江戸幕府の幕府直轄学校「昌平坂学問所」(昌平校ともいう)

 

文京区湯島に今なお残る湯島聖堂の落成当時の姿を知ることができる絵図です。学問好きだった五代将軍・綱吉が湯島に聖堂を移転させたのは元禄4年(1691)のことでした。

 

 五代将軍・綱吉は儒学の振興を図るため、湯島の地に聖堂を創建して、上野忍岡の林家の私邸にあった聖堂と家塾を移しました。これが湯島聖堂の始まりです。そして、寛政9年(1797)には林家の家塾を幕府直轄学校「昌平坂学問所(昌平校ともいう)」として開設しました。


 学問所には、「素読吟味(そどくぎんみ)」と呼ばれる入学試験にさえ合格すれば、幕臣だけでなく全国の諸藩の子弟も学ぶことができました。ここ湯島の地へ全国の藩の将来を担う若者たちが集まってきたのです。


 絵図に描かれた「聖堂(孔子廟)」は、残念ながら大正12年(1923)に発生した関東大震災によって焼失してしまいました。現在の聖堂は昭和になって再建したものです。