『神去りなあなあ日常』(三浦しをん作)
〈あらすじ〉
進学も就職もせず、適当にフリーターでもして……と考えていた18歳の平野勇気。
ところが卒業式が終わった瞬間、担任教師と母親からろくに説明もされずに横浜の家を追い出され、三重県の山奥にある神去村に送り込まれてしまった!!
そこで勇気は、林業の仕事をすることになる。
高齢過疎化が進み、生活の便も悪いその村では、村人たちが今日も「なあなあ」(「ゆっくり行こう」「まあ落ち着け」という意味)の精神で、自然と共にのんびりと暮らしていた。(続きは解説でネタバレします)
〈解説〉
現在発売中のこの本の帯には、宮崎駿監督がコメントを寄せています。
もちろん大絶賛。
高齢化社会、でも元気なお年寄り、自然と共生して生きる人びと――確かに監督好みのお話かもしれません。
そのうちジブリで映画化するかもしれませんね。
というわけで、最近読み終わって記憶が新しいところで、三浦しをん師匠の『神去りなあなあ日常』を取り上げてみました。
ちなみに三浦師匠一番のおすすめ作は、映画にもなった『風が強く吹いている』ですが、それについてはこちら をどうぞ。
さて、三浦しをんさんの作品には、わりと何かに打ち込むことを通して成長していく姿を描いたものも多いのですが、今回の主人公は、なんと林業に打ち込んでいます。
といっても、『風が強く吹いている』(走ること)や『仏果を得ず』(文楽)のように、求道者のごとくストイックなまでに何かを極めようとしているのではありません。
勇気はいわゆる「イマドキの若者」っぽい子で、特にやりたいことがあるわけでもなく、何となく適当にやっていればいいや、などと思っていました。
それが、無理矢理携帯電話も通じない山奥の村へと送り込まれ、強制的に「林業」という仕事を与えられてしまいます。
この点が、上記の2作品とは決定的に異なるところです。
まだ若い勇気にとって、何の刺激もない山奥での暮らし、しかも「キツイ・キビシイ・キケン」な肉体労働など耐えられるわけがなく、当初は隙あらば逃げだそうとしていました。
それが、山での仕事や村人たちとの暮らしを続けていくうちに、少しずつ変わっていきます。
勇気の目を通して語られる神去村の人びとは、おっとりとしていながらも時々破壊的。
「破壊的」な一面は物語の後半でクローズアップされるのですが、基本的には、全編を通して大らかでのんびりとしています。
この「なあなあ」の精神は、自然と寄り添って生きることで培われていったもの。
特に、何十年というサイクルで営まれる林業は、毎日の地道な作業の積み重ねが世代を超えて受け継がれていくことで、初めて実を結ぶという仕事です。
日々の仕事を通してそのことを学んだ勇気は、やがて林業のおもしろさに目覚め、仕事に打ち込むようになるのです。
そして、勇気がこの村で学んだことは、人間もまた自然の一部だということ。
神去村の人びとは、「死」に対してとても冷静です。
草木や動物、虫がそうであるように、人も老い、そして死ぬもの。
それもまた自然の中で営まれる当然のサイクルとして、死者を送ります。
また、人間も自然の一部にすぎない存在である以上、自然に対してとても謙虚です。
その象徴が、神去村の人たちが大切にしている「オオヤマヅミさん」という神様。
この物語には少しファンタジー的な要素もあって、勇気は時々「あれ、今のって……?」という不思議な体験もします。
そのキーワードとなるのがオオヤマヅミさんで、決して表に出てくるわけではないのですが、確かに「いる」存在として村人たちの尊崇を集めているのです。
けれど、「神」というのはあくまでも擬人化されたものであって、村人たちが敬意を払っているのは、おそらく「山=自然」そのもの。
林業は山の木を伐採するものですが、それは決して自然を支配するのではなく、自然の流れの中に寄り添うことで恵みを受けているのだ――オオヤマヅミさんへの信仰は、そのことを忘れないようにする自戒なのかもしれません。
ところで、三浦作品の主人公は、どこか不器用で人との関係が上手く築けず、孤独を抱えていることが多いのですが、この作品でも例外ではありません。
といっても、この物語は勇気の一人称で語られるので、基本的には軽い口調(というか文体)で彼の抱える孤独や不器用さは目立たなくなっています。
ただ、両親が生まれたばかりの孫にかかりきりで、しかも両親さえ仕事の内容をよく知らないくせに一方的に家を追い出されてしまったこと、携帯電話が使えなくなったとはいえ、友だちが一人も連絡をくれないことなど、それまでの彼の人間関係は、表面上は上手くいっているように見えながら、実はとても希薄なものでしかなかったことがうかがえます。
神去村とちがい、店だって遊ぶところだっていっぱいある横浜。
だけど、自分がいなくても、誰も気にしない場所。
そのことに気づいた瞬間、彼は村から逃げ出すことをやめました。
もっとも、彼がすんなり村人として受け入れてもらえたかというと、そうでもありません。
横浜からやってきた勇気は「よそ者」で、彼が山奥に入ることをよく思わない村人もいます。
勇気は、結局村でも孤独を感じることになります。
しかし、一生懸命に仕事に打ち込む勇気の姿は、やがて村人にも認められていきました。
山奥の過疎化した村では、好きな人ができればすぐにバレる、というほど密度の濃い人間関係。
物と人にあふれかえった都会では得ることのできなかった居場所を、勇気はここで得ることができたのでした。
――とまあ、大まじめに語ってしまいましたが、先ほど書きましたように勇気の一人称なので、読みやすいです。
しかも、登場人物が個性的でおもしろいです。
興味のある方は、お気軽に手に取ってみてください。
のんびりまったりほのぼのとした気分になること、請け合いです。