人を信じないから友達ができないのか

友達が出来ないから人を信じないのか

そんなことを考えても何の解決にもならない


友達に頼ろうとしていたが、
そんなもの必要ない

恐らく、
私が力を取り戻したら、蛆虫のように、
這って来るのだろう

人はみな自分が大切だ
相手が良い調子ならば、その「恩恵」を受けようと
養分を吸おうと
近づいてくる

相手が悪い状態にあるのなら、
避ける


だから、
友達などとくその役に立ちもしないものにかかわるより
自分のことだけをすることにした


天につばを吐けば自分に降りかかる


人の助けにより大成したという人の話はよく耳にする
俺には無理だ

人を利用する気にもならない

そんな器ではない

負けることにも慣れた
一人では成し遂げられぬことでも
いっそのこと一人でくたばったほうがまだいい


これからはどんどん状態は悪くなるだろう
一人ではまず勝ち目は無い

それでも
自分がどうしても好きになれなかった
日本人に人間に
助けを求めるのなら

犬として
独りよがりのまま
くたばったほうが
いい


両親にせめて恩返しがしたかった

でも
それを獲得するときくらいは



まあいい
とにかく


人が怖いのだ


北朝鮮のように
クラスのいじめられっこは
このように相手の注意を惹こうとする


力のある国々は
いじめる相手を見つけてさぞや
楽しいことだろう



絶対に動かない
挑発に乗らない
動かない。

どういう状況でも動かない。

感情の波が大きいこともわかった。
結果、一貫性が乏しいことも分かった。

社会人として、意志力が弱いことは致命的ということも分かった。

友達がいないことも分かった。

それでも関係ない。

万人に良く思われなくとも、
それ以下の
万人に無視されようとも、
関係ない。

行動をしなければならない時が来る。


柔軟に、
まやかしにとらわれずに、

自分に忠実であれ。



彼女がいないこともすばらしいではないか?
人から認められずともそれはすばらしいことではないか?

自分をコントロールできなくとも、それはすばらしいではないか。


言葉にも、主観にもとらわれる必要は無い。



消耗戦だ。
何とたたかっているのかは分からない。


そんな
はかなくも小さな自分を肯定したときに、
初めて
接近戦が可能になるのだから。



自分のよろいが外れることで、
そこに油断ではなく緊張が生まれる。


どうしようもない進歩の無い大人として失格の
つたないサイクルをまわり続けていたとしても、

おかげで
「奇襲」や「先手全身全霊」「温存」
といった考え方
が生まれてきているではないか?


機会を待て。
今は疲れを貯めるな。

蓮をためろ。

悪だとしても、善だとしても、
自分に逆らうものは許さない。


それを誰にも見せないけど、
その
小さい独りよがりの気迫
は、
潰されるけど、

何かの始まりを告げる
サインになる。



蓄えろ。
集中しろ。
余計な神経を全て
閉じておけ。
自由という概念は、選択肢があって初めて存在するのかもしれない。

全てを奪われたと思われる最近に、
なにが自由として残っているのかふと考えた。

それは、
「見る」「見ない」の選択肢。

私は、どのような理由か良く分からないが、
目がとても悪い。

めがねをはずせば、何も見えない。


ここ外国では、私は彼らにとって客(招かざる)であり、
お金を落とす「犬」くらいのものだ。

かといって、私はまるっきり犬というわけではない。
だから、犬と同じことをするわけにはいかない。
形は少なくとも人間だ。


かといって、相手の言葉が分かるともいえない。
分からないわけではないが、わかっても「意味が無い」と思う事がある。


会話が成立しないということは、
人間としての権利を半ば放棄しているのと同じであり、
人間ではあるが人間ではないという結論に陥る。

人間であるからこそ、
何かをするときに選択肢が出てくる。

人間でなければ、そんなに選ぶ必要もないし、選ぶべきことも無い。

外国にて、人間未満の状態の私に残されていること
はあまり多くない。

そうだ、
見なければいいのだ。

目が見えないということは、
見さえしなければ何の感情もわかず、
従って
私が悪さをすることも無い。(まあしないけど)


見たくないものの方が多いから、
そういうことになる。


日本にいるときに、
お客さんに「誠意」という脅迫概念に追い詰められて、
お客さんを
認識しないために、
めがねをはずしていたっけ。


失明は私が困るのでしないけれど、
見ないという選択肢がある事は、私にはいいのかもしれない。


どうせ見ても同じだろう。

お医者さんに
以前、「目が遠いものを見ようとしていない」と言われたっけ。


見ても意味の無いものを見てどうする?
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天秤にかかっている


正の道と悪の道


私は思う
私は現在、悪として進んだほうが早いのではないかと
勇気が無いのかもしれないけれど、今まで散々に、自尊心を奪われているので、
勇気が無いのを考慮しても、悪に切り替わることは可能なレベルまで来た

正の道を思う
わがまま勝手で自分のことが大切な愚図たちに良い様に利用され続けてきた今までに
絶望している中、
かろうじて残った心の中の優しい気持ちたちが
人に何か恩を返そうとする気持ち

正の道は茨の道
パリに留まり、
これからさき、5年間以上、勉強を続け、
人から不誠実であるといわれ続け、
極貧の中にも極貧で、
精一杯がんばった後には、
「社会経験なし」という
悲惨な日々を送る




もう、十分だ


って



もうこれ以上はできないって

もう、
抵抗する気にはなれず、
信じる気持ちも起きず


今まで手加減に手加減
思いやりに思いやり
で生活してきた部分を

手加減なしに切り替えるだけだから
可能になる

結果人を傷つけることが
怖かったのだけれど


別に
人に何かをしたいという気持ち
が消えていく中で

自分の利己のみに生きていけば良いのではないかと



本当は
何か大きな歴史の大義の中に生きようとしていたのかもしれない

でも、
そんな人は
不自然だと
挙動不審だと



人からいらないといわれ続けても
人のためをおもって行動をしてきたようにもおもうが


ただただ
利己のために



最近は、家に閉じこもっている。

友人もなく、何かに参加するわけではない。

孤独だ。

孤独自体にも、長所があると信じている。
しかし、孤独な人間はあまりに弱い。
一人で出来ることはたかが知れている。

毎日働いて、
可能な限り勉強をして、

毎日
綺麗に、高密度に、自身の生活を
編成していけば、
自分が思う刀(自身のイメージの問題です)が
に近づき始めると思う。


人から阻害されることで、憎しみが生まれる。

その人に原因があるのかもしれない。

でも、
同情ではなく、共感。

もっと深く。

高密度に。


人が何かをかけて
その人自身をぶつけるときに、
輝きが生まれるのだろう。


私は、一人でも輝くように
素直にそのまま
がんばる。


今日は、そろそろ
日本社会の一員として働きたいとふと考えながら、メトロに乗っていた。

日本社会に受け入れてくれる場所はあると思う。
そう思っている。
選ばなければ。

しかし、何がしたかったのだろう。
分からなくなってしまった今、半ば選ばないという方法もあるのかなと
考え始めた。

、、、、、、、、、、、、、、、、、

本題に戻る。
まあ、そんなにたいした事を思ったわけではないが。

もしも、自分が今、誰かに、何かに選ばれていたら、
自分と向き合う時間は無かっただろうなとおもう。

もしも、自分が女の人に好かれて、
また、真剣に恋愛し始めることが出来ていたとしたら、
ここまで自分を追い込むことも無かった。

自分に確固たる核が無いから、女の人と良縁に恵まれないとも考えられるが、

こういう、一人の時間は、
神様(人間社会の摂理)が与えてくれた、
人生の宿題をする為の時間と思うようにした。

一人も案外悪くない。


何を持ってかは分からない。
「才能の枯渇」を受け、次世代へ遺伝子を渡そうとする動きが活発になっているのだろう。

もしも、
人間社会に、科学やなにかそんな大それたもの以上のものがあるとするならば、
今、私の体のうちから起こる本能だろう。

これほどまでに、
子孫を残そうと体が反応してしまっているのは、
防衛本能が作動しているのだろう。

「これ以上、あなた自身のためだけに時間を費やしても
得られるものはあまり無い」と。


逆説的だが、
子供のおかげでその分野においてさらに力を増すというのは
よくある話だ。

まあ、
この例には私は該当しない。
なぜなら、’その分野’というものが存在していないからだ。


まず、生涯の基礎となる’職’がなければ、
物語は前に進まないのだろう。





ははは、、、

意味のない事を書いたな。






この自然に任せた考えを認めた上で、
あえてその上を行くのが
「英雄」なのかもしれない。


本能を越える必要があるかないかの議論ではなく、
どんな揺さぶりにも
相変わらず
自分であるかどうか。。。。


できないだろうな。
たくさんの楽しい思い出があった

たくさんの人たちに会った


過去の自分ともたくさん話した

過去の自分は、「もうたくさんしてくれたからどうなってもそれは受け止める」
といいました

私はそれで、「フランス人の女の子とつながり(性的)をもちたい」と思いました

童貞で純粋な私は、
言葉だけで女の子に手を出す勇気はありません


一人で歩くには広く、心細いと感じました

寂しさのあまりに当時アルバイトをしていた塾の講師に
心を差し出そうとしました

やり方はまずく、(アプローチの仕方)、
セクハラという結果になりました

償おうとしましたが、
償うことすらできずに、今に至ります


それまでの人生は良いものだった

人から認められずとも、確かに何かを掴んでいた

父親の借金返済の「犠牲」になり、
また、誘惑に弱いこころもあり、少しずつ病んでいきました

せっかく掴んでいたものも、見えなくなりました
手放してしまいました


こういうときだから
心静かに
円を描きます


人に迷惑をかけました
でも一人で生きたくはありません

一人で生きられるかもしれません
でも仲間と共にあゆみたい

誤りがありました
それでも
掴んでいたものに手が届かないことがわかっても
それでも
前を向いてあるきたい

生きたい


来て欲しいと思うものはこず

来て欲しくないものはあつまるものかな



、、、、、、、、、、、、、


人の心や行動範囲に
勝手に入り込んでくるものを「俗物」という


ZZガンダム ハマーンより



主に集まってくるのは、黒人。
似たものは集まるというが、
客観的に、私自身もそんなに高望みは出来ないのだろう

残りの期間は賞味
2ヶ月あるかなし

異国での滞在での最後の日々で
フランス人の女の子と仲良くなっておきたいなと
今、考えてメールを送ろうとしているが、

双方に愛情がかけているような気がする。

私も突き詰めるところ「利用」だし
彼女も突き詰めずとも「利用」だと思う


作文の添削を以前にしたけれど(2人のみ、自分の部屋)
女を知っておくのはありだと思っている


昨日、一晩考えた。
女が欲しいと思うときもあるが、
昨日のように、「意図的に」女が欲しいと思うように自分を持っていかなければ
ならないほど、案外心の芯は冷めている

彼女の試験が昨日終わり、
昨日に連絡をすべきなのだろうが、
どうも「しっくり」来ない


31年間の経験上、
女は「煮え切らない」私に、少なからぬ嫌悪感を持つことは知っている

此方が
せめて友達でいたい

というころには、
女は当然他を向いており、

ああ、
はじめから相手にすらされてはいなかったのだと
遅からず気付く



こんなにも弱くはないだろうに

この期に及んで人生の「意味」など考えても
意味はないだろうに



全てが分からなくなった今、
何を望むのだろう



自分の行動が原因で
人が傷つくことを恐れ、
一切の行動を封じた


その地点で何が見えたのですか


無明ってなんだろう

無の中に光があるともいえるし
ただそのまま光がないとも言える


どちらにせよ
研ぎ澄ました中での
何かである事は確かだと思う
結局俺、何がしたいんだろう?

「誘惑に負けるな」

ということかもしれない。

昔の陸上部の顧問をしてくれた先生がそういっていたよな。


価値観の整理をしなければならない。

随分と、倫理観は崩れていると思う。
でも、どんなかたちになっても、親を見捨てることは避けたい。
必要最低限のお金はいる。

人から認められたい気持ちもある。
31歳の現状では、人から認められる、人並みの幸せのある
高等職業につくことはできないだろうと思う。

人を見返したいと思う。
だから、フランス語を「やってみた」。

いや、
葉をみて森を見ずになっている。


シンプルに
何がしたい?
何が好き?

なのだろう。

今は、そういう時代だ。そのほうがいい。

私が自分に絶望したのは、
この質問に対して、「誘惑に屈すること」
だからだ。

掘り下げれば何か出てくると思っていたんだけれど、
現実はそうではない。

人から結果的に「搾取」をされ続ける現状、
冷静になれば、自分が「搾取」する番だと考え、
結果、「金のためならなんでもする」という発想が生まれてくる。

人の世に絶望しているのかもしれない。

人の世はもっと美しいものがある

その言葉だけで自分を染めて、
毎日を暮らすこと、暮らせること、これだけが私を破滅へと向かわないようにする
羅針盤になるのだろう。


美しいものをみて、美しいものだけをみて、、、



なんかな、、、
もっと自然になれないかな。


ここまで考えて、
「絶望」という考えがよぎるが、
それは精神力が弱いといえる。


こうやって、何度も甦ってきたのだ。

自分には何もない(らしい)、本音が「誘惑に屈すること」
人から選ばれたことも無い、、、
競争には負ける、、、、


だから「何」?


なのだとおもう。

ひとから選ばれない。
いつも一人。


でも、だからそれが何の問題がある?


はかなくも小さいものであっても、
「私が絶望すること」とは、関係が無い。


毒は出た。
あとは、
いかに「客観的に」「冷静に」
立て直すかだ。





フランス語の勉強が単調化してきて、

めりはりがなくなってきてるので、

町を少しあるいた。


やつれた靴を買いなおしたかったので、靴屋に行った。
そして、結局買いませんでした。

その後は、本屋さんにいった。


現実問題、
金は徹底節約と労働により、
言語学校に行ったが、結果的には貯金はプラスマイナスゼロだ。
でも、
このまま、何らかの形でフランス語を上昇させるには、
あと一年、
勉強に「不安なく」集中できる環境が必要だ。

実は、そのためには、
急いでフランスに戻るよりも、
日本で体制を整えた上で、正式に
大軍を動かすことを検討し始めた。

日本に帰って、誘惑に屈するかと思っているけれど、
がんばっている人を見て、

あともう少しだけがんばろうか、、、、と思っている。

大軍を動かすには、
まず、9月半ばまで、フランス語に「真面目」に自習しか出来ないけど、
とりくんで、

キャンパスフランスに留学の旨を打診しつつ、
日本に帰って、
日本で週5日くらい働いて、一ヶ月10万円がんばってためる計算をしつつ、
残った時間を語学に割いて、
現在残っている30万円と、100万円を合流させた上で、
ビザ申請に望む。

日本でフランス語の赤ちゃん(才能開花)を産むのは、
難しい、最困難な部類のうちの一つに入るだろうけれど、
やれない事は無い。

ただ、客観的には、2月の時点で、仏検準一級まで上昇させるということだから、
物事が良く分かっている係員は、「困難を極める」ということだから、
もしかしたら、
2月までは派手に働けないのかもしれない。


とにもかくにも、
もう、31歳、歳をとっている。
新しいことを始めるには遅い。

でも、
あともう少しだけがんばってみたい。

過ちはあった。
自分が自分でなくなったときに、
失われた。

でも、いつか罪が償われる日がくる。

潜在的カリスマ性が戻るまでが、一番危険だ。