今年は試験を受けずに、漫画を描いている理由……。
わざわざ話すのも、あざといようでなぁ~……と躊躇したんですけれども、
このまま話さないのも、「あれ? 花織さん、毎年受けてた試験どうしたのかな?」「触れちゃいけない話題なのかな」って気を遣わせると申し訳ないと思い、
話してみます。
うまく話せるかなぁ。
あたまのなかごちゃごちゃして、あんままだ上手く言葉にできない; ごめんね。
=====
今年は、宅建も、行政書士試験も、受けないのです。
行政書士試験は来週末かな。
宅建は10月に終わりました。
どちらも、願書が出せる締切日まで悩みに悩んで、
怖じ気づいて「とりあえず出すだけ出しといて、受けるかどうかは試験日までに考えよう」なんて時間稼ぎするのは、チガウだろう、と自分に言いきかせ、
「出さない。受けない」となんとか決断しました。
この”決断”っていうのが苦手でね……。
といっても、自分のやりたいことさんざんやってるとは思うのですが;、
肝心なところで、ものごとを”決める”、
それも、自分の意思でね、自分で考えて決める、自分で責任をもって決める、っていうのが、苦手なまま、ここまできました。
わりと押しに弱いし、
優柔不断というか、
曖昧なまま時間だけ過ぎていく(時間は容赦なく過ぎていってるんだけど、自分の中では、答えを出さないこと=時間を停止している気分、というか、自分の中だけでは時が止まっている……)、
ということが多いなぁと気づいたのは、ほんとにここ1年2年のことです。
それまで自分は、自分の意思が持てると思っていたし、
自分で決められる、と思ってた。
=====
ウチは、以前からしつこくくりかえしていますとおり、”過干渉”なおうちです。
母はよく言えば世話好き、悪く言えばお節介焼き、
そんなことどうでもええやん、という細かいことまで口出ししますし、
まあ男女ともに一定数いるタイプよね。「束縛の強い彼女(彼氏)」になりそうなタイプ。
彼女(彼氏)だったらお別れするとか、最初からつきあわないとかいう選択がありますが、
私の場合は親だからなぁ……というだけの話で。
私もそういうことされるのは嫌だ、と明確に意思表示してるんで、
やられっぱなしの言われっぱなしではないし、
クソ生意気な娘なんですけども、
「親にとっては何歳になっても子供は子供」「オマエも親になれば分かる!」と力説されるので、
話が通じないのです。
しかし私は自分がされて嫌だったことは自分の子孫にはしたくないなぁと今のところ思いますので、
母のその理屈には納得できかねるのです。
私が親になればわかるのではない、
私と母は違う人間で、それぞれ独立した人格があるのだから、
すべてを同じように思うわけではないのだ。
と私は思うのです。
で、父は? というと。
私への注文度は、じつは母以上。
私の友達が、「”ぼくのかんがえた、さいきょうのむすめ”という扱いをしてる!」と悲鳴をあげたほど(笑)。
小さな男の子が、「ぼくのかんがえたさいきょうのロボット」などを夢想するように、
娘に対してガチガチに固まった理想があり、
それから少しでも外れると怒る、許さない、自分の思いどおりにしようとする。
そんな父と母は、仲がよろしくないんですけれども、
それはね~似た者同士だからだよ~~と思う。
そう言うと2人とも「違う!」と怒りそうなところまで、そっくり。
そして私は、
私の周りの人が、おそらくうんざりして私に呆れるほど、
「縁を切れば?」
「絶縁するのが難しいなら、とりあえず全部ほうりだして逃げれば?」
とアドバイスしてくれたのですが、
ものごとを解決せずに逃げだす、っていうのは、きもちわるくてかなわん性分だったのです……。
おそらく。
自分じゃ自覚なかったけど。
なので、戦おうとする。
徹底的に話しあうことで解決しようとした。
だから多分、こんなに長い間、両親への説得を試みてしまったのだと思う。
両親じゃなく他人ならば、「話したってわかってもらえないこともあるよな、そりゃ」とある程度であきらめられたんだろうけど、
こと“親”ということで特別な期待でもしてしまったのだろう、
「熱心に話せば、きっとわかってもらえる」って。
漫画とかドラマとかでもあるじゃん。
子の夢を応援しない親なんていないよ。とか、必ずわかってくれるよ。とか、根気よく説得すれば熱意が伝わって、やりたいことをやることを許してくれるよ。とか。
私は許してほしかったんだろうね。
そして、できれば応援までしてほしかった。
「そうか、そんなに言うならやってみなさい。がんばれよ」
そう言って背中を押してほしかったんじゃないかなぁ?
でないと自信を持てなかったんじゃないかなぁ。
「だめだ、やるな!」って反対されてるものを、反対押しきってやったりしたら、”いけないこと”をしているようで、
罪悪感でいっぱいになるから。
=====
でねー、わかったことがあるのです。
私が長年、「なぜ許してくれない」(それは、「なぜ私を認めてくれない?」という魂の叫びと考えていただければ)と、もどかしく思い、
わかってもらおうと何度も何度も闘いをいどんでいたのと同じく、
親からすれば、「なぜ諦めない!? こんなに辞めろと言ってるのに!」と、もどかしかったんだろうなー、と。
私が、何度でも説得すればいずれわかってくれる、と思っていたのと同じ強さとしつこさ(笑)で、
反対しつづければいずれ私が根負けして諦めてくれる、と、親が思っていたのではないかと!
私も親に似てたのさ。似た者同士だったのさ。
と思うと泣けてくるわぁ……。
なにを長年、意地を張ってきたのかなーと思った。
だけど、「意地張ってたんだなー」と認めることはこれまでの長い年月を全否定することのようで、
認めることもできなかった。
=====
私が、物事を決めるのが苦手というのは、
優柔不断で意思が弱いと言われたら身も蓋もありませんけれど;、
そこにいたるまでには、
自分の意思を持つことを否定されてきた長い時間や、
自分が選ぶ前に「こっちにしなさい!」と決めれることが多かったこと、
また、自分的に「どっちでもいいなぁ」もしくは「こっちはイヤだけどまぁ、我慢できないほどイヤでもない」と思っているうちに「こっち! こっちがいい!」と強く望む人が身近にいると、
まぁ私は我慢できないほどでもないけど、この人はこっちじゃないと我慢できないほど激しくイヤそうだから、こっちにしてあげようかな? と思う隙や弱さが、
あったんだと思います。
「そのほうが、この人は喜ぶかな?」という、
ゆがんでいるかもしれないけれど、私なりの「この人」への思いやりでもありました。
誰だって、嫌がられるより、喜んでもらいたい。
反対されるより、賛成されたい。応援されたい。よね。
私は大人になっても長い長い間、親の望む“よい子”であろうとしたんだなあ、と思いました。
=====
やっぱりうまく整理できないな。
この問題はまだ私の中で終わってないんだろうな。
だいぶ整理できてきた気はするけども。
というもやもやを背負って生きている人は、私以外にもすんごくたくさんいるだろう。
で。
試験のこと。
最後の数年はもう、そりゃー、「自分の意思」でした。
自分で受けようと思ったし、受かりたいと思ったし、あの仕事がしたかったし、
そうじゃなきゃさすがに何年も勉強できなかったから。
でも多少は、
「まじめに勉強する」ことを嫌がる親はいないだろうし、これだったら親は喜んでくれるかな? って思ってた。
私が受かったら、私のことを1人前の人間として認めてくれるかな、って。
なにをやっても否定されるので、
もう否定しないでほしい。
認めてほしい。
その気持ちが自分の中で大きくなりすぎた。
目標がブレはじめている気がしたし、
今まで築きあげてきたものがなんであろうと、勇気を出して一旦手放して、
誰のせいにもしない、自分の責任で、
自分のこと考えなきゃいけないんじゃないか、
と思うようになった。
そのとき、
「親には認めてもらわなくてもいいから」「親の目を気にせずに」「本当に、純粋に、誰に言われるでもなく、自分から”やりたい””好きだ”と思って、やることは、何?」と考えていた。
そして、
そうやって自分でやると決めたことは、
(試験だったら不合格、のように)失敗したとしても、
自分で全部責任とるんだぞ、と。
親や、育った環境のせいにするなよ、と。
それが、「“試験”じゃなかった」かどうかは、
正直まだわかりません。
試験をやめてよかったのかどうかは、
まだわからない。
何年も受からなかった試験に、
焦りや、悲しみや、そりゃー後悔も未練も感じるけど、
それでも、試験を受けたことを嫌いにはなりたくないな。
間違いなく私はあの仕事を目指したし、
好きだから頑張ったと思いたい。
ただ、今年も受けるとなると、
考えがまとまらないまま、「考えてる暇などない!」って受験勉強に突入しなくてはならないので、
それだと今までと同じで、
覚悟ができないまま突入しても、
また、あと一歩で手が届かないだろう。
私に足りないのは覚悟だった、と思った。
というわけで、
歯切れが悪いんだけど、諦めたわけでもない……。
諦める勇気さえないだけかもしれないんだけど;
覚悟が決まるまで、
今年は、やめ。
そんな、今まで大事にしてきた受験勉強をやめてまで、
その代わりに取りくむような一大事業ってなんだ!? ということになるんですけど、
それが、
「漫画」
っておい!!
……しかも、たいして上手いわけでもなく、
長編でもない作品かよ、と;
でも、私にとって漫画を描くことは、好きなことの1つ、なんだ(^-^)
そして過去に、親に「そんなことする暇があれば勉強しろ!」と大激怒され、せっかく描いた絵を破りすてられ、
「私は漫画が大好きだから、お願いだから描かせてください」と枕元に手紙を入れてまで徹底抗戦した(口で言っても言い負かされるので、言い分を紙に書いた(笑))ことだから、
私にとって、やる意味がある。
子供のころは親に反対されてやりたくてもできず、
大学生で親に隠れて同人誌発行したりしたけど、
投稿は2回で諦めて中断していたこと。
あのとき諦めたわけじゃない。
諦める勇気なかっただけだけど、
諦めたいほど嫌いになんかなれなかったから。
だからあのころの夢を再開することは、
私には意味がある。
だから、もっと早くから始めておけばよかった、とはあんまり思わないかな。
今さら始めるのか? とも思わない。
いろいろ乗りこえた今だから描けるようになったこと、ってあると思うから。
もう、親に認めてもらうためには描かない。
人に認めてもらえるかとか、
資格とか社会的地位とか安定とかはこの際関係ない。
自分が描きたいから、自分のために描く。
描くと決めたから、描いている。
ただ、私はBL読むくせに、今BL描いてないのは、
それでもいつか、親に私の描いた漫画を見せてやりたい! って思うから(苦笑);
「アンタ、まだ諦めてなかったの」
と呆れさせてやるのさ(笑)。
根比べでは、負けませんよ。
=====
さあ、投稿4作目もがんばって描かなきゃ♪
私の日記を読んでくださってるかたは、私のやること認めて、応援してくれてるかたも多いから、
私は嬉しい。
いつも、ありがとう!!
これからも頑張ります。
見ていてください。
遠藤 花織
このまま話さないのも、「あれ? 花織さん、毎年受けてた試験どうしたのかな?」「触れちゃいけない話題なのかな」って気を遣わせると申し訳ないと思い、
話してみます。
うまく話せるかなぁ。
あたまのなかごちゃごちゃして、あんままだ上手く言葉にできない; ごめんね。
=====
今年は、宅建も、行政書士試験も、受けないのです。
行政書士試験は来週末かな。
宅建は10月に終わりました。
どちらも、願書が出せる締切日まで悩みに悩んで、
怖じ気づいて「とりあえず出すだけ出しといて、受けるかどうかは試験日までに考えよう」なんて時間稼ぎするのは、チガウだろう、と自分に言いきかせ、
「出さない。受けない」となんとか決断しました。
この”決断”っていうのが苦手でね……。
といっても、自分のやりたいことさんざんやってるとは思うのですが;、
肝心なところで、ものごとを”決める”、
それも、自分の意思でね、自分で考えて決める、自分で責任をもって決める、っていうのが、苦手なまま、ここまできました。
わりと押しに弱いし、
優柔不断というか、
曖昧なまま時間だけ過ぎていく(時間は容赦なく過ぎていってるんだけど、自分の中では、答えを出さないこと=時間を停止している気分、というか、自分の中だけでは時が止まっている……)、
ということが多いなぁと気づいたのは、ほんとにここ1年2年のことです。
それまで自分は、自分の意思が持てると思っていたし、
自分で決められる、と思ってた。
=====
ウチは、以前からしつこくくりかえしていますとおり、”過干渉”なおうちです。
母はよく言えば世話好き、悪く言えばお節介焼き、
そんなことどうでもええやん、という細かいことまで口出ししますし、
まあ男女ともに一定数いるタイプよね。「束縛の強い彼女(彼氏)」になりそうなタイプ。
彼女(彼氏)だったらお別れするとか、最初からつきあわないとかいう選択がありますが、
私の場合は親だからなぁ……というだけの話で。
私もそういうことされるのは嫌だ、と明確に意思表示してるんで、
やられっぱなしの言われっぱなしではないし、
クソ生意気な娘なんですけども、
「親にとっては何歳になっても子供は子供」「オマエも親になれば分かる!」と力説されるので、
話が通じないのです。
しかし私は自分がされて嫌だったことは自分の子孫にはしたくないなぁと今のところ思いますので、
母のその理屈には納得できかねるのです。
私が親になればわかるのではない、
私と母は違う人間で、それぞれ独立した人格があるのだから、
すべてを同じように思うわけではないのだ。
と私は思うのです。
で、父は? というと。
私への注文度は、じつは母以上。
私の友達が、「”ぼくのかんがえた、さいきょうのむすめ”という扱いをしてる!」と悲鳴をあげたほど(笑)。
小さな男の子が、「ぼくのかんがえたさいきょうのロボット」などを夢想するように、
娘に対してガチガチに固まった理想があり、
それから少しでも外れると怒る、許さない、自分の思いどおりにしようとする。
そんな父と母は、仲がよろしくないんですけれども、
それはね~似た者同士だからだよ~~と思う。
そう言うと2人とも「違う!」と怒りそうなところまで、そっくり。
そして私は、
私の周りの人が、おそらくうんざりして私に呆れるほど、
「縁を切れば?」
「絶縁するのが難しいなら、とりあえず全部ほうりだして逃げれば?」
とアドバイスしてくれたのですが、
ものごとを解決せずに逃げだす、っていうのは、きもちわるくてかなわん性分だったのです……。
おそらく。
自分じゃ自覚なかったけど。
なので、戦おうとする。
徹底的に話しあうことで解決しようとした。
だから多分、こんなに長い間、両親への説得を試みてしまったのだと思う。
両親じゃなく他人ならば、「話したってわかってもらえないこともあるよな、そりゃ」とある程度であきらめられたんだろうけど、
こと“親”ということで特別な期待でもしてしまったのだろう、
「熱心に話せば、きっとわかってもらえる」って。
漫画とかドラマとかでもあるじゃん。
子の夢を応援しない親なんていないよ。とか、必ずわかってくれるよ。とか、根気よく説得すれば熱意が伝わって、やりたいことをやることを許してくれるよ。とか。
私は許してほしかったんだろうね。
そして、できれば応援までしてほしかった。
「そうか、そんなに言うならやってみなさい。がんばれよ」
そう言って背中を押してほしかったんじゃないかなぁ?
でないと自信を持てなかったんじゃないかなぁ。
「だめだ、やるな!」って反対されてるものを、反対押しきってやったりしたら、”いけないこと”をしているようで、
罪悪感でいっぱいになるから。
=====
でねー、わかったことがあるのです。
私が長年、「なぜ許してくれない」(それは、「なぜ私を認めてくれない?」という魂の叫びと考えていただければ)と、もどかしく思い、
わかってもらおうと何度も何度も闘いをいどんでいたのと同じく、
親からすれば、「なぜ諦めない!? こんなに辞めろと言ってるのに!」と、もどかしかったんだろうなー、と。
私が、何度でも説得すればいずれわかってくれる、と思っていたのと同じ強さとしつこさ(笑)で、
反対しつづければいずれ私が根負けして諦めてくれる、と、親が思っていたのではないかと!
私も親に似てたのさ。似た者同士だったのさ。
と思うと泣けてくるわぁ……。
なにを長年、意地を張ってきたのかなーと思った。
だけど、「意地張ってたんだなー」と認めることはこれまでの長い年月を全否定することのようで、
認めることもできなかった。
=====
私が、物事を決めるのが苦手というのは、
優柔不断で意思が弱いと言われたら身も蓋もありませんけれど;、
そこにいたるまでには、
自分の意思を持つことを否定されてきた長い時間や、
自分が選ぶ前に「こっちにしなさい!」と決めれることが多かったこと、
また、自分的に「どっちでもいいなぁ」もしくは「こっちはイヤだけどまぁ、我慢できないほどイヤでもない」と思っているうちに「こっち! こっちがいい!」と強く望む人が身近にいると、
まぁ私は我慢できないほどでもないけど、この人はこっちじゃないと我慢できないほど激しくイヤそうだから、こっちにしてあげようかな? と思う隙や弱さが、
あったんだと思います。
「そのほうが、この人は喜ぶかな?」という、
ゆがんでいるかもしれないけれど、私なりの「この人」への思いやりでもありました。
誰だって、嫌がられるより、喜んでもらいたい。
反対されるより、賛成されたい。応援されたい。よね。
私は大人になっても長い長い間、親の望む“よい子”であろうとしたんだなあ、と思いました。
=====
やっぱりうまく整理できないな。
この問題はまだ私の中で終わってないんだろうな。
だいぶ整理できてきた気はするけども。
というもやもやを背負って生きている人は、私以外にもすんごくたくさんいるだろう。
で。
試験のこと。
最後の数年はもう、そりゃー、「自分の意思」でした。
自分で受けようと思ったし、受かりたいと思ったし、あの仕事がしたかったし、
そうじゃなきゃさすがに何年も勉強できなかったから。
でも多少は、
「まじめに勉強する」ことを嫌がる親はいないだろうし、これだったら親は喜んでくれるかな? って思ってた。
私が受かったら、私のことを1人前の人間として認めてくれるかな、って。
なにをやっても否定されるので、
もう否定しないでほしい。
認めてほしい。
その気持ちが自分の中で大きくなりすぎた。
目標がブレはじめている気がしたし、
今まで築きあげてきたものがなんであろうと、勇気を出して一旦手放して、
誰のせいにもしない、自分の責任で、
自分のこと考えなきゃいけないんじゃないか、
と思うようになった。
そのとき、
「親には認めてもらわなくてもいいから」「親の目を気にせずに」「本当に、純粋に、誰に言われるでもなく、自分から”やりたい””好きだ”と思って、やることは、何?」と考えていた。
そして、
そうやって自分でやると決めたことは、
(試験だったら不合格、のように)失敗したとしても、
自分で全部責任とるんだぞ、と。
親や、育った環境のせいにするなよ、と。
それが、「“試験”じゃなかった」かどうかは、
正直まだわかりません。
試験をやめてよかったのかどうかは、
まだわからない。
何年も受からなかった試験に、
焦りや、悲しみや、そりゃー後悔も未練も感じるけど、
それでも、試験を受けたことを嫌いにはなりたくないな。
間違いなく私はあの仕事を目指したし、
好きだから頑張ったと思いたい。
ただ、今年も受けるとなると、
考えがまとまらないまま、「考えてる暇などない!」って受験勉強に突入しなくてはならないので、
それだと今までと同じで、
覚悟ができないまま突入しても、
また、あと一歩で手が届かないだろう。
私に足りないのは覚悟だった、と思った。
というわけで、
歯切れが悪いんだけど、諦めたわけでもない……。
諦める勇気さえないだけかもしれないんだけど;
覚悟が決まるまで、
今年は、やめ。
そんな、今まで大事にしてきた受験勉強をやめてまで、
その代わりに取りくむような一大事業ってなんだ!? ということになるんですけど、
それが、
「漫画」
っておい!!
……しかも、たいして上手いわけでもなく、
長編でもない作品かよ、と;
でも、私にとって漫画を描くことは、好きなことの1つ、なんだ(^-^)
そして過去に、親に「そんなことする暇があれば勉強しろ!」と大激怒され、せっかく描いた絵を破りすてられ、
「私は漫画が大好きだから、お願いだから描かせてください」と枕元に手紙を入れてまで徹底抗戦した(口で言っても言い負かされるので、言い分を紙に書いた(笑))ことだから、
私にとって、やる意味がある。
子供のころは親に反対されてやりたくてもできず、
大学生で親に隠れて同人誌発行したりしたけど、
投稿は2回で諦めて中断していたこと。
あのとき諦めたわけじゃない。
諦める勇気なかっただけだけど、
諦めたいほど嫌いになんかなれなかったから。
だからあのころの夢を再開することは、
私には意味がある。
だから、もっと早くから始めておけばよかった、とはあんまり思わないかな。
今さら始めるのか? とも思わない。
いろいろ乗りこえた今だから描けるようになったこと、ってあると思うから。
もう、親に認めてもらうためには描かない。
人に認めてもらえるかとか、
資格とか社会的地位とか安定とかはこの際関係ない。
自分が描きたいから、自分のために描く。
描くと決めたから、描いている。
ただ、私はBL読むくせに、今BL描いてないのは、
それでもいつか、親に私の描いた漫画を見せてやりたい! って思うから(苦笑);
「アンタ、まだ諦めてなかったの」
と呆れさせてやるのさ(笑)。
根比べでは、負けませんよ。
=====
さあ、投稿4作目もがんばって描かなきゃ♪
私の日記を読んでくださってるかたは、私のやること認めて、応援してくれてるかたも多いから、
私は嬉しい。
いつも、ありがとう!!
これからも頑張ります。
見ていてください。
遠藤 花織