2月9日 ~ ヴェルディ最後のオペラ《ファルスタッフ》初演 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でお過ごしでしたか?

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。

 

今日、2月9日は・・・ ヴェルディの最後のオペラ「《ファルスタッフ》の初演日」 です。

 

Giuseppe Fortunino Francesco Verdi:1813.10.10-1901.1.27; イタリアの作曲家

 

今日はイタリア・オペラの”巨人”、ジュゼッペ・ヴェルディが79歳の時に作曲した最後のオペラ、《ファルスタッフ》が1893年にミラノ・スカラ座で初演された日です。初演は大成功を収めました。

 

*以下参考にしたのは、wikipedia、「音楽サロン」、「オペラディーヴァ」、批評家山本吉之助氏の「音楽ノート」 などです。

 

《ファルスタッフ》 (Falstaff)は、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲アッリーゴ・ボーイト改訂・台本による3幕のオペラ(コメディア・リリカ=叙情的喜劇)で、原作はシェイクスピアの喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」です。ヴェルディ作品の中でも最も音楽とドラマが融合したオペラともいわれ、フィナーレの大フーガは見どころとなっています。

 

このオペラは、26作におよぶ彼のオペラ作品の中でわずか2作しかない喜劇のうちの一つですが、もう1作の喜劇「一日だけの王様」(1840年)は初期の作品ですが、今日ではめったに上演されません(初演の後すべての上演がキャンセルになったようです)。

シェイクスピアを原作としたヴェルディのオペラは「マクベス」(1847年)、「オテロ」(1887年)に次いで3作目でした。

 

それまでヴェルディのオペラはほとんどが非劇的ストーリーで、悲劇は書けても喜劇は書けない作曲家とずっと言われていました。彼はこの評判をとても気にしていたといいます。しかし、依頼主や劇場との関係などもあり、なかなか喜劇に着手する機会に恵まれませんでした。そんな彼が自分の心底書きたい題材に取り組んだのが最後の作品となった「ファルスタッフ」でした。彼は、『私だけの楽しみのために書いた』 と後に語っています。

 

 

前作「オテロ」(1887年:ヴェルディ74歳)からこの「ファルスタッフ」(1893年初演:ヴェルディ80歳)までは約6年の間があいていますが、この間、ヴェルディは農業に没頭し、マラリアのための病院も故郷に建設、また、ミラノに”音楽家の憩いの家”の計画も立てていました。この家は老いて身寄りのない音楽家たちが余生を送るための私設です。(ちなみに、後にヴェルディは、「あなたの最高傑作は?」と聞かれて「音楽家のための憩いの家さ」と答えたそうです)

 

ヴェルディが建設した「音楽家の憩いの家」

(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

1889年7月に76歳のヴェルディはアッリーゴ・ボーイトから一冊のノートを受け取りました。それはシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」と「ヘンリー4世」を基にした「ファルスタッフ」の台本草案でした。ヴェルディは一気に読みとても気に入りましたが、自分が老齢ゆえに、作曲が無事に完成できるのかどうか、引き受けることに躊躇しました。そこでヴェルディは、オペラが完成すればヴェルディが台本を買い取り所有権を得るが、途中で作曲が未完になってしまった場合は台本の所有権はボーイトになると決めて作曲を引き受けました。 こうしてふたりは何度も手紙のやりとりをしながら作品の製作を進めていきました。

 

1889年7月9日付のボーイトからヴェルディへの手紙にはこう書いてあります。

『あなた(ヴェルディ)は生涯にわたってオペラ・コミカのための魅力あふれるテーマを捜し求めてきました。あなたの頭に芸術的で高度なユーモアの才能が生き続けていたことが、その何よりの証拠でしょう。本能は良き助言者です。「オテロ」以上の出来で終えるためには、方法はただひとつ、「ファルスタッフ」による栄光に満ちた幕切れ以外にありません。人間の心にある叫びと嘆きを描き出してきたあなたが、あなたの舞台人生をとてつもない笑いの爆発で終えるのです。すべてがひっくり返されることでしょう。』

 

アッリーゴ・ボーイト (Arrigo Boito:1842-1918)

「オテロ」や「ファルスタッフ」の台本を書いた(画像はwikipediaよりお借りしました)

 

 

作曲の手始めはフーガでした。彼自ら”ブッファ・フーガ”と名付けています。このフーガは、第3幕のフィナーレの「すべてこの世は冗談」の全員の合唱で使われ、このフーガで締めるアイディアはヴェルディが考案したものです。彼はこのアイディアがとても気に入っていたようです。

 

最晩年のヴェルディが書き残したメモ:「フーガ・すべてこの世は冗談・ヴェルディ」

(画像は前述の「吉之助の音楽ノート」よりお借りしました)

 

1889年8月頃から作曲に着手しましたが、翌1890年3月には第1幕を仕上げました。ヴェルディはボーイトに対して台本の変更や書き直しを要求せず、順調に作曲を進めました。1892年9月にはジュリオ・リコルディと上演の正式契約を結びました。残念ながら作曲がいつ完成したか正確にはわかっていないようですが、作曲が完成したあとも何度も手直しし、練習が始まった後も彼は精力的にピアノ・リハーサルにも立ち会い、再三楽譜の訂正も行ったようです。

 

「ファルスタッフ」を監修するヴェルディを描いたスケッチ

(フランスの週刊誌「L'Univers illustré」が1894年に掲載)

                        (画像はwikipediaよりお借りしました)

6年ぶりの老巨匠の新作ということで前評判も高く、チケットの公式の値段は通常の数倍にもなったとか。初演日にはたくさんの著名人が客席に集まり、プッチーニやマスカーニも客席にいたそうです。初演は大成功し(初日の収益は9万リラだったそう)、拍手は1時間止まないほどだったそうです。


しかし、その後、ファルスタッフは急速に人気が衰えていきました。

原因は伝統的なヴェルディらしいアリアがなくコーラスも少なかったからと言われています。

(独立した長いアリアはほとんどなく、アリエッタとよばれる短いアリアとアリオーソとよばれるレチタティーヴォとアリアの中間的な歌唱が多い)
当時若き指揮者だったトスカニーニは、ファルスタッフの音楽性を理解し、上演に意欲的だったのですが、「一般の人々が理解するには時間がかかる」と言っていたように、その後再び注目されるようになるのは20世紀も中頃になってから。カラヤンやショルティという指揮者が現れてからになります。

 

簡単なあらすじは・・・

ファルスタッフは大食いで太っていてずるくて適当な性格。相手の名前だけを変えた同じラブレター💌をふたりの女性に送りますが、それに気づいた女性たちが彼を懲らしめる物語です。

 

 

全体の見どころはやはり第3幕フィナーレで全員が歌うフーガです。

フーガは同じ旋律を別の人がどんどん変わって歌っていく形式です。

懲らしめられたファルスタッフが「すべてこの世は冗談」と歌い始め、最後は全員で大合唱となります。大フーガは他のオペラではあまり見ない形式ですが、ヴェルディはラストをフーガにすることを作曲当初から決めていたようです。

今日の曲ははこのフィナーレで歌われる「世の中すべて冗談だ」(Tutto nel mondo è burlaです。

 

 

下の映像は、2001年のヴェルディ没後100周年を記念し、ヴェルディの生地ブッセートで上演されたスカラ座公演です。1913年にトスカニーニがヴェルディ生誕100年祭に上演したこの作品の舞台、衣装を忠実に再現したものです。新星マエストリのファルスタッフをはじめ、プリマドンナ、フリットり(アリーチェ)などのキャスティングで上演されたものです。

 

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」より 「世の中すべて冗談だ」(Tutto nel mondo è burla)(3分46秒)

/ アンブロジオ・マエストリ他 リッカルド・ムーティ&ミラノ・スカラ座管&合唱団 (2001年4月10日 ジュゼッペ・ヴェルディ劇場(ブッセート))

 

DVD化もされています。下差し

 

ヴェルディ「ファルスタッフ」

/ ムーティ&ミラノ・スカラ座管、マエストリ、フリットり他 (2001年)

(TDBA-80290)

 

このオペラも観たことない~ぐすん いつかきっと観劇できる日がくることでしょう~音符