心学「声」

 

田畑や河川では蛙の鳴き声が響き、深緑の山林では小鳥たちの鳴き声も響く。何を伝えようとしているかは、人間の英知でも分からない。でも、精一杯生きていることに間違いない。

 

犬や猫の愛玩動物も然り、野山の昆虫も然り、声を出しながら何かを伝えようとしている。

人間にも「心の声」があり、日々何を伝えようとして叫んでいる。

 

喜怒哀楽の声、艱難辛苦に耐えている声、多くの感情が「無音の声」として心に響き、言動として体外に出る。それによって周囲は影響され、自分と云う人間の人格が知れ渡る。

 

小鳥の囀りは心を和ませるが、烏の鳴き声は不安を感じさせることもある。鶯であろうが、烏であろうが、鳥の命に変わりはない。

 

声の種類や響き、鳥の形によって人間は好き嫌いに分ける。洋犬が好きな人、和犬が好きな人、でも、犬と云う存在は同じ。人間であろうと動植物であろうと、そのものは皆同じ。

 

「道理の徳」は全て平等に観る力、平等に愛する力、まさに「仁」の心である。

 

天と云う道理を敬い、天が人を愛するが如く、自分も人を愛する心、「敬天愛人」である。

 

*心学道場「恕庵」 偏見が心を迷わせる悪因である