「ダークナイト」ナメて見たらやられた。 | 遠藤一平のブログ

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率直に思ったことを適当に綴ってます。極私的散文

「ダークナイト」を見た。久々の80点超え映画、今朝やってるやつやOVAやリメイクされてる映画ではない原作の方のデビルマンや仮面ライダーがもっていたダークさを表現できていてアメリカにやられたと思った、ラストサムライも主演がアメリカ人だというのがいささか気にいらないのを抜かしてやられたと思った、共通しているのはハンス・ジマーの底の方からグイグイくるサントラにやられる。なんか泣ける。とにかく今ないヒーロー映画だ。
「ダークナイト」はヒーローについて的を得ている、ヒーローとはああでなくてはならない、今は死語となった「男」「漢」映画。闘う人間が独りで命がけでぶちあたらないとならない障壁がちゃんとある。そして「男」「漢」を売りにしない、一人間として闘う姿を描いているがあれは男にしかできない。俯瞰から見て結果男漢映画。ヒーローはそうでないとダメ、ただ完全無欠なのはNG最低、ゴミ、クソ、ファック。日本みたいにオタクがヒーローを作っているのは尚更NG。子供が見るからこそ父性の部分で大人の男が闘って見せないといけない。こういう生き様もあるんだ、と見せつけてくれないと何の説得力もカタルシスもない。ガンダムや仮面ライダーが好きだからというだけで作るのもいいが今の日本の安いアニメやヒーローはくだらなさすぎる。できれば消えてほしい…プロデューサーがオタクを選んでる時点でアウト。子供が見ても大人が見ても何かしら感銘を受けないとダメなのがヒーローものだ。親しみやすいヒーローなんてダメなんだと思う。例えは適切でないが松田優作や長渕剛じゃないがとっつきにくい人間でないとヒーローはやってはいけない。世捨て人、羅生門の外にいる鬼が、アウトローが、ヒーローになるべきだ。そのリアリティが今のオタクには通じない。まさに「ダークナイト」であるべきだ。そういう人間にしか世の中は変えられない。孤独な革命家しか真のヒーローはいない。自分じゃない誰かの為、それも多くの人間の為の次の更に善い何かに繋げてくれる人間。完全無欠でなく罪深く独りで悩む人間、それこそ真のヒーローだ。

「ダークナイト」は俯瞰から見ると珍しいくらい凄い男映画。三角形関係で間にいる女を結果葬り去る、凄い男エゴ映画。仁侠映画ーある種のバディフィルムだ。ヒーローの形を借りて凄いことやってる。そこにハンス・ジマーのダダンダダンとくる。やはりバカなくらい「ローリングサンダー」「あしたのジョー」に次ぐ久々の漢映画。ベタベタだがしびれた。やっぱりアメリカ映画は底力がある。信念がある。よく作らせるよね。
ここからはオタク余談でございますが、メカ好きにもたまらない、前作に続きバットマンの車タンブラーが出てくるがカッコいい、アメコミに出てくるゴテゴテの装飾だらけのくだらんおもちゃじゃない。日本の特撮ものも見習え!少々バイクの登場の仕方にギミック的に無理はあるように思えたが、バットポッドが出てきた時はしびれた。秘密兵器というものは使う人間がギリギリまで追い込まれそのピンチの状態から独りで苦悩した結果、そこから脱出するというカタルシスがないとカッコよくない。スティーブ・マックィーンがバイクで脱出したようなあのカタルシスが人間のパワー以上のメカはギリギリのところで発揮しないとならない。
「太陽の帝国」で戦場で大空のキャデラック、ムスタングが飛び去るのを鳥肌がたちながら見ていた少年が今はバットパッドで疾走。全てを背負い闇に消えていった…
思い出すだけで少し泣ける、ヒーローが成立しずらい時代に「ダークナイト」はそんなバカベタヒーロー映画を真摯にやってのけた。少々短絡大味だがシミレーションがちゃんとできている(多分あれでも削ったんだろう)。民の為に犠牲になった男を神とした贖罪観念のある宗教を持つ国は近代主義であっても心の中にヒーローをもっているのだろう。いまだに宗教戦争やりやがるのはバカバカしいが、なんか羨ましい気もする。
とにかく「ダークナイト」はナメて見たら久々に80点超えした。個人的にはハンス・ジマーだけに音楽をやってほしかった。男の子ワールドを再現するには奴のダダンがないとダメだな。