仁学「馬鹿にしない」

 

人を馬鹿にしない。馬鹿にする人間はまず自分自身が馬鹿な人間性を持たなければならない。

馬鹿でなければ人を馬鹿にすることができないからである。

 

人を馬鹿にしたら、馬鹿にされた人間より馬鹿にした人間の方に悪評が付き、本当の馬鹿になる。中国の故事から馬鹿とは「馬と鹿」の区別を言えない人間を云い、それが転じて善悪の見境が付かない人間を云う。

 

自分の言動を自分自身が善悪の区別に付かずに平気でいること。馬鹿にする人間は自分の心にある善悪の種がわからない。

 

ならば、余計な言動を慎み、他人を思いやり、傷つけることなく、何も表現しない方が良い。

 

心の中に「仁」の力が欠けると、人を思いやる心、人を慈しむ心、人を敬う心、人を愛する心も欠け、人間関係に問題を起こす。また、自分自身の心も疲れ、悩みや迷いが増える。

 

「仁」は人間として最も修徳しなければならない実践道徳である。

 

人を馬鹿にする人間はこの「仁」に欠ける。その人間も幼少から青少年期に「仁」を学ぶことがなかっただけ。

 

もしくは強い劣等感が他人を陥れる愚行を起こさせているかである。

 

幾つになっても「心の教育」は大事。壮年期や老年期になっても人を馬鹿にしているようでは、心の中にある「仁徳の空虚」が観えて来る。常に自分自身を高める学問に励むことで自分の心が軽くなり、迷いや悩みが減少する。