
佐紀 「えっ 隼人そこ絶対行かないって」
隼人 「吉備津彦が、軍まとめてくれるなら かくまってもいいって言ってくれてな」

佐紀 「ヒノコさん、あれから見ないけど…」
隼人 「ヒノコは神武様についてるからな。ヤマトに残るんだろう」

隼人 「佐紀」
佐紀 「ん?」
隼人 「オレについてきて本当にいいのか?本来であれば君は」

佐紀 「息長豊佐紀姫はもういないの」
佐紀 「わたしは、ただの…『佐紀』よ」
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この時の神武は「始馭天下之天皇」とあり
ニギハヤヒの「御肇国天皇」とはニュアンスが少し違うとも言われる

当時のヤマトの中枢である纏向遺跡には
環濠や城柵などがなく、防御が欠落したもので
実際の神武は政治的な権力を持っていない、祭祀王であったと思われている。
その纏向から北へ行き
大和西大寺の少し北。
「佐紀古墳群」なるものが存在する。
神武の時代よりも100~150年後に作られた古墳群であるが
佐紀姫と関係があるかどうか定かではない。


