心学「頭を下げる」

 

よく映像で「頭を深々と下げ、謝罪している」場面を見る。責任問題の謝罪であろうが、その後、どのような処理や進展、改善、改良が進んでいるかは放映されない。

 

関係者が「頭を下げる」ところだけが放映され、その後どのようになったのか国民は知る由もない。頭を下げる方も心から謝罪しているだろうか。直接の担当でなく、上司とすれば「飛んだとばっちり」である。

 

同じことが繰り返し起きるのはまさに「対岸の火事」的発想。頭を下げることは責任を取る初めの入口であり、解決ではない。たとえ報道してくれなくとも、それは「責任を取るべき人たち」が自発的に報道機関を通して報告しなければならない。

 

悪事は善事に比べて蔓延り易い。梅雨時や湿った箇所の黴(かび)に似ている。心が湿っていれば黴は増殖し易い。頭を下げることはまだ黴を取っただけ、その原因の湿り気を排除して、二度と湿らない環境にすることが問題の解決法になる。

 

一度、頭を下げた人間の本音を聞いてみたいものである。中には心から謝罪している善良な人間もいるでしょう。でも、大きな組織や行政ともなれば、心からではなく、形で謝罪する人間の方が多いだろう。

 

心学道場「恕庵」形は謝罪しても心は知らぬ顔