心学「あるがまま」

 

あるがままの自分。これが本当の自分自身である。飾ることもなく、気張ることもなく、威張ることもなく、自分が持つ「心」のあるがまま。

 

人間、このあるがままに生きようとして苦しむことになる。それではいつまで経っても本来の自分になれない。飾ることも捨てる、気張ることも捨てる、威張ることも捨てる。

 

それらはただ、自分の妄想にしか過ぎない。妄想にしがみ付いても心が安らぐわけでもなく、常に周囲の目を気にしながら生きることになる。

 

人はそれほど自分のことを気にしてはいない。観ているようでも、内面までは見抜けない。それよりも自分自身が「あるがまま」に生きられない、妄想に苦しんでいる自分を自分自身から解放しなければならない。

 

妄想とは自分自身が創り出した幻、それは本来の自分ではなく、心に創った偽の自分。しかし、この妄想から抜け出すことができなくなると、偽の自分が本当の自分になってしまうこともある。

 

心の一つで自分自身の相が変わり、それに合わせた人格や人徳になる。

 

まず、本来の自分とはどのような人間なのか、あるがままの自分とはどのような人間なのかを考えてみることから始めなければならない。これが面倒と思う人はいつまで経っても「あるがまま」の自分に近づけない。

 

*心学道場「恕庵」本当の自分とはどのような人格を持つのか