11月21日 ~ イギリス音楽の祖 パーセル 没 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でお過ごしでしたか?もみじ

今日から三連休の方も多いと思います。羽田空港は大混雑だとか?汗

新型コロナは一体どうなっていくのか不安が大きいですが、とにかく自分でできる対策を徹底しましょ~クローバー

 

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。

 

今日、11月21日は・・・ イギリスのバロック期を代表する作曲家「ヘンリー・パーセルの命日」です。

 

Henry Purcell: 1659.9.10? - 1695.11.21; バロック時代のイギリスの作曲家

(写真はwikipediaからお借りしました)

 

今日はイギリス・バロック期を代表する作曲家、ヘンリー・パーセルが、生まれ育ったロンドンで他界した日です。 10月15日に紹介したブリテンの「青少年のための管弦楽入門」では彼の主題が使われていました。

パーセルはイギリスの王室付きの作曲家として、バロック時代、特に王政復古期に活躍しました。宮廷音楽の儀式の音楽、国教会のための宗教音楽の他、オペラ、劇音楽、室内楽曲、器楽曲、歌曲などあらゆるジャンルに優れた作品を残しました。

 

* 以下はwikipediaやAPPOLLONIAを参考にしました。

 

ヘンリー・パーセルは、1659年9月10日?にイングランド共和国のロンドンないしウエストミンスターに6人兄弟の3番目あるいは4番目の子として生まれました。父親はロンドンで活躍した音楽家で、のちにウエストミンスター寺院の聖歌隊長になっていますが、ヘンリーが5歳の時に亡くなりました。その後6人の子供の養育を助けたのは、宮廷音楽家を務める叔父だったといわれます。

 

ヘンリーは1669年から73年まで(10-14歳)チャペル・ロイヤルの聖歌隊員でした。そこで最初は聖歌隊長のヘンリー・クックの指導を、クックの死後はペラム・ハンフリーの指導を受けました。1673年(14歳)に変声期を迎えたため聖歌隊を退いてからは、王室の楽器を管理していたジョン・ヒングストンの無給の助手を1年ほど務めました。

 

1674年(15歳)にはウェストミンスター寺院のオルガン調律師に任じられ、同時にオルガニストを務めていたジョン・ブロウに師事、また写譜係をしながら、ウィリアム・バードやオーランド・ギボンズ、トマス・タリスなどの作曲家たちの作品の研究を通して古い音楽の伝統を身につけていきました。

 

1677年(18歳)には他界したマシュー・ロックの後任として王室の弦楽合奏隊の専属作曲家(兼指揮者)に就任しました。この「弦楽合奏隊」はチャールズ2世がフランスのルイ14世に倣って1660年の王政復古後に宮廷に設置したもので、音楽好きのチャールズ2世がパーセルの才能を見抜いて抜擢したといわれています。

1679年(20歳)にはブロウの後任としてウエストミンスター寺院のオルガニストにも任命、1682年(23歳)にはチャペル・ロイヤルのオルガニストにも就任しました。この時期には年棒とともに家も貸与され、音楽家としてのキャリアを本格的に築き始めました。

 

パーセルを重用したチャールズ2世 (1630-85)

(画像はwikipediaからお借りしました)

 

1680年(21歳)にフランセス・ピータースと結婚。

1683年(24歳)には死去したヒングストンの後任として王室の楽器管理人に就任

1685年(26歳)にチャールズ2世が崩御。王位を継いだジェームズ2世はパーセルの作風を気に入らず、パーセルをチャペル・ロイヤルのオルガニストの地位には留め置いたものの、熱心なカトリック信者だった国王により国教会のパーセルの地位は縮小されてしまいます。この頃私生活でもふたりの息子を相次いで亡くすなど不幸が続きました。

 

1688-89年の名誉革命を経て、パーセルは1690年(31歳)に新国王となったウィリアムとメアリーの推薦によってホワイトホール宮殿の劇場の作曲家に就任しました。しかし革命の影響で王宮における音楽活動が削減されたため、パーセルは教育や出版、一般市民対象の演奏活動などで生計を立てることを余儀なくされるようになりました。

 

           

 ウィリアム3世 (1650-1702) と メアリー2世 (1662-94)

(写真はwikipediaからお借りしました)

 

1689年(30歳)に完成した「ディドとエネアス」はパーセルのオペラ作曲家としての名声を不動のものとしました。このオペラはバロック期のオペラの最高傑作と位置づけられ、この作品は彼のキャリアに転機をもたらしました。王宮の活動を縮小した彼はオペラ作曲家として本格的に活動し始め、1690年から95年(31-36歳)にかけて、オペラ「アーサー王」(1691年)、「妖精の女王」(1695年)、「アブデラザール」(1695年)など40曲以上の舞台作品(主にオペラと劇付随音楽)を手がけました。

 

1694年12月28日に女王メアリーが天然痘で32歳の若さで崩御、翌1695年3月5日に行われた国葬のためにパーセルは葬送歌を作曲しました(⇒「今日の曲」)。

しかし病魔はパーセル自身の身にも迫っており、同年1695年のある晩、酒場から帰宅したパーセルは体調を崩し療養を余儀なくされました。本人は死の直前まで病の深刻さに気づかなかったそうです。11月21日に妻が看取る中、パーセルはロンドンの自宅で亡くなりました。36歳の若さでした。葬儀は11月26日にウエストミンスター寺院で行われ、同院に埋葬されました。

 

ウエストミンスター寺院にあるパーセルの墓石

(写真はFind A Graveからお借りしました)

 

パーセルはキャリアの絶頂期で亡くなりましたが、彼は今日もイギリスを代表する作曲家として評価されています。しかしその作風は当時のイギリス音楽の標準からは逸脱したもので、彼を重用したチャールズ2世の好みからフランス音楽の要素を取り入れ、さらにはオペラの本場であるイタリアの様式も取り入れました。つまり、16-17世紀の英国風ポリフォニーにさらにイタリアのオペラにおける声楽の様式も取り入れ、彼独特の自由奔放な世界観を醸し出しています。

 

それでは今日の曲です。前述したようにメアリー2世の葬儀のためにかかれた「メアリー女王葬送の音楽」より 第1曲「女王葬送のマーチ」です。

 

ヘンリー・パーセル:「メアリー女王葬送の音楽」より 第1曲「女王葬送のマーチ」(2分14秒) / Baroque Brass of London

 

この映像、とても興味深かったです。葬儀のときもこんな風に行進しながら演奏されたのでしょうか。荘厳な金管の音色がとても素晴らしいです!

 

 

この曲は1971年に公開された映画「時計じかけのオレンジ」のオープニングテーマとして使われ、一躍有名になりました。しかもそれはシンセサイザーで演奏されたものでした。以前このブログでも取り上げたウェンディ・カルロスによるものでした。 映画があんまり強烈すぎて、このシンセの音楽が、実は280年近く前に作られた曲だなんて観客の皆さんは想像できなかったでしょうね~にやり