嗚呼「グラントリノ」… | 遠藤一平のブログ

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率直に思ったことを適当に綴ってます。極私的散文

恥ずかしいくらい男のメロドラマの極致映画、現代の男性に必要な映画をイーストウッドが遺言のように作った映画。凄い傑作ではないと思ったが胸がいっぱいになる映画だった。なかなかすぐに言葉にならないが余韻を忘れないうちに思ったことをめちゃめちゃに綴ると、 イーストウッドは役者である自分の最期を自分で彩ったように見えた。「グラントリノ」はイーストウッドの生前葬。定年退職したダーティーハリーの最期にも見えたし、「許されざる者」の現代版にも見えたし、いろなイーストウッド作品の断片が見え隠れしていたように思う。
イーストウッド自身、やりながらいろんなことを思い出していたんじゃないかという映画だった。
凄いいい映画というと微妙だが間違いなくいい映画だ、ただラストは読めた、ハードボイルドの一番スウィートな常套手段をストレートに用いたのが、ある意味イーストウッドらしかったのかもしれないが、タフガイを演じてきた男は自分の築いてきたキャラクター像をどう終わらせるか悩むのだろう、「ロッキーザファイナル」も最期にリングの上で…という展開かと思っていたが、そうでなかったのがドラマティックじゃなくていいような気がしてた。
しかし「グラントリノ」は…なんかもう一歩あったら泣けたような気がする、心の中では泣けたが、イーストウッドらしい小さなクラブで聴くジャズっぽい、大上段にうったえず、さりげなくクール、余韻だけ残してすっと紳士的に消えていくようなスマートさ、愛人も寝ている子供も起こさず部屋から消えていく男、父親のかっこよさ、は健在だった。
いいアメリカ的アメリカ人をやってた。
昔はイーストウッドの眉間にシワをよせる不器用な芝居が鼻についたが、紳士な老人となったタフガイの姿を見ていると愛しくなった。そこが微妙に泣ける要素だろう。
毒舌オヤジの傑作は「セントオブウーマン」だったがその下に「グラントリノ」は並んだかもしれない…ちょっと時間をおかないと見えてこないが。
マカロニウエスタンのガンマンからダーティーハリーの現代のガンマンまで、悪い奴等は45口径と44マグナムでぶっ殺す、ジョン・ウェイン的ザアメリカ的馬鹿が市長やって、それ以降は人間を見つめる審美眼のある本来のクリント・イーストウッドになり始めた気がする、大根役者から大変化したイーストウッドはアジアを意識しだし、世界市民になってきた気がする。
「硫黄島からの手紙」には驚いたし、今回のグラントリノも、白人の青年との交流でなく、東南アジアのハリブンチャイ王国を建国したややマイナーなアジア人なのがアジアに対して何を感じているのかと、見ていてその選択に意味があるのか考えてしまった、朝鮮戦争での贖罪意識を清算する為にアジア人だったというだけなのか、単にそうではなく、アメリカという国が第二次大戦以降ずっと、日本、朝鮮、ベトナムのアジアに対して行ってきたことに対してさりげなく反省してるということにも見えた、互いに殺しあった戦争だったから仕方ないと、言い切る人もたくさんいるが、死ぬ前に戦争でアメリカがしてきたことを清算しておきたいというイーストウッドらしい、ダンディズムが何かしらあったような気がする、法律で敵国の人間なら殺していいという戦争という趨勢であっても、一人の人間として反省しておきたい、という真摯な人間の高潔さを垣間見た気がした。 政治的な気運に流されないアメリカ人の高潔さはアメリカの底力な気がする、まだ大人がいると思えるダイナミックさがある。
日本は80年代まで頑固で筋を通す、紳士(武士道)なオヤジが現役でいたような気がする、近所にも学校にも頑固で筋を通すクソじじいがいた、
だいたいそんなオヤジに育てられた子供たちは自分の子供には理解のある優しい親を演じてしまう、そんな親に育てられた子供たちがだいたい我々の世代と少し後の世代になるのだろう、
やはり頑固なじじいは必要、人間とはこういう生き物なんだと、コンピュータが自分の代わりになってる奴等に教える経験豊かな真の大人が必要な時代だが、間も無く戦中派は漏れなくみんなこの世を卒業してしまう。
コンピュータがなかったら何ができるのか知れたもんではない輩達、コンピューターを使って人を喜ばすのでなく、巧みにはったりをかまして飯の種をセコセコと築く「人間界の偽者」という輩達はせめて誰でもわかるシンプルなストーリーである「グラントリノ」を見て人生とは何か考えてみるのがいいと思う。
テクノロジーなどはすぐに次世代に追い抜かれてゆくものだが、生きてる時間が短い若い次世代に真似ができないのは生きてる時間が長い人間の含蓄や高潔さだろう、人間である以上それしか歳をとった人間は若い世代に見せれるものはないだろう。金をちらつかせても心までは奪えない、金は有限なのでなくなったらそれで終わり、金による魅力は金がなくなった時点でつきる、しかし手本となる生き様は人間の中で末永く生き続け、人間を勇気づけ、生きる活力を生み出す、人間にとってのほんとうの生きる為の糧は人生のベテラン達の高潔な生き様以外にない。
金は潤沢にあるに越したことはないが、その昔、世界の超大国であったロシアの超大富豪たちは何もしないでも毎日超贅沢三昧だったが、生きてる実感を求めてロシアンルーレットを作った、人間とはそういう生き物だ。「グラントリノ」はシンプルに力強く、底辺にいる人間でも次世代に継承できるものがある、と残された時間が短い人間たちにも希望や糧を与える上手い作りの映画だった。イーストウッドは人の使い方がうまい…