思春期学会で参加した「性教育認定講師講習会」で受けた講義の中の
「生と性と死」を考える
これは、古川潤哉さんというお坊さんのお話し。
古川さんのお話しを聞くのは2回目で、1回目は昨年の性教育指導者セミナーだった。
その時も感激したのだけれど、今回もまた感激した
昔、まだ私がお産をとっていた頃、ほんの一時期、「胎内記憶」を面白いな、と感じていた。
だけれど、どうにも虐待によって亡くなった子たち、今、虐待を受けている子たちが、
そのお母さんを選んで生まれてきたとは思うには辛すぎる... と、すぐにそこから離れた。
「いのち」の話しも同じで、両親ともに揃っていて、家族関係がある程度うまくいっている家庭の子は何も問題なく、その話に耳を傾けることができると思う。
でも、今は複雑な家庭環境の子も多くいるし、小さい頃から心無い言葉を浴びて育った子、
暴力を受けながら育った子たちはどういう気持ちでその話を聞くのか...と思うと、
“その手の話し”に対して、否定的になっていった
古川さんの「いのち」の話しは、仏教の生命観が取り入れられていて、
宗教関係なく、誰が聞いても受け入れられる話だと思う。
神秘化、神聖化するものではなく、事実を伝える。
「私が生まれ来るための縁は皆にある事実(家庭環境はそれぞれ)
産むか産まないか、産めるか、産めないかはそれぞれの縁」←めっちゃ四角で囲った
「そもそも生まれてくること自体選んでないし(キッパリ)」 ←ここも囲った
「いのちを大切にする=自殺をしない、なのか?」
→もし、生きることが素晴らしくて、死がダメなことであれば、最後みんなダメで終わる。
生きることも死ぬことも、コントロールできることではなく、ご縁という関係性の中にある。
「産まれてこれて幸せだったね...と決めつけることができるか?」
→幸せであることをかみしめる必要は学校にはない
→幸せは決められるものではないし
「仏教用語、例えば“自業自得”という言葉。自分に対して使うのは良いが、人に対して使ってはいけない。」
どんな家庭環境の子、学校生活で悩んでいる子、自分の性に対して悩んでいる子など、
誰が聞いても心が痛むことがないと思う。
そこが本当に素晴らしいと思っていて、またこれからも古川さんの話を聞く機会はあると思うし、
率先して聞きに行きたい講師の1人でもあります
宮崎まで行ってよかった