ららら♪クラシック「解剖!伝説の名演奏家 幻の指揮者ムラヴィンスキー」を観る | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

昨夜、Eテレの番組「ららら♪クラシック」でずっと前から楽しみにしていた、「解剖!伝説の名演奏家 幻の指揮者ムラヴィンスキー」を観ました音譜

 

エフゲニー・ムラヴィンスキー (1903~1988)は私が最も好きな指揮者のひとりで、私がクラシックにハマる大きなきっかけのひとつを作ってくれた人物です。

 

 

知らない方のために簡単にご紹介すると、ムラヴィンスキーはロシアの指揮者で1938年にレニングラード・フィル(現在ユーリ・テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルの前身)の常任指揮者に就任以来、50年にわたって同オケを指揮した人です。

ショスタコーヴィチとの関係も深く、交響曲第5番の初演をはじめ多くの曲を初演しました(第6,8,9,10,12番など。第8番はムラヴィンスキーに献呈されている。)。

日本には1973年にようやく初来日が実現、その後1975年、1977年、1979年と来日しています。

 

 

番組にはゲストとして指揮者の大井剛史氏、ロシア語通訳・翻訳家の河島みどり氏が招かれていました。

河島みどりさんはムラヴィンスキーやリヒテルの通訳として公私にわたって親しくしていた方で、ムラヴィンスキーに関する本も書いています。

 

河島みどり著「ムラヴィンスキーと私」 草思社

 

いつも強面、厳格のイメージが強いムラヴィンスキーですが、この本には来日時などに見せた彼のユーモアあふれる一面やシャイだけどとても気配りあふれる優しい一面なども書いてあり、これを読んでムラヴィンスキーがさらに大好きになりました。

彼のキャリアは決して順調だったのではなく、貴族として生まれロシア革命で家は没落、そこから大変な苦労があったこと、また、ソ連当局からの圧力、それにいかに屈することなくオケや団員を守っていったかなども書いてあります(彼は最後までソビエト共産党員にはならなかった)。

帯にもあるようにショスタコーヴィチとの書簡のやりとりが多々出てくるのですが、両者の絆がとても深かったことが分かります(ヴォルコフ著「証言」ではショスタコーヴィチがムラヴィンスキーのことを「自分の曲を理解していない」と批判していたとされますが、この”証言”については今では信憑性が疑われており、私はこの発言は違うのではないかと勝手に思っています)。

 

ムラヴィンスキーとショスタコーヴィチ (この写真はwebからお借りしました)

 

ちなみに河島みどりさんは「リヒテルと私」という本も書いており、これもおもしろいです!

(ららら♪クラシックのリニューアルした第1回目がリヒテルの特集番組でしたが、このときも河島みどりさんがインタビューで出演していました。)

このふたつの本の中の写真でとても若々しく写っている河島みどりさんが、番組ではすっかりおばあちゃんになっていて正直驚きました。 月日の流れを感じました・・・

 

それからびっくりしたのがムラヴィンスキーの奥さん、アレクサンドラ夫人がまだお元気でいらっしゃったこと!アレクサンドラ夫人は元レニングラード・フィルの首席フルート奏者です。番組を観ると今も後進の指導をされているようでした。

ちなみにこのアレクサンドラ夫人はムラヴィンスキーの4人目の奥様です。でも妻をとっかえひっかえしたわけではなく、4度の結婚までには複雑な事情があり、それもムラヴィンスキーの人柄がしのばれます・・

 

番組では厳しくて知られたリハーサルシーンや元楽団員(アレクサンドラ夫人も含む)の証言、河島みどりさんによる色々なエピソードの紹介、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の実際の演奏シーンなども放送されました。

 

 

ムラヴィンスキーはショスタコやチャイコフスキーなどのロシアもの以外にもベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、ブルックナーなども積極的にとりあげました。ムラヴィンスキー&レンフィルのシューベルトの未完成、ベートーヴェンの田園やブルックナーの8番なども私の愛聴盤となっています。

 

私がムラヴィンスキーのことを知ったときにはとっくの昔に故人になってしまっていましたが、今でもCDやDVDで彼の演奏に触れることができることはとても幸せなことだと思います。

晩年のころのオケはタガが緩んでいるのか演奏にもキレがなくあまりよくありませんが、70年代の来日のころやそれ以前の演奏はとても素晴らしいと思います。

 

最後におまけでムラヴィンスキー関連の本をあと2冊紹介しておきます。

 

西岡昌紀著「ムラヴィンスキー 楽屋の素顔」 リベルタ出版

 

西岡氏の父親がムラヴィンスキーとレンフィルを招聘した音楽事務所(新芸術家協会)の社長であった関係からムラヴィンスキーの来日時に身近に接することができ、そのときのエピソードなどをまじえて書かれた本。私はこの本を最初に読みましたが、ムラヴィンスキー初来日時に著者はまだ17歳くらいとお若くその視点から書かれてあるためか、あとから読んだ河島みどりさんの本の方が面白かったです。ただムラヴィンスキーを知るとっかかりとしてはとてもよかったです。

 

グレゴール・タシー著(天羽健三訳)「ムラヴィンスキー 高貴なる指揮者」  アルファベータ

 

この本はどっしりと厚く読み応えがあります。ムラヴィンスキーの生涯、そして音楽活動について知るにはこの本が一番詳しいのではないでしょうか(ただし読むの大変・・汗)。

巻末には彼の全コンサートの記録とディスコグラフィーが載っていてお宝ものです!

 

 

その後レニングラード・フィル(サンクトペテルブルク・フィル)の後任となったテミルカーノフ、そして私の好きなフェドセーエフはともにムラヴィンスキーがその才能を見出し活躍の場を与えました。テミルカーノフはタイプとしてはムラヴィンスキーとは全く異なるようにも思えますが、フェドセーエフにしてもテミルカーノフにしてもムラヴィンスキーの「気骨」みたいなものはしっかりと受け継いでいるように私には思えます。

 

あぁ~久々にまたムラ様のDVDを観たくなってきた~~うさぎsai

 

注:レニングラード・フィルには当時実は「功労団体オケ」と「第二オケ」という2つのオケがありました。一般に皆が「レニングラード・フィル」と呼んでいるのは「功労団体オケ」のことを指します。