エリザベート(東宝版) その2 | 縁茶亭茶話

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「城田トート、かっこよすぎてヤバイです」とのたまった2日後。


 城田トートの回、すべて完売しました。


 え、私!? 私の発言のせい!?

 なんてたわごとをほざいていたら、長い話がますます長くなりますので、この辺にしておきましょう。



 さて、21日も『エリザベート』を観てきました。

 この日は瀬奈じゅんさんのエリザベートと城田優さんのトート、伊礼彼方さんのルドルフという配役です。

 ……ある意味どうでもいいことですが、私、瀬奈さんのことずっと「瀬名さん」と書いてました……。

 ファン失格。


 それはさておき、宝塚時代にもエリザベートを務めたことがあり、その前にはルキーニを、そしてトップとしてトートも演じたことがある瀬奈さんは、やっぱりものすごく素敵でした。

 東宝版は宝塚版にはない場面や演出もあるので、エリザベートの心情面にものすごく引き込まれます。



 で、「かっこよすぎてヤバイ」城田さんのトート。


「かっこよすぎ」訂正、「美しすぎ」。 


 いやもうホント、オペラグラスが手放せませんでした。

 だって、ものすごくきれいなんですよ。

「かっこいい」と言うよりは、「きれい」とか「美しい」という表現が似合いすぎるんですよ。

 ルドルフとのキスシーンも、絵みたいにきれいだったし。

 瀬奈さん共々ものすごくすてきだったんで、今日もまた、今度は当日券に並んで観に行ってしまいました。

 あ~、眼福ってこういうことを言うんだなぁ、と妙に実感。


 しかもこの人、たぶん自分の体を一番きれいに見せる術を身につけてる!

 天然なのか演出家が気合い入れて指導したのか、動きがいちいち様になってるんです。

 彼のトートは、言うなれば「気まぐれなる闇の貴公子」。

 ばさぁっ!とロングコートの裾を翻して去っていくところとか、少し首をかしげた感じで見つめるところとか、長身をもてあまし気味に座ったり寝そべったり柱にもたれたりするところとか、「闇が広がる」で鉄の棒を一気に滑り降りてくるところとか(他のトートは、階段を下りてくる)、品がありながらもちょっと気怠げな雰囲気を漂わせています。


 でも、なんかそれってものすごく「トート」っぽい!

 時に強引で気まぐれで、怖いんだけど惹かれてしまう――それってまさに「死」だ!

 こんなのに「今こそ黄泉の世界に迎えよう」なんてお迎えに来られたら、確かに「あんれまあ、それじゃそろそろそっちへ行こうかね。」と腰を上げたくなる!(←このシチュエーションはかなり間違い)




 とは言うものの。



 どんなに魅力的であっても、「死」は「死」。

 エリザベートは何度誘惑されても、トートを拒絶します。

『エリザベート』のトート(死)については先日 語ったので、今日はその反対の「生」について語りたいと思います。


 とか言いつつ、いきなりズバッとまとめてしまうと、「人は自分の人生を生ききって初めて、本当に死を受け入れられる」ということなんですよね。

 ウィーン版、つまりオリジナル版『エリザベート』のプロローグの原詩には「人は誰しもトートと踊るもの けれど彼女ほど見事に踊った者はいない」 (ちょっとうろ覚え)とあり、そこにこの作品のテーマが凝縮されているように思います。


 そもそも物語の発端は、一度はエリザベートを黄泉の世界へ迎え入れようとしたトートが、彼女の美しさに恋をしてしまい、「生きたお前に愛されたい」と願って甦らせてしまったことでした。

 しかし、トートに惹かれるように思えたエリザベートは、皇帝フランツ=ヨーゼフの妃となり、自分の道を歩み始めます。

 それは、彼女が「死」ではなく「生」を選んだということ。

「生きた人間が死を愛する」――それは「この世に望みを失い、死を願う」ことだと思っていたトートは、彼女を精神的に追いつめようとしますが、彼女もまた「生きて自由を手にする」ことにこだわり続け、二人はなかなか歩み寄れなかったわけです。


 そんな彼女が初めて「死」を求めたのは、息子ルドルフが自殺した時。

 息子の死を通して、改めてこの世では安らぎを得ることのできない自分を知った彼女は、ついに初めて自分から命を差しだそうとしました。

 その彼女に、トートは口づけようとし――はっとしたように、動きを止めます。


「まだ私を愛してはいない」と、今度はトートがエリザベートを拒絶。

 嘆く彼女もまた、自分がまだ心の底では本当に死にたいわけではない、ということに気づいたんだと思います。


「この世に望みを失い、死を願う」ことが、「死を愛する」ということではない。

 トートにまずそれを気づかせるところが、この話のおもしろいところです。

 そう考えると、たぶん、トート自身が本当に人を愛するとはどういうことなのかということを知っていくお話でもあるんでしょう。


 最終的に、エリザベートはルキーニに殺されます。

 ルキーニに凶器を渡したのは、トートでした。

 それは、彼女を解き放つため。

 彼女もまた、死を受け入れます。

 今度は絶望ではなく、自分が納得するまで戦い、自分の人生を生ききった上で、「自由な魂が安らげる場所」を求めて。


 ちなみに、死を受け入れるのはトートのキスで表現されるのですが、これは「この世で安らげなかった魂」に与えられる祝福という意味もあるのかな、と思いました。

 エリザベートはもちろんそうなのですが、ルドルフもまたトートにキスされているので。

 普通、お姫様は王子様のキスで甦りますが、キスされると死んでしまうというのは、この逆の発想だったんでしょうか。



 何やらとりとめなく書きつづってしまいましたが、とりあえず今回はこのくらいで。

「また今回?」という感じですが、石丸トートを観たら、またちがった感想も出てくるかな、と。

 まあ、次に語る時には、もうちょっと軽い話をしたいと思います。