2019. 3. 23 (土) 15 : 00 ~ 福岡シンフォニーホールにて
<東京都交響楽団 福岡特別公演>
ブラームス:悲劇的序曲 Op.81
チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 Op.33
ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 二短調 Op.47
チェロ:ガブリエル・リプキン
指揮:エリアフ・インバル
東京都交響楽団
(コンサートマスター:矢部達哉)
インバルさん初聴き~~ 本当は2015年3月、4年前にインバル&都響の福岡公演に行く予定にしていた(演目はブルックナー4番で初めて聴く予定だった)のに、事情により行けなかった
それ以来ブルックナー4番を聴く機会にも恵まれていない・・・ インバルのブルックナーを聞き逃したとは今振り返っても本当に残念だなぁ
都響を聴くのは2度目。ちょうど2年前に大野和士氏の指揮でブラームス4番などを聴いた。
ステージに登場したインバルさんは背筋はピンとしていて颯爽と歩いてきた。83歳になられたばかりだが、とてもお若く見えた(頭以外は・・w 確かに阿笠博士に似てる
)。
最初はブラームスの「悲劇的序曲」。 実演を聴くのは初めて。
この曲はブラームスが「大学祝典序曲」と同時に作曲を進めたもので、前者の”笑う序曲”と対になる”泣く序曲”(ブラームス自身の記述)を作ろうと思ったらしい。「悲劇的な序曲にも手を染めずにはいられませんでした。」とブラームス自身が手紙に書いており、「悲劇的序曲」というタイトルも作曲家自身の命名による(ただし、ブラームス自身「何らかの具体的な悲劇を題材としたものではない」と述べている)。
”なんでこういう心境になるんだろうな~”と思っていたら、この日もらった都響の無料パンフの中の木幡一誠氏の解説によると、”創作を支える内面的衝動のバランスをとるための行為”かもしれないと書いてあった。木幡氏によると、”ベートーヴェンも「運命」と「田園」の作曲を並行して進めた事実にも通じるものがある”そうだ。なるほど~
だけど曲自体は聴いてみても全然「悲劇的」って感じを受けない(私が鈍いだけなのかも)。
私は前半ちょっといってからのトロンボーンが入ってくるところ(専門的には推移主題の1回目の提示あたりだそう。難しくてわからんけどw)のあたりが好きだなぁ。 生でこの曲を聴いてみるとあらためて「あぁ~ブラームスだなぁ」と思えた。
オケは多分弦が16型だと思う。チェロが10挺(第1ヴァイオリンの対向の位置)、コントラバスが8挺(舞台上手)もある割には低弦があまり響いてこなかった。大きな編成の割には弦全体もそんなに響いてくるわけでもない。やや硬質な音色に感じた。ただアンサンブルはびしっと揃っているのがさすが。
2曲目はチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。
この曲を聴くのは3度目。昨年フェドセーエフ&N響の大分公演(ソリストはタチアナ・ヴァシリエヴァ)、そしてつい先月「ウィーン・チェロ アンサンブル5+1」で聴いた。
本日のソリストのガブリエル・リプキンさんは、インバルさんと同じくイスラエル出身で今年42歳。
この日の演奏は「フィッツェンハーゲン版」だった。
「フィッツェンハーゲン版」とチャイコフスキーの書いた元々の「原典版」との興味深いエピソードについては以前書いたことがあるので省略します(知りたい方はコチラの記事の中で書いています)。
私はこの曲の主題を聴くとなんかずっとそれが頭に残ってグルグル回ってしまう。そのくらい覚えやすくて親しみ深いメロディーだと思う。
リプキンさんの奏でる音色は3階席の自分の席まで驚くほど響いてきた。第3変奏のフルートがとても美しかった。第4や第5変奏のチェロの音の高低差にうっとり。一番じーんときたのが第6変奏。チェロとともにクラリネットやフルートの音色が極上で感動した・・・んだけど、この静かな曲のときにあちこちで「どすん
」「ずこっ
」「がこっ
」としょっちゅう響いてきた。恐らく寝入った
奴ら人たちが物を落としてるんだろうけど、おいおい!
そして打って変わった第7変奏はリプキンさんも髪の毛を振り乱しての熱演で、オケとともに駆け抜けるように盛り上がって終わった(やっぱり最後が盛り上がるからこのフィッツェンハーゲン版がいまだに主流なのかな)。
リプキンさんは何度もカーテンコールに応えていた。
後半はショスタコーヴィチの交響曲第5番。
オケの弦は再び16型。荒々しい低弦から始まる冒頭が、やっぱり思ったより響いてこない。しつこいようだけどチェロが10挺、コントラバスが8挺もあるんだけどな~。九響ならこの数を揃えるの自体無理だけどもっと響いてくることも多い(ちなみにこの日の私の席は九響のときとあまり変わらず)。
第1楽章を聴いていて、都響はうまい、うまいんだけどなんかその域を出ない・・・ もっと地を這うような、荒々しいものが欲しい気がした。
このまま優等生的な演奏で終わるのかな~と思っていたのが、ガラッと変わったのが第2楽章。 第1楽章が終わったあとインバルさんはほとんど手を降ろさずそのまま第2楽章を振り始めた。
私はいつもこの第2楽章をボーっと聴いていた気がするが、この日は一気に覚醒した
第2楽章に入った途端にオケがそれまでとガラッと変わった。冒頭の低弦が第1楽章と違って荒々しく響く~(だとしたら第1楽章はわざと抑えていたのか?)。形としては整然としているが音的にはまるで歯車が狂ったようなスケルツォ。インバルさんはこの”整然さ”と”狂気さ”のバランスの取り具合が絶妙で、ただのきっちりしたワルツを奏でているようでひと山の旋律の最後の3拍をことさらにゆっくりと強調したり、弦がスイングするような所を強奏させたり。アンサンブルが鉄壁な分、逆に余計狂気さが感じられて面白くてしょうがなかった 通常の印象とは異なり、第1楽章より第2楽章の方がよほど不気味に感じてゾクゾクした。
ほんのちょっとしか間をおかずに第3楽章が始まった。
この第3楽章もただただ素晴らしかった。 今度は同じ不気味さでも表立ったものではなく、陰鬱な繊細さの中に潜む不気味さ・・・
弦のささやくようなトレモロの中のオーボエのソロ、そしてフルートのソロなどがもぉ~本当に素晴らしく哀しい音色で、私はここで涙腺が崩壊してしまった この悲痛な雰囲気の楽章は聴くたびに作曲家の心情だとか当時の環境だとか色んな事を想像してしまう。
そして第4楽章。 冒頭のキタキタ~という感じの、ティンパニが打ち鳴らす中のトランペットとトロンボーンの主題はとてもゆっくりめ。そして次第にテンポを上げていく。オケは力強くかつ手堅く疾走し、一旦静かになってからのスネアのタタタン・・タタタン・・・が来るぞ来るぞ~という感じ 最後はそれまで抑えていた熱量を一気に爆発させるかのように大音量で鳴らしていた。最後のティンパニ&大太鼓の楔を打ち込むかのような二音がたまらんかった。鳥肌立ちました。
終演後はあちこちから野郎どもからブラボーの叫び声がかかっていた。
インバルさんはチャイコフスキー以外は譜面台も置かずに暗譜で振っていた。後ろの手すりに持たれることもなく、常に背筋をまっすぐして振っている姿は若々しい!
派手な指揮振りでもないのにオケを掌握していて自在に音を奏で(させ)ているかのようだった。
ショスタコのときはご自分は必要以上に熱くならず逆に冷静にオケを操ってたのがかえって狂気さや陰鬱さをより引き出していたように思う。
やっぱりインバルさんのブルックナーも聴いてみたいなぁ。
都響は2年前に初めて聴いたときは弦が金属的な音に聴こえてきて、個人的には好みではないかなという印象だったが、この日は金属的ではなくやや硬質で手堅い感じ。アンサンブルはとてもうまいと思った。そういえば、ヴィオラの首席の位置に店村眞積氏が座っておられるような気がしたが、遠目なので「まさかね」と思っていたら、あとでパンフみたらやっぱり店村氏だった。都響の特任首席奏者も務めているらしい。
70歳の店村さんこうしてオケの地方巡業にまで来られるとはすごいな!
今回すごいと思ったのが、なんといっても木管群。遠目でお顔がよく見えず、お名前などは分からないが、オーボエ、フルート、ファゴットの方々がめっちゃうまかった!! オーボエは本番前にステージで練習してるときからその音色に惚れ惚れした。特にフルート!私的には今日のMVPはなんといってもこのフルートの方。個人的にはめったにいいなと思わないフルートなんだけど、この日は最初から最後までこのフルートにメロメロでした
ところで、私がいつも通っているアクロス福岡シンフォニーホールは4-5月にかけて改修工事が行われるため、私にとってはこの日が改修前最後のコンサートとなった。
次回アクロスに来るのは6月。どんな改修工事になるのか知らないけど楽しみだ。
改修工事ついでに、マナーが悪いお客さんには肘掛けからアンパーンチが飛び出すとか、椅子がバネになってお客さんをホール外まで飛ばしちゃう
とかしてくれないかな~。え?そのアンパンチやバネのスイッチを押すのは誰かって?もちろん私です