心学「善悪の距離」
善の方向に歩いている人間、
悪の方向に歩いている人間。
時と距離が同じとすれば、
歩くという努力は同じ。
善悪の心が異なるが、善の努力、悪の努力。
双方とも努力を要する。
ただ、何かの都合や環境によって、
努力の方向が異なってしまったのだろう。
幼少時から善悪の因果を教えてもらえば、
悪に走ることはなく、善に歩んだかもしれない。
世に言う犯罪を行った人間を観れば、
その人間が過ぎた幼少や青年期を学びたい。
他人から学び、自分自身を省みる。
いつの世も「学びて我に問う」心の学問は必要である。