一緒に何かやっていける人
手を携えて共に前に進める人
の要件として、
価値観や趣味やノリが全然違っても
まぁいいかと思えるのだけど、
一点だけ、
「感情」
についての取り扱いが同じであること。
同じとまでいかないまでも、目指すゴールが同じ人。
ここは気になるところ。
どういうことかというと、
感情≠自分
ということ。
そもそもある事象に対してどのような感情を抱くかは
人それぞれ違う。
上司に叱責されたとして、
「傷ついた。ショック。あの糞上司」
と怒り狂うか
「まぁ上司も疲れていたんでしょう。指摘に正当な
部分もあるのでそこは改善して、それ以外は忘れよう」
と現状の受け止めと流しをうまくやって
疲弊しない選択をとるか。
自分次第でどちらも選ぶことができる。
トリガーは「上司の叱責」
だとしても、感情的にその後、怒りや怨嗟に繋げるか否かは
自分の選択次第なわけだ。
「このような感情を抱かせた相手が悪い」
という理屈が世の中の常識みたくなっているので、
「(あなたの発言により)傷ついた」
という表現が何の疑問もなく普通に蔓延している。
でも、その「傷」は絶対的なものなんだろうか。
傷つく人もいれば全く平気な人もいるということは
主にそれは受信側の問題であって、普遍的なもの
ではないのではないだろうか。
日々、他者の動向に左右される毎日。
他人の発言により右往左往は普通にあるもの。
愚痴も出るし、経過の中で相手への悪口も当然出て
しまうが、最終的には
「自分の感情は自分に責任がある」
という理解に向けて頑張れるかどうか。あるいはそうした
目標をどこかに持っているか。
そこが一緒にやっていく上で重要かな。
これは以前書いた原因自分論にも繋がっていく。
その目標が同じなら、他者から受けた影響をどのように
自分の中で整理したらいいかという建設的な
会話ができる。
ガス抜きのための上司への陰口を否定するもの
ではなく、自分も普通にやっていますが(笑)
最終的には「自分」でなんとかするしかないよね。というのが。
「感情」は外にあるのではなく、自分の中にあるものだから。
なんとかできるのは自分しかいないというラジカルな理屈。
