父を送る・・・~通夜・葬儀~ | ×××えんちの事情×××

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4月10日(水)午後

●おかえり・・・

冷たくなった父の処置が終わり、いったん自宅へ。

何より好きだった海を眺めながら

父は自分の家に帰ってきました。




おかえり、じさん。




今夜は村の人たちから念仏を頂きます。

3時ごろに実家に到着した時には

私たち4姉妹の他にも、久しく会っていない

親戚のおじさん、おばさん、いとこたちが集まっていて

大勢の親戚と弔問に来て下さった村人たちで

ごった返していました。

夕食も子どもたちと大人たちと別れ

手の空いた者からチャッチャと食べることに・・・。




孫一同(8人)の食事風景。

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こんなふうにみんなが集まるのは、正月以来です。

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そりゃ、話にも花が咲きますね。めっちゃ楽しそうw

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オオォォ━ヽ(*゚Д゚)ノ━ォォオオィ 笑い過ぎやぞ。





念仏の合間に、水をかえるのが私たちの役目でした。

孫が1人1人交代で、水をかえ

手を合わせ、父を見守りました。

今夜から線香やろうそくが消えないよう

いつまでも父の傍らで、談笑しつつ夜を明かしました。




とはいえ、今朝は5時前から起きていたせいもあって

ひとり、またひとりとリタイヤする者が続出し

結局、最後まで起きていたのは

私といとこのさっちゃんの2人だけ。

途中で交代するものと思っていたのですが

他の者たちは、ぐっすりお休みしていて

交代しましょうか・・・少し休んで下さい・・・

そんな心優しい言葉をかける者が

誰ひとりとして、おらんかったというのは遺憾でした(笑)




4月11日(木)

●一夜明け・・・

午前中にも念仏があって、水をかえたり

お茶を出したりと、実家はとても忙しく

これから通夜、葬儀とセレモニーホールへ場所をかえるため

さまざまな取り決めや段取りで、姉が一番大変そうでした。

悲しんでる場合じゃない様子でした。




昼頃に私たちも家に戻り、今夜の通夜に備え

支度をすることになりました。

とはいえ・・・

一睡もせず、31時間ぶっ通しで起きてたので

この辺りで少しでも寝たほうがいいだろうと思い

1時間ほどベッドに横になり、身体を休めることにしました。

夕方には次女のお婿さん(通称:骨折君)も

わざわざ大阪から来てくれたので、今夜泊るホテルの予約をし

チェックインさせ、会場に向かいました。




●控室にて

骨折君を親戚縁者に紹介しました。

こんな形で顔合わせすることになるとは・・・。

父が元気な頃に、遥の旦那さんや!と紹介したかった・・・。

そんな思いでいっぱいでした・・・。




●30数年ぶり

・・・に会ういとことの再会に

誰やった?名前も思い出せん・・・。

時の流れを感じます。

私が高校生の頃、祖母が亡くなって葬儀をしたおり

会った以来ですから、当然のことでしょう。

あ~んなにちっちゃくて、可愛かったのに

こ~んなおっさんになっちゃって(笑)

遠い和歌山から来て下さいました。





●在りし日の父

受付会場前には、父の面影を忍ぶコーナーが設けられ

孫を抱き、満面の笑顔の父の姿がそこにありました。




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海を愛し、漁に出る日が多かった父。

亭主関白のくせに、寂しがり屋で

いつも母の行くところに、ついて行った父。

8人の孫を抱いたその腕が、力なく冷たくなっていったのは

ほんの昨日のことなのに、ずいぶん時間が経ったような・・・

在りし日の父の姿に、懐かしさと悔しさと愛おしさと

いろんな思いに溢れ、やっぱり涙、涙、涙でした。




昭和9年生まれの伊達男。

父は間違いなく男前でした。




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●通夜




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たくさんの方が、父の通夜の席に足を運んでくれました。

自分が死んだ時に、こんなにたくさんの方が来てくれるだろうか?

こんな形で父の偉大さを知るなんて・・・。

日頃から人とのお付き合いは重視すべきだと

身にしみた通夜でした。




●極度の緊張

焼香は4つ用意され、順番に焼香をあげました。

長女はチビを引き連れ、次女は骨折君と並んで行ったのですが

祭壇の前で、順番がずれてしまい

チビはひとりで後から焼香になってしまいました。

その後、極度の緊張のせいで

チビが泣きだし、冷たくなった手のひらと

激しい動悸に襲われ、自分の体であって

自分の意思と反した身体の変化に

チビは恐怖を感じたようでした。

これはパニック症候群ってやつなんでしょうか?




●最後に・・・

また在りし日の父の姿を、DVDにまとめたものが

スクリーンに映し出され、会場は涙に包まれました。

父からのメッセージのようなDVDに

アスピカのスタッフに、やられたぁ~・・・

そんな感じでした。泣かせやがって・・・。




「しあわせだった?」なんて 聞かないでくれ 愛しき人

腕に抱きしめて 僕が聞きたいよ 君がしあわせだったか?

終わらない道は きっとある 見送る人 涙 拭いて

背中 見届けて・・・

僕は1人きり この川を 今 渡る




何も悔いはない 生まれてよかった

心から ありがとう





最期の川とリンクしてしまって

DVDを見ている間、ずっとこのフレーズが

耳元で聞こえるような気がして

ここでもやっぱり、涙、涙、涙・・・でした。









●礼服のまま・・・

通夜の後、次女夫婦を誘い食事に出かけました。

見知らぬ親戚に囲まれ、いきなり紹介され

初めて会う義父は息がなくて・・・。

骨折君の気疲れは相当だったと思います。

だけど、来てくれて本当に嬉しかったので

食事は丸亀でもなく、ガストでもなく、きらくっ!

ちょっと奮発してご馳走することにしました。




●ネクタイ

キュッと締めたネクタイを緩め、形を崩さないよう

あまりにも慎重にネクタイを首から外すので

なんで解かないのか聞いたら・・・

ネクタイが結べないからと、意外な答えが返ってきました。

なるほど・・・。

そう言えば、骨折君もまだ未成年です。

ネクタイくらい結べなくたって、許せる歳ごろです。




●代行

会計を済ませ、代行を1台お願いしたところ

待ち時間が1時間くらいあったので、カウンター前の席で

再び飲み直しました。




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チビは・・・

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お疲れのようでした。





入学したばかりで、慣れない学校に通い始め

それこそ慣れない通夜を経験し、チビの緊張と不安も

多々あったかと思います。

が、チビには精神的な面で、もっともっと強くなって欲しいと

つくづく感じた夜でした。




4月12日(金)

●告別式

この日の為に、孫一同より父へ寄せ書きをしたのですが

てっきり棺に入れるんだろうと思っていたのに

なんとこの式の中で、すべて読み上げられたのには驚きました。

読むのなら読むと言ってくれればよかったのに・・・。

いとこのさっちゃんは、いつも呼んでた呼び方で




じさんへ




と、書いてしまい

それを進行役の方が、さも悲しげに




じさんへ・・・




と、しんみりと読み上げるので

ここは泣くところのはずが、吹き出しそうになったのでした(笑)

今日も式の終わりにはDVDが流れました。

DVDは通夜の時と同じものでしたが

ナレーションが違っていました。

残された私たちから、父へ向けたメッセージになっていて

ここでも会場は、涙、涙、涙に包まれたのでした。




●安らかに・・・

父の寝顔は安らかそのものでした。

私たちには突然、逝ってしまったように思われましたが

父には迫り来る死期が、分っていたのかもしれません。




船で使う網や救命衣などを、近所の方に分け処分していたとか

すでに亡くなった祖母(父の母)や、兄の夢を見たとか

体調不良で最近は外にも出なかったのに

亡くなる前日に、ふと浜に出て海の様子を見に行ったとか。

どんな思いで1日、1日を過ごしてきたのかと思うと

胸が張り裂けそうな気がします。

自分の死期を感じる恐怖はいかほどだったのか・・・。

歯医者さんで口を開けるのも、怖がる父が

1人、その恐怖と向き合っていたのかと思うと

悲しくてなりませんでした。




●火葬

父の体中の骨をひとつひとつ拾い上げ

丁寧に説明をしてくれました。

さすが海で産まれ海で育っただけあって

骨がとても丈夫だったそうです。

頭蓋骨も鼻のラインもきれいに残っているのは稀だと

お褒めの言葉を頂きました。

鼻のお高い方だったんですね・・・と言われ

あぁ、その鼻に私は瓜ふたつなんだと少し嬉しく感じました。

ちっちゃな骨壷に入った父を連れ、セレモニーホールへ戻りました。




●初七日

最近では、火葬の後に初七日を済ませてしまうそうです。

なんにせよ、全てセレモニーホールの方の進行あってこそ。

昔は全て自宅でやっていたので

とても大変だったそうですね。

時代の流れでしょうか。

便利になった代償は、支払いに跳ね返るのでした。




●会食

親戚縁者とお世話になったお坊さんとが席を合わせ

会食したのですが、それはそれは美味しい食事でした。

全てがとても美味しく、ちょっと張りこんだと姉が言うだけあって

最後のデザートからコーヒーまで

とても満足できる会食でした。

ご馳走様でした。




●戒名

父の戒名がどんな意味を持ってつけられたのか

どうしても知りたい私たち4姉妹は

お坊さんに父の戒名の呼び方、意味合いなどを尋ねました。




聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ですから。




その意味を知り、感心し、拍手をした私たちに・・・

お坊さんの言葉に、時折ウケ、笑い飛ばした私たちに・・・

初七日の席で、笑いを取って、拍手まで頂いたのは

今日が初めてです
と申しておりました。合掌!




●お疲れ・・・

連日の疲れをとるために、次女夫婦と一緒に

越のゆに出かけました。

次女たちにはもう1泊ホテルに泊まってもらって

ゆっくりしてもらおうと思ったのです。

7ヶ月の大きなお腹を抱え、次女が転ばないかと

ヒヤヒヤでした。




父はあっけなく死んでしまったけれど

ここにもうひとつの新しい命が、育まれています。

命の尊さを感じずにはおれません。

まだ若い夫婦ですが、この授かった命を

大切に大切に、深い愛情で包みこみ

これからの人生を豊かなものにしていってくれればと

そう願うばかりです。




●父へ

真昼の太陽に・・・

深夜のお月様に・・・

あなたの存在を思うでしょう。

いつも、空高くから

私たちを見守ってくれてると信じています。

おつかれさまでした。

どうか、安らかにお眠りください。




●最後に・・・

長々と書いてしまいました・・・。

お付き合いいただき、ここまで読んでくれてありがとうございます。

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