仁学「包丁」

 

包丁は自ら包丁の刃を研ぐことはできない。包丁を研ぐには砥石が要る。包丁と砥石があれば包丁の刃先が切れるように研げるのか。

 

そこに包丁と砥石を置いても、刃先はそのままである。では、どうすれば包丁の刃先が切れるようになるのか。

 

そこに人間の手が必要になる。人間の手があるからこそ、包丁を持ち、砥石に刃先を当て、前後に研げば、刃先は切れるようになる。

 

しかし、誰でも包丁は切れるように研げるかと言えばそうではない。素人が研いだ刃先と職人が研いだ刃先では大きく切れ味が異なる。

 

それと同じように自分の心を研磨するには聖賢の書を嗜む方が良い。聖賢の書には長い年月掛けて来た智慧がたくさん込められている。

 

それを学び、心を研磨し、心強い自分自身を創り、人生をより楽しく生きて、心の悩みや迷いを軽減することが自分の為。

 

職人はすぐ腕に技術を身につけたわけではない。学問と同じように年月を掛けて、その技を自分の物にして来た。自分を磨くとは年月を要すること。

 

一朝一夕で習得できるわけではない。自分自身の心を磨くにも、志と年月が必要。

 

その為にも「自分を磨き仁徳を高める」意義を修め、途中で逃げない自分創りを為し、未来の自分自身を観ながら継続することである。