空を自由に飛べないが | お金と自由とライフワークと萌え

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自分で自分に制限かけてる人って多いよねっていうか。
世の中のほぼ100%が自分に制限かけて生きている。
当然私もだ。
これな、じゃあ制限かけてない人ってどんな人?ってなると
「俺に限界などない!!全てにおいて!!」
みたいな感じになってしまう。
ジャンプ漫画の悪役ボスみたいな厨二感あるよね。
ちょっと頭悪そうになる笑
要はこの世をある程度理解してたら限界だらけで当たり前というか、制限の中で生かされているのが人間というものだというか。


だから自分に制限をかけている、というのは決して間違ってるわけではないしやむないことだし、まともな人のやることだし責めるような話ではない。
しかし、ある程度自覚がないと人生の「失敗」を招くことにもなるから注意が必要だ。
ここで言う失敗とは何か?
そりゃうちのブログで言ういつもの話だよ。
おさらいですまんけど、己の魂の望みとか、意志とか使命とか、そういった本質からかけ離れた、誰かの言いなりになるだけの奴隷的人生を生きることが「失敗」だろうね。


今日は別に使命の話がしたいわけじゃないんで触れないが、そっちじゃなくて、自分で自分に制限かけてるとか、知らず知らずのうちに制限だらけの環境にいるんだってことを自覚していけ、という生きるヒントだ。



つい数十分前も、これを痛烈に感じる出来事があった。
1人でのこのこ車椅子で売店に缶コーヒーを買いに行ったら看護師数人から「どこに行くんですか?」とキツく呼び止められたのだ。
というのも、前の病院と違って新天地病院では車椅子単独でウロウロしている患者がほぼゼロだからだ。
前に話したとおり、超高齢者が患者の9割を占めるため、どうやら患者は付き添いなしに院内をウロつけないらしいのだ。
単純に危ないからね。
身体的にも認知の面でも。
だからあらかじめ単独ウロウロの許可をもらっている私はかなり特殊な患者なのだ。
しかし、私を知らない他病棟の看護師たちは当然咎める。
標準だと許されない行動をしている患者だからだ。


この時、私はハッとするのだ。
1人で移動することを許されない場所にいるのだ、監視されてるのだ、と。
確かに許可はもらっているので悪いことはしていない。
だが、場所としては「悪」とか「否」にあたる。
自分で自覚のない制限の中で生活している。


これは悪い話でもいい話でもない。
例として挙げたに過ぎない。
ただ、案外人というのは、自分がわかっていない不自由の中で生きているということを知ろうぜ、という話がしたい。
特に我が国は平和ボケが酷いのでこの傾向が強い。
何せハンパに平穏な毎日を享受できている。
そのせいで今かなりやべえ状況になりつつあるのに大多数がノホホンだ。
我々は制限に制限を加えられ、どんどん追い詰められている。
国によって、政府によってな。
(要はジミントーなんだけどさあ😩)


我々の親世代、数十年前と比較すると、できなくなってることが山ほどあるのだ。
また、自分に制限をかけざるを得なくなっている。
あれができない、これができない、そんなんばっかだ。


行動や思想が制限されると、おのずと人格も影響を受けておかしなことになる。
本来の形から離れて歪になっていくというかさ。


自覚だけでいいんだよ。
補正は自覚なしにはできないからさ。
まずはそれだけで。
私たちは不自由な世の中を生きている。
そこから自由を得ようとしているのだ。
幸せって自分なりの自由の中にだけあるからね。



不自由の中に幸せはないのか?と言われると答えは当然NOだ。

あくまで、人生とは自分だけの自由を模索するゲームとも言えるし、不自由を自由に変換するスキルを得ていくことこそが人類のテーマでもあるからだ。




そもそも、我々は体がある時点で不自由なのだ。

空は飛べないし、秒で異国にも行けないし、病気にもなる。

この不自由さをどう自由に生きるか、である。

人の永遠の課題だ。