今日はいつもと毛色が違うことを書いてみます。


ふと昔のことを思い出したから。



私は九州にあるとある国立大学の工学部を経て、

そのまま大学院に進み修士号を取りました。



まだ学部の4年生だった頃、生物有機化学研究室に入り、実験することと文献を読みあさるのを楽しんでました。



その当時、外国から大学に招待されて講演するプロフェッサーのお話を聴いたり、アメリカ留学してた直属の准教授の話を聴いてると、日本にいては最先端の情報はすぐに入ってこないし、研究もアメリカから2、3歩?いやもっと遅れてるのではないか!と焦りはじめ、



私は将来アメリカで研究する!

アメリカに行く!



と、宣言していました。



これは親も覚えてるのではないかと思います。




あれから25年くらいたった今、



私は本当にアメリカに住んでるおねがい

サイエンスはやってないけど、ナバホの研究(みたいなこと)やってる笑い泣き



って、気がつきました。




願い、想いは、



いろんな形でいつか実現するのでしょう。



だからこれからも希望を持って生きていきます。



ちなみに大学院に進んでから、

いろんなことを経験、体験し、

サイエンスを研究することが自分のやりたいことではない!と気がつき、製薬会社の営業職(MR)で就職しました。


当時周りの人たちからは、

まさかの営業職!って驚かれました。

当時は院卒だとみんな研究職とか開発職に行ってたし、人付き合い苦手だし、人と話すの苦手だし、

人見知りだし。


でも敢えて、自分のできない(と思ってる)ことにチャレンジしてみようと、想像もできない世界に踏み込んだおかげで今があります。