ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Op.78 「雨の歌」 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

今までも何度も聴いてきたヨハネス・ブラームス (1833-97) 作曲のヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」

先日も樫本大進&エリック・ル・サージュさんの演奏で聴きました。

毎回聴いた際に作曲のエピソードなども含めちょこちょこ書いてきましたが、これを機会にまとめたくなりましたにやり

 

  作曲

 

1878~1879年 (45-46歳) の夏にオーストリア南部のヴェルター湖畔の北岸にある避暑地ベルチャッハで作曲されました。

実はこの第1番を作曲する前にブラームスはイ短調のヴァイオリン・ソナタ(1853年頃といわれるがそれ以前とする説もあり)を作曲し、シューマンから出版を提案されたがブラームスの判断(自己批判)によって破棄ハッされたそう汗

 

  「雨の歌」の由来

 

「雨の歌」という呼称はブラームスがつけたわけではありません。

これは第3楽章冒頭の主題が、ブラームスが1873年に作曲した歌曲「雨の歌 Regenlied Op.59-3」の主題を用いていることからこの題名で呼ばれるようになりました。

 

ヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」の自筆譜 第1楽章冒頭。「ソナタ」以外の題名は書かれていない

 

 

  歌曲「雨の歌」について

 

歌曲「雨の歌」の作詞者は詩人クラウス・グロート (Klaus Groth: 1819-99) です(wikipediaはコチラ

 

Klaus Groth: 1819-99

(画像はこちらのサイトよりお借りしました)

 

グロートはブラームスより14歳年上の同じ北ドイツ出身で、ブラームスのいとこと同じ学校に通っており、ブラームスとは1856年に開催された低ライン地方の音楽祭で出会って以後晩年まで深い親交をもちました。歌曲としてグロートの詩に初めて曲を付けたのは、WoO21「雨の歌 Regenlied」(1872)で、作品番号が初めてついた作品が同じタイトルの「雨の歌 Regenlied Op.59-3」(1873)でした。 以下歌詞を載せます(原詩、和訳はこちらのサイトからお借りしました)

大井駿氏によると、「雨が降ると裸足になってはしゃいだ子どもの頃を懐かしむ」という内容で、たしかに読んでみると疎ましい雨、というのではなく生命の息吹を感じるような雨だなぁと思います。

 

 

「雨の歌 Regenlied」 詩:クラウス・グロート(原語:ドイツ語)

 

Walle,Regen,walle nieder,        雨よ降れ、振れ
Wecke mir die Träume wieder,       子供のころのあの夢を
Die ich in der Kindheit träumte,        もう一度呼び覚ましてくれ、
Wenn das Naß im Sande schäumte!     雨水が砂の上で泡立つ時に

Wenn die matte Sommerschwüle       すがすがしい冷気に、たちまち
Lässig stritt mit frischer Kühle,       夏のものうげな暑さが和らぐ時に、
Und die blanken Blätter tauten,        そして青い葉が雨にぬれ
Und die Saaten dunkler blauten.       麦畑がいっそう青くなる時に

Welche Wonne,in dem Fließen       裸足で雨に打たれ、
Dann zu stehn mit nackten Füßen,     草の中に手をさし伸べ、
An dem Grase hin zu streifen         手で水の泡に触れるのは、
Und den Schaum mit Händen greifen.    なんと楽しいのだろう

Oder mit den heißen Wangen        そうでなければ、頬に冷たい雨を
Kalte Tropfen aufzufangen,          受けとめて、
Und den neuerwachten Düften        子供の頃に還った胸が、
Seine Kinderbrust zu lüften!          初めて立ち上る香りに包まれるのは

Wie die Kelche,die da troffen,       濡れて水を滴らせている、
Stand die Seele atmend offen,       その盃の形をした花のように、
Wie die Blumen,düftertrunken,      初めての香り、天からの露に
In dem Himmelstau versunken.       酔った花のように、心はらくに呼吸する

Schauernd kühlte jeder Tropfen       身震いのするほど冷たい、全ての雨滴が
Tief bis an des Herzens Klopfen,      降りてきて、この鼓動する胸を冷やし、
Und der Schöpfung heilig Weben       こうして、創造の聖なる営みが
Drang bis ins verborgne Leben.       私のひそやかな命に忍び入るのだ

Walle,Regen,walle nieder,        雨よ降れ、降れ
Wecke meine alten Lieder,         あの昔の歌をもう一度呼び覚ましてくれ
Die wir in der Türe sangen,         雨だれが外で音をたてていたときに
Wenn die Tropfen draußen klangen!     戸口でいつも歌ったあの歌を

Möchte ihnen wieder lauschen,        もう一度、あの、やさしい湿った雨音に
Ihrem süßen,feuchten Rauschen,     耳を澄ませていたい
Meine Seele sanft betauen           聖なる、子供のときに感じた畏れに
Mit dem frommen Kindergrauen.        私の心はやさしくつつまれる

 

ブラームスは多くの歌曲を書きましたが、特にこの詩を気に入り、別のメロディを付けたものを1曲、さらにふたりの共通語だった北ドイツのみで話される低地ドイツ語(ふたりがこれで会話すると周囲の人は何を話しているのかわからなかったそう)で書かれた同じ詩にも1曲作曲しているそうです。

 

低地ドイツ語で書かれた歌曲「雨の歌」の自筆譜

ブラームス自身、「低地ドイツ語は自分にもっとも近い言葉なので、曲を書きづらい」と言っていたそうですが、このお気に入りの詩にはどうしても曲をつけたかったのか、最下段におまけのように書かれています(大井駿氏のONTOMOのサイトより)

 

 

ふたりは年の差がありながらも大変親しく、1888年の夏には一緒にトゥーンに滞在、ここでグロートの詩に曲をつけた「歌の調べのように Wie Melodien zieht es mir Op.105-1」(1886)が書かれました。

 

  

ブラームス:歌曲「雨の歌」Op.59-3  (4分47秒)

/ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ, イェルク・デームス (Pf)

 

 

  作曲のエピソード

 

この作品の背景にはクララ・シューマン、そしてその息子のフェリックスが大きく関わっています。

 

ブラームスが生涯にわたって深い交流があったクララ・シューマン。彼女は8人の子供を生みました。それぞれの子どもたちの生涯はこちらのツヴィッカウにあるロベルト・シューマンハウスの公式サイトに記載があります(それぞれのポートレートもあり)

 

・長女:Marie (1841–1929)

・次女:Elise (1843–1928)

・三女:Julie (1845–1872)

・長男:Emil (1846–1847)

・次男:Ludwig (1848–1899)

・三男:Ferdinand (1849–1891)

・四女:Eugenie (1851–1938)

・四男:Felix (1854–1879)

 

シューマン家の子どもたち(1853年か1854年に撮影)

(画像はクララ・シューマンのwikipediaよりお借りしました)

左からLudwig, Marie, Felix, Elise, Ferdinand and Eugenie

 (Julieと生後16か月で亡くなったEmilは写っていない)

 

8番目の末子で四男のフェリックスは夫のロベルトが精神病院に収容された直後に生まれました。クララに頼まれてブラームスが名付け親になったそうです(メンデルスゾーンにあやかってフェリックスと名付けたそう)。ブラームスはフェリックスを我が子のように可愛がりました。

フェリックスはヴァイオリンを弾き、詩を書くなど才能あふれる青年でした。ブラームスは1873年(フェリックスが19歳の時)のクリスマスに、フェリックスの詩に曲をつけた作品、歌曲「ぼくの恋は緑」Op.63-5 を贈っています。その時の様子をクララは手紙にこう書いています。『彼に何も告げず、私たちが弾き、 歌い出しますと、フェリクスは誰の歌かと尋ね、 自分の詩を見ると蒼白になりました。あの歌もそして終わりのピアノの部分もなんと美しいのでしょう!』

そのころのフェリックス・シューマン (1872年 18歳の時)

(画像はこちらのサイトよりお借りしました)

 

ブラームスが曲を付けたフェリックスの直筆の詩

「私の愛はライラックの茂みのように緑です」

(画像はフェリックスのwikipediaよりお借りしました)

 

しかしその後フェリックスは肺を患い(結核といわれている)、ヴァイオリニストになる夢も断念、24歳のときに病状が急激に悪化します。クララはブラームスへの手紙に『この病気は最も残酷なもので、どうしてやるわけにもいかず、言葉もなく見ているよりほかはないのです』と書きました。

フェリックスの病状を心配したブラームスは、その時作曲中だったヴァイオリン・ソナタ第1番の第2楽章の冒頭の譜面とともに、クララにこう書き送りました。

『あなたが裏面の楽譜をゆっくりと演奏されるなら、私があなたとフェリックスのこと、彼のヴァイオリンのことをどれほど心底思っているのかをあなたに語ってくれる でしょう。でも彼のヴァイオリンは鳴り響くのを休んでいます―』

ふたりの願いもむなしく、フェリックスは1879年2月に24歳 (25歳と書いてあるものがありますが、フェリックスは1854年6月生まれなので24歳です)の若さで夭逝しました。

ブラームスは失意の中、この年の夏にヴァイオリン・ソナタ第1番を完成させ、クララに送りました:第2楽章冒頭には前述したクララへの手紙とともに送った譜面が使われ、第3楽章の主題には6年前の誕生日に贈られたクララが好きだった歌曲「雨の歌」の旋律が用いられていました。そして第3楽章の終盤では先の第2楽章の旋律が優しく回想され、その断片が「雨の歌」の流れるような伴奏を重なり合う・・・この作品はフェリックスの愛したヴァイオリンが奏でる彼への追憶の曲ともいえます。

クララはブラームスに宛てて『私の心はあなたへの感謝と感動に高鳴っております。そして心の中であなたの手を握ります』『このような音楽こそが、 私の魂の最も深く柔らかいところを震わせま す!』と書き、この作品を(フェリックスのいる)天国に持って行きたいと語ったそうです。

(参考:内藤晃氏「名曲の向こう側」第11回

 

フェリックス・シューマンのお墓

(画像は彼のwikipediaよりお借りしました)

 

このエピソードについては、フェリックスが実はクララとブラームスの間にできた子供だったのではという説もあるそうですが、ふたりの性格なども考えると個人的には違うのではないかな~と思います。

 

  曲について

 

全3楽章。以下はほとんどwikipediaを参考にしています(譜面もそちらからお借りしました)。

 

第1楽章:Vivace ma non troppo 

ト長調、ソナタ形式

 

第1主題

 

第2主題

 

この第1主題の冒頭、休符が入ってるのがやや”詰まった”感じ、など色んな人が色んなことを言ってるみたいですが、興味深い。私は専門的なことは分からないですが、これブラームスの間違いなんかじゃないと思いますけどね~にやり この休符ありの冒頭だからこそ最初っから聴く者を惹きつけるんじゃないかなぁ。

 

第2楽章:Adagio

変ホ長調、三部形式

 

叙情と哀愁が入り混じる緩徐楽章。民謡風の旋律(下の譜例)がピアノで奏されヴァイオリンが加わって哀愁を歌う。第2部はフェリックスへの追悼の意味も込めたのか葬送行進曲風の旋律で、この旋律は第3部で再び回帰する。

 

 

第3楽章:Allegro molto moderato

ト短調、ロンド形式

 

ブラームスの歌曲集「8つの歌」Op.59の第3曲「雨の歌」(前述) と第4曲「余韻」に共通する旋律を主題(下の譜例)としたロンド。この主題は第1楽章の第1主題と関連があり、また第2エピソードとして第2楽章の主題を用いるなど、全曲を主題の上で統一している。最後はト長調に転じて第3楽章の主題により締めくくられる。

 

 

 

この作品は数多くのヴァイオリニスト、ピアニストによる録音がありますが、演奏家によってかなりその表現が違うのが私には面白いです。実際のコンサートでも何度も聴いてきましたが、やっぱり違う。 

個人的にあぁいいなと思ったのは、最近聴いた中では(映像ですが)ルノー・カプソンとアレクサンドル・カントロフによるザルツブルク音楽祭での演奏です(カントロフはたしかアルゲリッチの代役ではなかったかな)。ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏してましたが、どれもとても素晴らしかったです。

録音ではカヴァコスとユジャ・ワンのものが最近では一番お気に入りです。ユジャの繊細なピアノ(ユジャってこういう弾き方もするんだなと初めて聴いたときはやや驚きました)がカヴァコスの優しいヴァイオリンと相俟ってめちゃめちゃ好みですにやり ユジャってソリストとしてだけではなく室内楽もすごく向いてると思います。だから色んなソリストたちから共演を申し込まれるんでしょうね~。

 

おふたりの実際の演奏映像(ヴェルビエ音楽祭のもの)もありましたので載せておきます。

第2楽章なんてなんと儚げで脆く美しいことか。

 

 

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 Op.78 (27分53秒:第2楽章;11分13秒~, 第3楽章;19分18秒~)

 / レオニダス・カヴァコス (Vn), ユジャ・ワン (Pf)

 

 

シューマンが入院したあとブラームスは3年にわたって献身的にシューマン家を助けました。子供たちの世話から出版社などからの収入や家賃などの支出を細かくつける仕事までずっと支え続けました。夜は子どもたちに子守歌まで歌ってあげていたとか。シューマンが入院したときブラームスは21歳、クララは35歳。この期間、ブラームスは大きな作品は書けておらず、そのくらいシューマン家に身を捧げていたのだと思います(もちろんクララへの思慕も大きかったのでしょうが)。

 

(画像はWorld History Encyclopediaよりお借りしました)

 

ブラームスって一見いかめしいお顔ですけど目を見ると若い頃と変わらず優しい眼(まなこ)ですもんね~。こういう作品を聴いていてもとてもピュアな心を持った方だったんだろうなと勝手に妄想していますにやり