心学「雨」

 

ほど良く降る雨はまさに「慈雨」である。人間始め動植物には恵みの雨で決して嫌悪な存在ではない。しかし、この雨も豪雨ともなれば、人間に災いを招き、多くの不幸を創る。同じ雨でも慈雨と豪雨とは天と地の差ほどある。

 

この雨と同じように、言葉も人に投げ掛けた場合も仁慈があれば、災いもある。優しい言葉は人の心を潤し、心を円やかにしてくれる。

 

ところが集中攻撃のような言葉は豪雨と同じ。心が受け止めることはできない。その集中攻撃のような言葉は人の心を傷つけ、人格まで否定する。

 

仁慈の言葉に憎しみは起きないが、豪雨のような言葉は相手に憎しみを生じることもある。自分の言葉が持つ質量を普段から考え、慈雨のような心の言葉なのか、豪雨のような心の言葉なのか、自分自身で確かめること。

 

もし、これらのことがわからない場合は、自分に対する「憎悪」の数量も考えるべきであろう。自分は良いと思った言葉も豪雨であれば、大概の人間は嫌う。それは当たり前のこと。

 

豪雨のような言葉はその人間含め周囲の人間まで悪影響を与える。それを教えてくれるのが自然災害の実態である。

 

自然界も、人間界も、雨は必要。しかし、その雨の量で人間や動植物に過大な影響する。言葉も同じこと。重々気をつけて言葉の質量を考えて話すこと。