twitterをやる上で、少し違う景色を見たい
と思って、今月は、
・RTの禁止
・「自分を観る」の過程を書く
を守ってみて、特に「RTの禁止」は、他人の才能を
自分のそれと勘違いして、他人のそれを取り込んで
しまうような妙な感じもあり、気を付けないとと思って
いたところ。
面白い情報をシェアする良い面もある一方で、
デマの拡散を助けるデメリットもある。
RTってコンビニ弁当みたいなんですよね。
お手軽に美味しいものを手に入れた・・みたいな。
一から自分で書く、主張する、という自炊は
インプットからのアウトプットが試されるので
情報への理解に変化が起きるのではと。
SNSとの付き合いは、スマホを通して行う以上、
かなり影響が強いと思う。
生活上の様々な隙間時間に食い込んでくるのでね。
時々こうして付き合い方を変えてみたり、いろいろ
試すことで、防衛にもなるし、変化を楽しむという
ことにもなるかなと。
そして、トレンドとしてあがってくる各種ネタを
「自分を観る」のネタとして呟くというのも建設的。
「自分を観る」のネタにするとはどういうことかと
言うと、
例えば、さる皇族の結婚ネタならば
通常なら
・とんでもない決定だ!
・税金の無駄!
とか、そういう反応するわけじゃないですか。
そこで「自分を観る」のネタにするならば、
・「とんでもない決定だ!」と思ったのは何故
なのか。どういう感情なのか。どうしてそう思ったのか。
・「税金の無駄!」と思ったのは何故なのか。
それはどういうことなのか
こうした問いを自分に発して、自分の頭の中身を観る
ということになりますと。
このプロセスにおいて、外側に展開している事象は
「敵」ではなくなり、それはただそのように「起きている事」
でしかなくなる。
ただ起きていることに、あれこれ肉付けして
怒ったり、ジャッジしたり、攻撃している自分がいる
だけ。
この外側で起きていることと、自分の内面で起きている
ことをしっかり分けて理解することって、情報戦の様相を
呈してきた現代社会において今後ますます重要に
なるスキルだろうと。
まして世の中は、大衆の「感情」や「思考」をいかに
操るか?という策術に満ち満ちて、各種報道や
ビジネス展開をしていて、本当に恐ろしい。
twitterとの付き合い方変えてみよう~
ぐらいの話しから、何やら大きな話しになってしまった(笑)
何か心境の変化があったならまた書いてみまーす。