自由と可能性 学校では何年もかけて、 「型通り」になることを学んで 結局、それにおいては、機械にはかなわないと知る。 その「型通り」の向こう側に行く道があるとすれば 発想であり、創造であり、 今まで知らない文化であり見方であり、 さらに、 それらに至るための近道があるなら、 そのひとつは、もうひとつの言語であると思う。 それは何かの制約や支配から、 自分自身を自由にするものであり、 第二言語の学習とは、その可能性を追い求めるものである。 すずきひろし