のような資金力のないチームが運営の参考にできるアイデアはたくさんありそうに思います。浦和は、本当にちょっとしたエアポケットに嵌って年間順位を落としてしまいました。シーズンで稼いだ勝ち点は広島に並ぶレベルでしたから、来年はこういった所で勝負ができる「勝者のメンタリティ」をもう一度思い出す所に注力して欲しいですね。
最終節に3位に滑り込んだガンバ大阪は、チャンピオンシップを大いに盛り上げてくれました。しかし、年間勝ち点で10以上離されたチームが一発勝負の色合いの強いトーナメントで取る戦術として、長谷川監督の狙いは頷けるものでしたが、だからなおさら、今年はこのチームにはタイトルを渡したくない、と思いながら見ていました。このあたり、村井チェアマンは興行面、メディア露出、話題性などの面での成功を謳っていましたが、それはそれで納得できるものですしそのためのポストシーズンである訳ですが、「本来はリーグ戦で順位を決める」と考えている立場からはやはりどうにも煮え切らない思いの募るゲームでした。その意味でも、ガンバのファンには申し訳ないですが、今回の引き立て方は結果的には絶妙であったと思います。もし長谷川監督がリーグ戦の戦い方のまま正攻法がっぷり四つで戦っていたらまた感想はちょっと違っていたんだろうと思うんですが。

J1昇格プレーオフ。初めて3位のチームが勝ち抜けました。こちらも、2位磐田と得失点差で3位につけた福岡と、続いて4位と言いながら勝ち点では15も離されたセレッソ大阪。事前に決めてたそうですが、4位のホームで決勝をやるって・・・かたや立派なことを言いながらリーグの運営でこういう素人っぽいヘマをやられると、そのほかの色々な話が全部薄っぺらく聞こえてしまうので、リーグは大いに反省をしていただきたい。決勝はレギュレーションでの勝ち抜けでしたが、長崎相手にもきちんと勝って、最後魂のこもったシュートをサイドネットに突き刺したあたり、やはり勝ち抜けに相応しかったかな、と思います。今年の福岡の戦い方はあまりよく見ていなかったんですが、もう思いっきりチャレンジしていって欲しいです。これを機に、もともと地元愛の強いホームタウンですから、ホークスと掛け持ちの熱狂的なファンが増えるといいですね。
そういえば解説だか新聞だか忘れましたが、「一番勢いを持ってプレーオフに突入したチームが勝ち抜ける」というような事を言っていました。去年の山形も今年の福岡もまさにそんな感じですね。

あ、念のため言っときますが私はセレッソ大阪嫌いとかじゃぜんぜんありませんよ。田代いるし。チャンピオンシップと違い、プレーオフは年間順位が決まった上での「昇格ワイルドカード決定」ですから、一発勝負で勝ち抜けることは(レギュレーション云々ではなく)まったく問題がないことです。あと、某有名評論家なども「プレーオフで弱いチームを昇格させるな」みたいなこと言ってるみたいですが、たぶん観点が違うんでしょうが私はいいと思いますね。Jリーグが注目されてないのはマーケティングが上手くないだけで国内リーグはこれでよいのです。イングランドプレミアだってセリエAだってブンデスリーガだって、聞いたことないチーム一つか二つあるでしょ?

一方、J2J3入れ替え戦は初めてJ1経験チームにして3大タイトル保持者の大分がJ3に降格することになりました。リーグが歴史を刻む中での出来事といえばそうですが、二つほど気になる点が。ひとつめは監督さん。ホームでの2試合目、PKの明暗がわかれてリードされて苦しくなりましたが、そのあとまだ30分もあったのに、大分のチームが死に物狂いで点を取りに行った感じがしない。セットプレーでキーパーが上がったりもしなかったし、個々の選手は限界まで頑張っていたとは思いますが、それをチームとしての方向性にまとめられた感じがまったくしませんでした。田坂さんを解任して自分が監督をやってそれかよ、と。強化部長も兼ねていたそうですが、似たような事例では今年の甲府がありましたね。あれ、悪いけどやってるサッカーはとてもつまらないけど、とにかく気合で戦って降格圏を見事に飛び出しました。柳田さんは言い方はきついですが降格の戦犯といえるでしょう。為田欲しいなあ。
もうひとつは、これはもっとヤバい話ですが、大分県の知事が降格の可能性に絡めてチームを「支援しない」ということを、あろうことか決戦の前日に言ったというニュースです。大分の場合、チームを立ち上げた初代社長が独特な方で私財まで投じてチームを支えたので、逆にその人が抜けてからフロントが組織として動けるようになるまでに大変な状況になった、という評価の難しい話なのですが、それにしても全国的にも名の知れたチームを、あんまり支える余裕がない、といったニュアンスならまだしも「手を引く」という言い方って・・・あるタイプの首長にとっては、プロスポーツというのはまだこういうレベルなのか、と驚かされました。社長人事への介入なんて、実はまだずっとましなのかも知れない、とすら思えるくらい、気の重くなる話題です。

町田は、松本と一緒にJ2昇格したのにここまで明暗を分けたような形になっていましたが、満を持してJ2復帰です。個人的には、町田のアマチュアリーグへの降格があったからJ3の整備が急がれて、短期間でこれだけの体制ができたのだと受け止めています。松本が新参チームの星であるなら、町田は新参チームの場を作り広げた立役者だと思います。相馬監督の上ずった声はちょっと笑ってしまいましたが、本当に喜んでいる様子は見ているだけでうれしくなりました。来年はどうぞお手柔らかに。

レギュラーシーズンが終わるとこんなに静かなんだな、と改めて感じました。何しろ去年は、ポストシーズンの主役を張ってましたからね。当面はストーブリーグに注目ですが、また心機一転、J2の中心に立てるように戦いたいと思います。あと、フットボールのオフシーズンはバスケのシーズンでもあります。今度はワイヴァンズのアウェー戦を見に行ってみようっと。
森谷新社長の就任会見がディオマガに掲載されています。私はライター嶋さんと同じ意見で、現時点で氏への何か具体的な感情というのは特になく、また持つ必要もないと考えています。この後ご自身が成果を上げて歴代社長のひとりとして認められるまでの間、周囲からは「高橋社長だったら」と何かにつけて比較されてしまうだろうことは容易に想像できますが、評価レートが吊り上げられてしまったのは氏の咎ではありません。また個人的には天下りかどうかもどうでもよいことです。高橋社長も理事長就任時は副知事兼務でしたし、それ以前から協会理事長は海保氏を除いてすべて県庁から人材が送られて来ていますが、そもそも山形県内から人材を探すのであれば今のところそのくらいしか手がないのでは、と思います。いずれにしても評価すべきは出自ではなく成果とアピールです。引き続き注目しましょう。

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2度目のJ1チャレンジが余り通用せず苦しいシーズンを過ごした今年、最後におかしなニュースが割り込んできて大変気分が悪いので山形の中期計画を考えて記事の続きを書こうと思ったのですが、どうしても筆が進みません。やはり一度私の中でこの問題を整理しないことには先に進めそうもありませんので、それを試みてみようと思います。ポイントはおよそ2つ、手続き上は問題なく行われた社長交代にこれほどわだかまりと胡散臭さがこびりつくのは何故か、そして自治体が株主として所有運営するクラブとはどういう形であるべきなのか、です。

高橋社長の交代は株主の総意で行われた、とありますが、おそらくは県の発意で押し進めた案件でしょう。どのように事前合意をネゴしたとしても、プロセスにおいては他の株主も議決の場で同意賛成しており手続き上問題はありません。一方で、一部報道にあるような「ファンやサポーターの意見を汲み取っていない」という意見もどうも言葉足らずというか、反論の建付けとしての根拠が弱い印象が拭いきれません。もう少し全体像をはっきりさせるために詳しく分析してみます。

中期計画の記事でも書きましたが、Jリーグに参加するプロフットボールクラブは、地域社会の公共財という性格を持ち始めます。それであるが故に、今回のようにクラブの所有者が周囲を省みずに己の権利を行使する、そのこと自体が否定的な評価を受けることになります。Jリーグで最も著名な事例は横浜フリューゲルスの吸収合併事件でしょう。

横浜フリューゲルスの運営法人は全日空6対中堅ゼネコンの佐藤工業4という出資比率で構成されていましたが、佐藤工業が本業の業績悪化に伴い撤退を表明、1社でのチーム維持は難しいと判断した全日空がチーム統合を日産自動車を母体とする横浜マリノスに持ちかけた、という1998年の出来事です。ここでも今回と非常に類似した、関係者間の認識の大幅な相違がありました。ただJリーグ発展の初期にあたる当時、それぞれの考え方が何故、どのように違っているのかについて一般的に明確な共有ができていたわけではなく、それゆえさまざまな意見が交わされ、さまざまな感情が渦巻きました。それから15年余を経た今、リーグ、クラブ、Jチームを支える企業や自治体・地域までもがこういった先例から学ぶことによって、ようやく周辺事情を含めある程度正確に当時の状況を理解することができるようになった、と言うことができるかと思います。

この時の全日空の判断ロジックはおよそ以下のとおりです。共同出資者である佐藤工業が撤退する今、全日空1社では「自社が所有する」クラブを運営し続けることはできない。しかし、Jリーグの活動は意義があり、ただクラブをつぶしてしまうのは問題がある。そこで同じ都市をホームタウンに持つチームに吸収合併してもらい、自社もそこにスポンサードすることで、Jリーグに対する貢献を続けることができる。なおこれらの検討決定は、クラブの方向性を決定することができる当事者=親会社の間で適切に進めればよい。

ここで注意したいのは、全日空はこの件において、「自分の所有物を処分するにあたって」クラブに所属する選手やスタッフなどについて、“親会社として”それなりに適切な配慮をしたと考えていた、ということです。おそらく、全日空からみてこの決定が公になった際の反応は驚きだったと思います。「できる限り配慮していることは分かるだろうに、なぜそんなに批判されなければならないのか?」と。たとえばこのように考えてみてください。ある企業が自社の保有する保養所の清算処分に関して上記のような検討決定を行ったことをニュースで見たとしたら、私たちは違和感を持つでしょうか?あるいは、もし我々がその関係者であったらどうでしょう。その企業の従業員だったら?その企業の経営関係者だったら?保養所の運営に関わる人だったら?保養所の地元の住民だったら?

この合併劇が社会的な問題として捉えられた大きな要因の一つは、「クラブは誰のものか」という部分に関する考え方の違いです。今回高橋社長を解任した県側はしつこいほど「株主」「株主」と繰り返します。彼らは「クラブは株主が所有するものであり、所有者が手続きに従えば他を気にすることなく好きに扱ってよい」と認識しています。横浜フリューゲルスの場合も、内容が公になった時にはすでに親会社同士の合意済み決定事項でした。ここが、モンテディオを公共財として認識している周囲の人間、ファンやサポーター、メディアなどの見方との齟齬になります。では、ここでのファンやサポーター、メディアとは何者でしょうか。クラブが公共財である、というのはどういう事なのでしょうか?

ファンやサポーター、メディアは、クラブにとっての「ステークホルダー」となります。ごく大雑把に言えばお客さんです。クラブは日常こういった顧客、ステークホルダーを相手に密接なコミュニケーション、関係を保つ中で活動を行っています。そうすると、フリューゲルス事件や山形の社長解任においてクラブの所有者は、「クラブのステークホルダー」を視野に入れていなかった、ということになります。つまりクラブの親会社がクラブの顧客を無視している、ということです。所有者は所有物への処理という2者関係だけで物事を進めようとし、それ以外の周囲、特にクラブにとっての顧客をステークホルダーとして考慮していない、という関係性の中でクラブへの決定を下しています。

一方、そこから導かれる逆の側面として、クラブが地域の公共財であるということは、クラブが地域に対する貢献を謳い、地域の様々な形のステークホルダーに対するアプローチの中で活動を行う、ということそのものである、ということです。そうであるなら、親会社、出資者はたとえクラブの所有者であったとしても、クラブとそのステークホルダーとの関係をリスペクトし、最低でもクラブ運営への介入においてはクラブのステークホルダーに十分な配慮をしなければならない、ということになります。

また一つ目の問題とも絡みますが、横浜フリューゲルスの件では全日空側の考え方および話の進め方が、仮にそうしなければならなかったとして周囲が想像できるものとあまりにもかけ離れていた事も問題視されました。よりにもよってダービーを戦うチームに合併を申し入れた事は、クラブがこれまでJリーグで活動してきた内容に多少とも理解があれば思いもよらない物であり、クラブの価値の中身をまったく見ていない、気にかけていない状況で、この決定がそれらとまったく異なる価値観を以って行われたことが分かります。全日空は横浜フリューゲルスを自社の広告塔と考えていました。実際に赤字を宣伝広告費として補填していたのですが、それよりもこの会社のJリーグ以前のJSLからのサッカーリーグへの関わり方や「準ホームタウン」という特例の意図を見ればそれは明らかです。推察するに山形県の場合は、クラブを県の外郭団体あたりに位置づけているのでは、と思われます。

大変興味深いことに以上の考察から演繹すると、今回の件では何と県が、自身が税金および人材を送り込んで活動している協会・クラブそれ自体が山形県という地域の公共財である事を忘れ果ててしまっている、という皮肉な結論が導かれます。実はここにはさらに、従来の地方行政における公益供与の体制・考え方と、Jリーグに代表されるスポーツクラブが目指す地域貢献、公共財としてのあり方との違いが存在します。先述の用語を用いれば、今までのような県の外郭団体という体制ではモンテディオは運用できない、ということです。この事についてもう少し見てみましょう。

ご存知の方もあるかと思いますが、自治体にはバランスシートというものがありません。それにより(その観点に執着しない、という考え方により)営利を目的とする一般企業とは異なり、多少投資対効果のバランスを崩してでも対象地域の公益性を最大化する、という活動を行いやすくしています。たとえば過疎高齢化地域へのバス運転のように、儲けが出なくてもその社会に必要と考えるものに費用を出して支える、ということができるようになります。

しかしその逆の側面として、活動の効果を後から振り返る、見直す、という観点が非常に乏しくなっています。地下鉄のような大規模な投資開発が一見して妥当性に乏しい運用観測によって計画されたりするのは、何でもいいから一旦通してしまえば計画に基づいて話を進めることができるからです。そこから地方の土木業界が死活問題としてそういった所に仕事を求めなければならない、といったような依存関係がしばしば発生します。また、予算を使い切らないとそのタスクの有用性が下げられ次回の予算が縮小される、という評価軸になっており、必然的に年度末に予算を使い切る、という考え方に倒れていきます。地方自治体の場合独自の法令で税金を徴収するという方法が無く、収入の拡張という考え方が発生しえません。最初から予算の総額は決まっていて、それを年初の計画で分配して、あとは使うだけ、余らせない、という思考原則からは、効率化・節約という考え方が生まれてくることを期待するのは無理な話です。したがってその組織・体制もまた上意下達、硬直化していくことは避けられません。

自治体として住民の生活インフラを支え続ける事が第一目的であるなら、以前と同じレベルを維持すること自体がそれなりの価値を持ち、上記のような運用体制もある程度は適合するわけですが、フットボールクラブのようにさまざまな種類のステークホルダーを抱え、それらとの密接なコミュニケーションを土台に常に変わり続ける環境の中で活動しなければならない状況においては、このような体制、考え方はほとんど使い物になりません。

おそらく、細谷理事長や吉村知事の今回の件に関するコメントに対して感じた違和感のうち「分かってないな」と感じたのは実にこの違いに関する部分であろう、と考えています。そして残念ながら今回明らかになったのは、モンテディオ山形という組織において「株主」と称する地方自治体がこのようなお役所体質のまま、Jリーグクラブであれば当然である自己評価、自己改革を伴う事業活動に対して、クラブのステークホルダーを無視した介入を行うという前例ができた、ということです。高橋氏が知事や県側から具体的にどのように評価されていたのか、新任の森谷氏はお役所ではないJリーグクラブにおいてどのような能力を発揮するのか、森谷氏の後任は、そのまた後任は、お役所である県やその関係団体から次々と供給できるのか、という人事面での興味もありますが、何より今回の件に対する「クラブのステークホルダー」からの評価を、株主即ちクラブの所有者である県は、県知事は、どのように受け止めようとしているのか。意地悪な言い方をすれば、モンテディオは箱物行政マインドで運営できると考えているのか?もしくは、今回の件をきっかけに県は協会と運営会社との関係を、県の出先機関の一つという認識から著しく発展させることができるのか?今後注意して観察する必要があると考えます。