皆さま、7月最後の週末はいかがお過ごしだったでしょうか
今日はどしゃ降り、小雨、を繰り返していました
「今日はなんの日」のコーナーです。
参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それにプラスαで書いています。(写真はすべてwikipediaなどwebからお借りしました)
今日、7月26日は・・・方丈記の著者 「鴨長明が没した日」 です。
鴨長明: 1155-1216.7.26; 日本の歌人、随筆家
なんと、このシリーズに鴨長明が登場しましたよ~
一体クラシックとなんの関係があるんでしょうね
鴨長明は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人・随筆家として知られています。
特に「方丈記」の作者として有名だと思います。
私も「方丈記」は高校の時古文の授業で習いました。その時先生が、「方丈記ぐらいは全部読んどけよ~」と言われたような気がしますが、ええ、読んでません
鴨長明の「鴨」は下鴨神社の鴨だそうです。京都でも大きな神社で、父親はここの神主でした。長明は跡継ぎとして何不自由なく育ちましたが、17歳のころに父親が急死。後ろ盾を失くした長明は、後継者争いに敗れ親戚にその座を奪われてしまいました。
『住みわびぬいざさは越えむ死出の山さてだに親のあとをふむべく』
(自分はもう生きていくのがイヤになってしまった。こうなったら父の後を追って、死出の山を越えてしまおう。)
しかし長明は踏みとどまり、その後和歌や琵琶を学んで歌人として活躍し、33歳のときには「千載和歌集」に一首選ばれ、47歳のときには後鳥羽上皇に宮廷歌人として雇われます。
50歳のときに、下鴨神社のお膝元である「河合神社」の神主に欠員が出て、長明はその地位の就任を望み、後鳥羽上皇の推薦も得られましたが、またも親戚筋からの強硬な反対に遭い、望みはかないませんでした。
後鳥羽院は、代わりの神社を建立してそこの神主になるよう提案しますが、長明はそれを断り出家しました。
その後も閑居生活を送りながらも和歌を詠み、53歳のときに「日野山」というところに自ら家を建てます。それが「方丈記」の由来となる「方丈」と呼ばれる小庵です。「方丈」とは四畳半のような意味です。
下鴨神社の境内の河合神社内に復元された「方丈」
長明は、建暦二年(1212年(57歳))3月30日に「方丈記」を書きあげました。
(本書の末尾に「弥生の晦(つごもり・末日のこと)頃これを記す」とあるため)
『ゆく河の流れは絶えずして・・・』の書き出しはとても有名だと思います。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住みかと、またかくのごとし。』
(川の流れは絶えることがなく、しかも今の水は元の水ではない。水のよどんでいるところに浮かぶ泡は、消えたかと思うとまだ出来て、長くとどまっていたためしはない。世の中の人や家も泡みたいなもんである。)
『知らず、生まれ死ぬる人、何方から来たりて、何方へか去る』
(生まれて死んでの繰り返し、人はどこから来てどこへ行くというのか。)
大福光寺が所蔵する鴨長明の自筆とされる大福光寺本
(ただし自筆ではないとする見解もあり)
上記のような移り行くものの儚さを語ったあと、この時代に起こった災害についての記述が続きます。
1177年(安元3年)に起こった「安元の大火」、1180年(治承4年)の「治承の竜巻」、この直後の福原京遷都、1181-82年に起こった「養和の飢饉」、1185年(元暦2年)の「元暦の地震」(この年に平家が滅亡)などが書かれており、この随筆の約半分を占めています。
『すなわち、人みなあじきなき事をのべて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出ずる人だになし』
(人間なんてちっぽけなものだ、これからは慎ましく生きようと(災害(地震)が起きたばかりの頃は)そう言うけれど、月日が経つとみんな忘れてしまう。)
この文言は現代の私たちにも耳が痛い言葉ではないでしょうか。
その後、後半は草庵での生活が語られますが、寝泊まりするのに十分な広さの家(四畳半の「方丈」のこと)と最低限の粗食と好きな和歌を詠んで琵琶が弾ければそれで充分、といったようなことが書かれてあり、考えてみると彼は元祖「ミニマリスト」ともいえそうです。
それでは今日の曲です。柴田南雄(みなお)氏がなんとこの方丈記の交響曲を書いているそうです。 タイトルも交響曲《ゆく河の流れは絶えずして》。
柴田南雄 : 1916-96
中日新聞から昭和50年記念作として依頼を受け、1975年に合唱交響曲として作曲、同年森正指揮、名古屋フィルで初演されたそうです。
この曲の第6楽章「ゆく河の」では「ゆく河の流れは絶えずして~」が合唱で歌われています。
柴田南雄:交響曲《ゆく河の流れは絶えずして》より 第5、6,7,8楽章
(16分49秒:第6楽章;2分12秒~、第7楽章;7分50秒~、第8楽章;11分25秒~)
/ 朝比奈千足&東京フィル、合唱指揮:田中信昭、東京混声合唱団
最初の女声合唱団は客席後方から現れますが、これは作曲者のこういう指示みたいです。
想像してた曲と違ってなんともおどろおどろしい雰囲気でした・・・
出世や高給などの欲を持たず、ただ穏やかに暮らせばよい、牛車に乗るより自分の足で歩いた方が健康にもよい、などなど今の私たちにもハッとさせられることもたくさんありそうです。
800年前に書かれたものが、現代にも通じるなんてすごいですね!
高校生のときは全く興味も持てませんでしたが、今この年になって読むと面白いかもしれません。これを機会に読んでみようかな