心学「人の不幸」

 

「人の不幸は蜜の味」。もし、自分が人の不幸を聞いた場合、自分の心が観える。人の不幸を聞いて「心が微笑んだ場合」心の器が狭く小さいと思えば良い。

 

 

その相手が好きでない人間とすれば尚更微笑むであろう。身内なら落胆することがあっても、気に入らない相手の場合は逆に面白がる。

 

 

このような感情は誰でも持つが、この器が小さいとすぐに溢れ周囲に撒き散らす。これが悪口や噂になって、更に自分は陰で微笑む。心の器が小さい人間ほど人の不幸を喜び、周囲に撒き散らす。常に自分の器に関して自省しなければならない。

 

 

他人の不幸を喜び微笑む人間は同じように自分の不幸を他人が喜び、噂や悪口になって流れ出す。この悪口や噂がやがて自分に到達し、その悪意を反省させる。これは天地自然の万法の「仕置」である。

 

 

その時こそ、実践道徳の恕(じょ)「己の欲せざるところ 人に施すなかれ」を修養すること。「自分がされて嫌なことは 人にしてはならない」教訓を天が教える。

 

人の不幸を言わなければ人徳の人間、人の不幸を撒き散らす人間は悪徳の人間、それは天と他人が自分自身を評価する。

 

*心学道場「恕庵」 仁徳の実践である恕(じょ)を修める