こらそん(の中の人)のぼやき部屋

こらそん(の中の人)のぼやき部屋

介護保険事業を行なっている株式会社えんカウンターのマスコットキャラクターである『こらそん』が色々な事を『ぼやき』ます。
その時、そのタイミングで思った事を、ここに残しておきたいなと思います。

ケアマネジメントオンラインにてこのような記事が掲載された。

最初に言っておくが、こんなの今更な話なのだ。


この記事では『ご利用者に対して住宅有料やサ高住にご入居後も、サービスの選択はご利用者自身にある』という事をケアマネや包括支援センター、医療ソーシャルワーカーが周知すべきと言っている。

こんな事を説明できないケアマネジャーがいるなどと、本気で思っているのだろうか。

運営指導で徹底する?

法定研修で触れるのも一案?

何を舐めた事を言っているのか。

これを元に戦っている在宅のケアマネが、どれだけ沢山いるのかわかっていない証拠なのだ。


入居条件として同法人のサービスを利用する事、ケアマネを変更する事、こんな事をご利用やご家族へ当たり前に伝えている所は腐るほどあるんだ。

仮にケアマネが変わらなくても、必要のない住宅のサービスを限度額上限まで詰め込んだ週間計画を提案してくる住宅も沢山ある。

以前にも話したと思うが『その後利用者に対して必要なサービス』なら、そこに問題は全くない。

週間計画を提案するなら、そのサービスが必要だと言う根拠まで提示して議論すべきだと思ってる。

何でもかんでも『抱え込み』と言って攻め込むケアマネジャーがいるなら、それはケアマネジャー側に問題があるだろう。

だが、引っ越してきたばかりのご利用が、どの程度ご自身の身の回りの事ができて、何に困っているのかわかっていない状態で提示される上限ギリギリの計算されたサービスに、どんな真実性があると言うのか。

一週間過ごしてみて初めてわかることもある。

そこから再度サービス内容を検討して行く事が本来の姿ではないのか?

そこを面倒だと言うケアマネジャーが居るなら、そのケアマネジャーがクソなのである。


この記事のコメントを見てると色々な意見がある。

同一法人に務めているケアマネジャーの意見としては肯定派が多いのかな。

その中でもっともだと思うのは『自宅で生活ができなくなってしまったから引っ越ししてきたのだ』という意見。

それは全くその通りで、サービスも多くなる可能性が高い訳であり、それに伴う区分変更等も検討が必要だ。

ただ、そうじゃないのに『要介護1ならこの位のサービス』『要介護3ならこの位のサービス』と言うような決め方をしている住宅が多いと言う話なのである。

多分、この方は真っ当にアセスメントを行ない、ご利用者に必要なサービス内容を検討してるからこそ、この意見が出るのだと思う。


この問題を解決する為の方法としては、ケアマネジャーやソーシャルワーカーに周知徹底するとかでは無く、住宅型有料やサ高住に対して行政機関がしっかりと指導をするか、一定のサービス量を超えた場合の減算を大きくするしかないのだ。

あとは経営者への周知徹底。

それをやると同時に、真っ当なサービス量で従業員の生活を守れるくらい単価を上げること。


誰のせいでこんな事になっているのか。

それは安い単価で20年以上も介護保険法を走らせ、物価が上がってエンゲル係数が高くなっているのに、一般家庭に見向きもしなかった政治家達が作った国だろう。

そこをなんとかしない限り、こう言った問題は解決しない。

ここを締め出しても、次にまた似たような問題が出てくる。

そうしないと福祉の業界で満足に飯を食っていけない人達が沢山居るという事なのだ。


福祉を支えているのは若い世代だ。

30〜60歳までの世代が福祉の業界で働いて、満足に家庭を守って行ける。

それが出来ないと、この業界に未来は無い。

高齢者や非課税世帯だけを守れば良いという訳ではないのだ。


今、守るべきは何なのか。

そこをしっかり考えなければ、いかなる問題も解決なんかしないのだ。



皆さん、今年はもうトウモロコシを食べただろうか。

ここ数年の夏は毎年のように暑いが、今年の夏は異常に暑く、命の危険まで有り得るくらいだ。

そんな夏の食べ物としてトウモロコシが挙げられる。

スーパーに行くと初夏には198円程度からスタートし、お盆を過ぎるあたりから150円を切ってくる。

この頃が俺の中での買い時。

3~4本、身入りの良さそうなものを選んで購入し、事務所で茹でてみんなで食べるのだ。

 

俺は消化が早いらしく、トウモロコシを食べて4時間後くらいには排泄…いや、この話はやめておこうか。

 

さて、そのトウモロコシだが、植物としてとても特殊である事はご存じだろうか。

そもそも植物というのは子孫を残すために種を蒔く。

朝顔を例にとると、種から芽が出て、高い場所まで弦を伸ばし成長して、花を咲かせ種を作る。
その種はしばらくすると弾けて飛び散り、地に落ちる事で次の朝顔が芽吹く訳だ。

さくらんぼ等の果実は動物に種ごと食べられる事で、腹の中で消化されずに植物のみでは届かない距離を移動し、排便と共に種が地に落ち、そこで芽吹く。仮に動物に食べられなかった実があっても、そのまま地に落ちて芽吹く事もできる。

タンポポであれば背は高くなれないが、綿毛となり風を利用して長距離を移動し、新たな土地で芽吹いていくだろう。

米など人間が活用している植物は『人間が改良して』今の状態となっている事も多い。改良された姿では自然の中で生き抜く事は難しいが、米の改良される前、いわゆる『祖先種』である野生のイネであれば、それらは自然の中で子孫を残せるのだ。

 

こうしておおよその植物は、自然を活用して自らの子孫を残せるように生き抜いていく。

これらは自然界の中での生存競争に打ち勝つ為、祖先種から進化してきた結果である。

 

しかし、ことトウモロコシだけは、他の植物と異なる。

スーパーで売られているトウモロコシを想像してほしい。

むき身で売っている事もあるが新鮮なものは葉が付いたままで売っているはずだ。

本来の流れで考えると、トウモロコシは子孫を残す為に種を蒔く行動をしなければならないが、こいつらは自らそれを行なわない。そのままにしておくと葉に巻かれたまま種が渇き、地に落ちても枯れた葉に巻かれたままなので種が芽吹く事ができない。

 

そう。トウモロコシは自然の中での生存競争に打ち勝てない。

いや、生存競争に参加すらしていないのだ。

 

米もそうじゃないかと思う人も居ると思うが、先に述べたように米は祖先種から改良して今の姿になっている。

しかも米は収穫しないと地に落ちて子孫を残そうとする行動がみられる。野生のイネと同じ行動を示すのだ。

ではトウモロコシの祖先種はというと、これが明確になっていない。【テオシント】という野生のイネ科植物がそうではないかという説もあるようだが、この植物は枝分かれをして、熟すと種子が落ちる等、トウモロコシとは違う生き方をしている事から、祖先種ではないという意見も強い。

 

仮にテオシントが祖先種ではなかった場合、トウモロコシは元々この姿で生きてきたことになり、人間がいないと子孫を残す事ができないという事になる。

人間が『改良』した訳ではなく、人間に『依存』していきている植物なのだ。

 

こんな植物が古くから自然界を生き抜いてきたとは思えない。

では、トウモロコシはいつから存在しているのか。

ここで出てくるのが『宇宙説』である。

宇宙人が太古の人類に授けた植物だとか、隕石に遺伝子がついて来てしまった説など、色々な説がある。

しかもこれを学者たちが大真面目に研究しているのである。

それ程までに珍しい植物なのだ。

 

だが、俺はここで別の説を唱えたい。

それは『洗脳説』だ。

我々人間は、実はトウモロコシに操られているのではないか。

いや、操られている事に気付く事なく、むしろ人間がトウモロコシを利用していると思い込まされているのではないか…と。

当たり前にトウモロコシを飼育し、彼らの種子をいただきながら子孫繁栄を手伝う駒として…。

そうだとすると、トウモロコシは自然界の中で一番有効な『人間』という生き物を利用して繁栄している事になる。

 

地球を支配しているのは、実はトウモロコシなのではないか…。

 

なんて下らない事を考えながら食べるトウモロコシは、

いつも通り美味なのである。

 

 

 

ケアマネジメントオンラインにこのような記事があった。

早い話、若い世代の介護支援専門員が少ないという事。

この原因は様々あり、低賃金なのに激務である事等も上げられるが、別の理由に『資格が更新制である』点も大きな理由の一つではないかと思う。

しかも、この更新にはeラーニングを含む長期間の研修や、そこにかかる決して安くない研修費用という高いハードルがあるのだ。

低賃金なのに研修費はバカ高い。

しかも地域によって研修費が倍近く違う。

こんな業界に夢を抱えて飛び込んでくる若者が居なくなった、という事なんだろう。

夜勤をやって処遇改善加算の対象でもある介護員として働いた方が、介護支援専門員なんかより高い賃金を貰えるのだから。


当初、この資格は更新制ではなかった。

行政が介護支援専門員の質が低いと言い出し、定期的に質の向上をさせるために途中から更新制度を作ったという歴史がある。

しかし、ここまで若い年代の介護支援専門員が居ない、もしくは資格をとって介護支援専門員として働き、質の向上を目指し育てていても、結局辞めてしまう事が繰り返されていては、いつまで経っても全体的な質の向上など出来るはずもないのだ。

結局残るのは古い世代の介護支援専門員のみ。

それがこの平均年齢の意味なんだろうと思う。


若い世代の介護支援専門員なら、子育て真っ最中の人達も多くいる。

その家庭を守る為には、より高い賃金の職種を選択るするという気持ちもよくわかる。

介護支援専門員という職種の魅力は理解していても、その志しだけでは家庭を守れない。

これが今の現状なのだろう。


介護支援専門員って、こんなに魅力を感じない職種だったかなぁ…。

忙しいけど、やりがいはある職種だと思ってるし、仕事としてのアイデンティティを感じられる職種なんだけどなぁ。

介護保険法設立当初は中核を担う職種とか言ってもてはやしてたけど、行政も今となっては体の良い『何でも屋』みたいな感覚なのだろうか。

最近ではマイナンバーカードを活用できない高齢者に対して『資格確認書』の申請を介護支援専門員から働き掛けるよう求めてきてる。

んで、介護支援専門員の代理申請も可能とか言ってるけど、居宅の介護支援専門員にこれやれってか?

マイナ保険証なんて推進した結果がこれで、ケツ拭きは介護支援専門員にさせようという魂胆なのだろう。


高齢者は増え、介護支援専門員は減る。

困る人は増えるけど、支援する人が減る。

こんな事を寝る前に考えているから、今日も安定して眠れない。


せめて楽しく介護支援専門員を全うしてやろうと思う。



近年、コロナ過から特に通信による事業所間での連絡が増えてきた。

【LINEWORKS】や【ZOOM】など、色々なツールの恩恵を受けている。

これは時代の流れというか、インターネットの進化ともいえる賜物なのだ。

 

うちでもお世話になっている事業所さんとの連携に使用しており、モニタリング時の状況や次の訪問時に確認していただきたい事などを文章にてお伝えする事ができている。

今までは電話にて伝える事が殆どだったので、それと比較するとかなりスムーズになったと言えるだろう。

コロナ過で活躍したのはZOOMで、これは退院時カンファレンスや研修などに使用され、今でも継続して行なわれている。

特に介護支援専門員の各研修は都市部で行なわれる事が多く、その研修会場まで遠い地域にお住いの方々にとってはとても便利なツールになったのではないだろうか。

研修前日からホテルを取って、研修の最終日にそのまま帰宅する。

最終日は大荷物で研修会場に来られる方も結構いらっしゃったのを覚えている。

公的機関がこれらのツールを活用する事によって、助けられている方々は確実に増えているのだ。

 

しかし、メリットがあればデメリットもある。

 

例えば【LINEWORKS】。

文章にて伝えたい事を伝達できる素晴らしいものではあるが、相手の表情や声のトーンがわからない。

感情を表現する事が難しいのだ。

個人的なものであれば【顔文字】や【(笑)】などの表現方法もあるが、あくまでもビジネスツールなのでこれらを使う事は難しい。

その場合、俺は結局電話での連絡や直接会いに行って伝達したりしている。

その方がこちらも『表情』という人間独自の方法を使って意志の伝達ができるようになるからだ。

 

また、どうしても長文になる場合は、読む側も『この話はどこに着地するんだろう…』とダレてしまいがちだし、書き手の思いを重視して書いている場合は客観的な情報が見えてこなくなる。

これらを踏まえると、会話で伝える事ができる人でも、文章化が苦手な人にとっては電話の方が良いという事になるかも知れない。

(これはその他の書類作成時も必要なスキルではあるのだが…)

 

文章はよく『起承転結』で書くとわかり易いと言われる。

確かにこれは基本であり、読みやすい。

が、先に述べた『長文』の場合は結局『どこに着地するのか』という読み手側のモヤモヤが解消されない。

これを読み手が『しっかりとイメージしながら』読む時間があまり無く、特に訪問系の事業所は移動しながら確認する事が多いので、尚更頭に入ってこない可能性もある。

 

改善点としては『結』を頭に持ってくる事。

「結論から申し上げると…」という事から始まると、読み手は忙しくても『この話はこうなるのね』とイメージしながら確認する事ができ、時間のある時にそのプロセスを確認できる。

いうならば『結‼起承転』という事だ。

 

自分の文章を相手が『読んでくれている』という意識を持ちながら、よりわかり易く簡潔に文章を作成する必要があるのだろう。

 

 

便利なツールに頼りすぎると、失くしてはいけないモノをどこかに置いて来てしまう。

やはりコミュニケーションおいては、未だAIよりも人間の方が勝っているという事なのかな…。

 

 

 


先日、お世話になっている先生(お医者さん)から食事に誘っていただいた。

周りは医療従事者で、福祉人は俺のみ。

「このメンバーに俺が居て大丈夫なのか?💦」と心配したが、大丈夫と快く受け入れていただいて、参加したわけだ。

知り合いだった方、初めましての方、とても有意義な時間だった。


そんな中、これから事業所を立ち上げたいと言う方がいらっしゃり、事業所の名称についての話になった。

うちの場合『介護のまどぐち つなぐ』『在宅ケアセンター といろ』そして法人名が『株式会社えんカウンター』である。

もちろん、それぞれ結構な時間をかけて考えた名だ。

法人名は俺が考えたが、各事業所名は従業員である仲間たちと考えた。

事業所名を『みんなで』考えた理由は、みんなが親しみを持って、みんなで作った事業所だと思ってもらいたいから。


法人名の由来は、『encounter(出会う)』と『ご縁』、『円形(みんなで囲む)』等の言葉をもじったもの。

色々な人と出会い、その縁を大切にし、その人達と円を囲めるようなお付き合いができるように。


居宅介護支援事業所名の由来は『誰でも気軽に相談ができる窓口』であり、そこから色々なプロフェッショナルへ『繋げる』ように。

そして色々な職種の人達と『繋がれる』ように。


訪問介護事業所名の由来は、ご利用者は『十人十色』であり、人それぞれ価値観が違う。こちらの固定概念で物事を判断せず『ご利用者の価値観に合わせられる介護員でありたい』という思いから。


それぞれ思い入れのある名であり、大切にしたいと思っている。


実は当初は通所介護事業所も考えており、その名前も決まっていた。

未だ実現はしていないが、今後『なにか』を始める時は、おそらくその名前で始める事になるだろう。

もちろん、思いや願いがこもった名である。


わかりやすい名称や土地などに関する名称を否定する訳では無い。

クライアントから見て覚えやすい名称や、その場所を連想しやすい名称、なんの事務所なのかわかりやすい名称も、もちろん大切と思う。

ただ単に、俺が優先したのは『俺や仲間が大切にできる名称』だったという事なのだ。

だから俺は、新たにお付き合いをさせていただく事業所の名称を気にするし、その意味を知りたがる。

その名称がその事業所の思いなのだろうと感じることができるからだ。


我が子に適当な名前を付ける親は少ないと思う。

それと同じ感覚よね。