心学「心の器」

 

人それぞれに心の器を持ち、大きさも異なる。普段、心の器は無形の為に、見ることはできないが心眼を以ってすれば、人が持つ心の器は観える。

 

それでも観えないのが自分自身の器。果たして大きいのか、小さいのかは、日常では分からない。

 

観ようとしているのか、観ないようにしているのか、自分自身がわかるのならば、まだ良いが、観ないようにしている人間が多いので、そのような人間は心の器を大きくすることが適わない。

 

自分自身が自分を大きく深い心を持ち、打たれ強い自分創りを目指しているのならば、心の器を大きくなる。しかし、そのような志もなく、いつも成り行きに任せている人間は、心の器は大きくならない。

 

心の器が大きいから幸福になるとは限らない、小さいからと言って不幸とは限らない。ただ、心の器が大きければ、心に生じる悩みや迷いの解決に効果はある。

 

十入る器、五しか入らない器、三しか入らない器。悩みや迷い、人間関係の諸問題が七でも起きれば、五と三の心では処理できない。

 

溢れて愚痴になって終わる。十の器は二十にするのも自分自身の心が行う修養一つ。心の器は自由自在に変わる資質を持つ。