■ 月守ワークは毎月下旬に募集 ■
個人セッションは一時的に受付を停止しております
中国語の語学アプリを使ってまして。
試験受けるとかではないのであくまでのんびりやってるくらいなのだが、かれこれ2年くらいはやっている。
アプリは何種類か同時に使っている。
1種類だとどうしてもアプリそれぞれにあるクセにハマってしまうのでそれを防ぐためだ。
デュオリンゴとかクセがすごいからなあ。
ああ、そんで、語学アプリをやっていてよく思うことがあって。
失敗した方が結果的に成功じゃん、という話だ。
語学アプリは基本的に一問一問テストを解いていくように進められるのだが。
一発で当てた問題って基本的に二度三度やったりしない。
間違った問題はどうしても仕様上、元に戻って正解するまで何度も回答することになる。
で、結果的に、記憶にしっかり残ってるのは間違えた問題の方なんだよなあ、当然っちゃ当然なんだけど。
記憶に強く残ってるものってなんにせよ、学びがあるものだ。
しんどいものだろうが、悲しいものだろうが、怒り狂うようなものだろうが、記憶に強く残っているということは、心や魂にとってはよりよくなるための学びがそこにはあるのだよ。
人間はどうしても失敗をただ悪いことだと判断するし、イヤな思い出は一秒でも早く消し去りたいものだ。
それはもちろんなことだが、そこには学びがあるし、それはつまり、心や魂にとっては糧のひとつとなるのだ。
できればなんの傷も痛みもなく、楽しくて幸せなだけの人生を送りたいものだよ誰しも。
自分だって長年の病気のために体は消えない傷跡だらけだ。
まあでも、その分、経験値は積んだし学びも山ほど得た自負がある。
痛みと引き換えにという言い方は決して好きじゃないが、でも事実ではある。
失敗は、視点を変えれば確実に成功であるのだ。
舌打ちをしながらでいい、それでも前を向いて立ち上がるんだ。
わざわざ言うほどの話でもないのだが、自分はケロイドに似た傷跡が体中広範囲にある。
病気の痕だ。
まるで痛みと苦しみの記憶を忘れさせないためにあえて消えないかのように。
見るたびに禍々しいが、幸運だとも思っている。
好きなことを仕事にする方法の基礎について書いたnoteです。
自分の大好きな何かを仕事にするためのヒントがここにあります。

