人生半分過ぎて振り返る
私の傍には
いつも音楽が流れていた
嬉しい時
悲しい時
辛い時
悔しくて眠れない時
ワクワクな時
最高に幸せな時も・・・
多種多様な音楽に出逢えたことに心から感謝する日々
そんな宝物を備忘録として残そうと思う。
ブラバン(吹奏楽部)に入り、アルト・サックスを吹くことになったのはいいが、
まぁ、音の出ないことったら・・・
最初はマウスピースをビェ~ビェ~とひたすら鳴らすとことから。
そして何日かしたら、ネック(マウスピ―スから続くキュッと曲がってる管)が足されて
またブォ~ブォ~と永遠に・・・
そんな何日かが過ぎて、楽器本体ごとつけさせてもらった時は嬉しかったな。
曲らしい曲は、そんな簡単に吹けるハズもなく、
毎日机をいくつかくっつけて、その上に仰向けになり、腹式呼吸と腹筋の日々。
文化部なのになんで腹筋せなあかんのん?
と秘かに思ってた。
家では、前回記事にあるようにひたすらペレス・プラードのLPレコードを聴き続ける。
他にアルト・サックスの誰か・・・と思い、
ふと聴き始めたのがアート・ペッパーだった。
なぜ彼のLPレコードに手が伸びたのか?
イケメンか?
うーん、そんな踊り出すほどのイケメンでもないよな…笑
とにかくしばらくの間、何枚かのペッパーを聴いていた。
いわゆるモダン・ジャズとかその辺りの音楽を
意識して聴くようになったのもこの頃かな。
中学1年生の秋。
当時、ニューミュージック?といわれる音楽が流行っていた。
チューリップとかね。
こんなオッサンくさい音楽(オッサンごめんなさい)を聴いてたって
今思うと変やな、ワタシ(-_-メ)
何はともあれ
いつも傍らには音楽が流れていた♪
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大 柱 攝 子
(おおはしらせつこ)